聖夜の奇跡のお裾分け 3/4
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二人が駐輪場に近付くにつれ、そこからかすかに聞こえていたケイナの歌が次第にはっきりと聞こえてくる。茂松がスマホでケイナの歌を流しながら、自分たちのことを待ち侘びているのだろう。互いに同じ推測を抱いたのを確かめるように顔を見合わせ、二人は穏やかな面持ちで頷き合う。
すると、曲の終わりに差し掛かっていたメロディが不意にぷつりと切れた。二人が近付いてくる気配に気付いたのか、単に曲を流すのをやめただけか。二人がそんな推測を抱いているうちに、今度は別の曲が始まった。
単に曲の途中で次の歌を選曲しただけか、と菜々は納得した。だが豊島は、茂松のその行動に意味深めいたものを察しながら、駐輪場の入口をくぐって彼の姿をしっかりと捉えた。
こちらを向いて壁に背を預け、しゃがみ込んでじっとスマホを見つめている茂松は、二人が戻ってきたことにまったく気付いていないようだった。示し合わせることもなく、二人はそれを見て自然と足音を潜め、並んで彼のもとへ歩み寄る。
さて、どこまで近付いたら気付くだろうか。声を掛けるまで気付かないだろうか。こちらに気付いた時の茂松の反応に菜々は期待を寄せるだけだったが、今の彼の心情をさっきの行動でしっかりと汲み取った豊島は、下を向いている彼の頭をしみじみと見据えた。
(マジで思春期野郎だったか、お前ってやつは)
豊島は、茂松がスマホに入れているケイナの歌の曲順まで覚えていた。仕事で契約先へ向かう道中、彼が社用車のオーディオに自分のスマホを繋いで、車内でよく聴かされていたからだ。
曲を一つ飛ばした。茂松が意図してそうしたことに気づけたのは、親友の豊島だけだった。
「――シゲ」
茂松がいる最奥の壁と入口のちょうど真ん中辺りで、豊島は穏やかに彼を呼んだ。目を見開いて茂松はばっと顔を上げ、並んで歩み寄ってくる二人の姿を見上げる。
本当にこちらにまったく気付いていなかったらしい茂松にくすりと息を漏らして、菜々は豊島の横ではにかみがちな笑顔を湛えて小さく手を振った。
「ただいまです、カナちゃんさん」
「……なっ……ちゃん……」
消え入りそうな声で菜々の名を呟きながら、茂松はゆっくりとその場に立ち上がる。
互いの声がよく届く、顔がよく見える位置で立ち止まる豊島と菜々。並んで穏やかに微笑みかけてくる二人の姿を、ぽかんと開けた口を閉ざすのも忘れて茂松は交互に見た。
「…………よ……かっ…………たぁあああ…!」
一気に脱力して膝から崩れ落ちた茂松は、情けない声を上げて地面に這いつくばった。彼の反応に面食らった二人のうち、咄嗟に菜々が彼の前にしゃがみ込んで、心配そうに顔を覗き込む。
「マジでっ……マジで心配してたんだからな、なっちゃん…。ちゃんと裕太に見つけてもらえんのかって……何かあったらどうしようって……!」
「カナちゃんさん…」
「よかった…っ……よかっ………ううっ……!」
茂松は、人目もはばからず泣いた。たとえ目の前の菜々に呆れられようと、傍らの豊島に情けなく思われようと、構わず嗚咽を漏らしてむせび泣いた。
菜々が無事に帰ってきてくれた。それを心から喜んで涙してくれる心優しい親友の肩に、豊島はそっと手を添える。
「…留守番、ご苦労さん。差入れ買ってきたから、一服でも…」
「やかましーわ!この大馬鹿野郎!」
一転して目一杯に声を張り上げて豊島を遮り、茂松は勢いよく立ち上がって彼の両肩を掴んだ。
「てめえなんで電話の一つも寄こさねーんだよ!俺がどんな思いでお前ら待ってたか、わかってんのか!」
泣いた跡を残したまま、鬼気迫る表情で茂松に怒鳴りつけられた豊島は、丸くしていた目をすっと細めて真剣な面持ちで答える。
「…悪い。冗談抜きでスマホの充電切れてさ。菜々ちゃんと戻る前にお前に電話しようとした時に、気付いて」
徐々にトーンを落としていき、申し訳なさそうに詫びる豊島の肩を強い力で捕らえ続けながら、茂松は時間を掛けて興奮を静めようと努めた。
「…そんなヘタレっぷり発揮する奴が、よくなっちゃんのこと探し当てられたもんだわ」
「見つけるまでかなり時間食ったがな。お前なら簡単に見つけられてたかもしれない」
「鈍感裕太と俺を一緒にすんな。当然だわ」
自嘲する豊島を鼻で笑い飛ばして、茂松はようやく彼から手を離し、軽く二人から顔を背けながら無造作に目元を拭う。
急に怒鳴り声を上げた茂松に身をこわばらせていた菜々は、落ち着きを取り戻した彼の様子に安堵して立ち上がった。視界にその姿を入れた茂松が穏やかな笑みを向けてくるのを受けて、菜々は静かに口を開く。
「心配かけて、本当にごめんなさい。今までも、困らせたり悩ませたりするような勝手なことしてばかりで、たくさん迷惑かけて…」
「気にすんな。裕太ほど頻繁に喰らってないとはいえ、俺だってなっちゃんにいじり倒されんのは慣れてんだ。迷惑したなんて少しも思ってねーよ」
沈痛な面持ちで謝る菜々に平然と返しながら、茂松はぱっと満面の笑みを咲かせてみせる。その反応に菜々は思わず面食らったが、一点の曇りもないその笑顔につられて、申し訳なさに引き締めていた表情が自然と緩んだ。
穏やかな笑みを向け合う彼らを傍で見ていた豊島も、その光景に感慨深さを抱きながら、口元に笑みを浮かべる。
(…相変わらず、ずりーわ。場の空気を一瞬で変えちまう、シゲの脳天気な笑い方は)
誰が見ても心の底から笑ってると感じる、思い切り笑う時のぱっと弾けるような笑顔。人並みに表情豊かな方ではない豊島は、何の企みもなく自然とそんな表情を作れる茂松を、素直に尊敬し羨んでいた。
これまでの自分と同様、もしかすると茂松も意図せず誰かに魔法を掛けてしまう、解釈次第でははた迷惑とも言える魔法使いなのかもしれない。ふとそんなことを思った豊島は、また一つ息を漏らす。
涙を封じ、涙を解放する魔法。そんな力を無自覚に発揮していた豊島とは反対に、誰かを自然と笑顔にさせてしまう茂松の不思議な力も、実は彼の魔法なのではないだろうか。
だとすれば、今まで自身の魔法に掛けられていた自分の恋人が、あっさりと彼の魔法で笑顔に変わる様子を見ていて、どこか腑に落ちないでいる自身の心境にもなんとなく納得がいった。
「むぐっ!?」
物思いに耽っていた豊島の不意を突いて、茂松は彼の肩に腕を回してがっしりと自身へ引き寄せた。不意打ちに目を丸くした豊島に悪戯に顔を寄せ、今度は企みの色を満面に浮かべた笑顔で茂松は尋ねる。
「でー?にぶちんでヘタレのナイト様は、バッチリお姫様の攻略に成功したんですかねえ?どうなんですかねーえー?」
訊かれる前にその企み顔で茂松の言葉を予想していた豊島は、質問の途中からすでに赤面して顔を引きつらせていた。声を上げてその反応を笑い飛ばしながら、茂松は質問の返事を促そうと、豊島の肩に組ませた腕で彼の体を悪戯に揺さぶる。
「ね、どうなの?なっちゃん」
「ふえっ!?あのっ、えと…」
何とも言えない表情で彼らを傍観していた菜々は、不意に茂松に問いかけられた焦りで瞬時に頬を赤らめた。しきりに目を泳がせて返す言葉を探り、やがてはにかみながら躊躇いがちに答える。
「……バッチリ、攻略されちゃいました」
「だーっ!よりによってクリスマスにぼっち一抜けしやがって!てめえに『リア充乙』なんて言える日が来るとは夢にも思わなかったっつの!さっさと爆発しやがれ!」
がっしりと組んでいた豊島の肩をさらに引き寄せ、空いた手でその頭をぐりぐりとこねくり回す。手荒い仕打ちに呻き声を上げてされたい放題にされながらも、豊島は心のどこかで安堵していた。
無理矢理に茂松の拘束から逃れて顔を上げた豊島を見て、茂松と菜々は同時に吹き出す。手加減なしに茂松に掻き乱された豊島の頭は、とても愉快なことになっていた。
「うははははっ!マジで爆発した!」
「調子に乗りすぎだ馬鹿シゲ!てめえも爆発させてやろうか!」
「ぼっちをさらに追い詰める気かよリア充!いじめいくねーぞ!」
「口答えすんじゃねえ!」
年甲斐もなく子供の喧嘩のように揉み合いになる展開に、おかしさがこみ上げてきた豊島と茂松は笑う。じゃれ合う二人の掛け合いを眺めていた菜々も、腹を抱えて思いきり笑う。
色んなことが起きて、色んなことが変わった。そんな長い夜を過ごした三人の誰もが、こうしてまた以前と変わらずに笑い合えている。
平穏な日常はもう望めないとすら思っていた彼らは、またこの三人で幸せに過ごせるこのひとときに、心から感謝した。
「――で、ちゅーはしたの?」
缶コーヒーに口を付けるタイミングを待っていた茂松の狙い通り、ごふっ、とお約束通りの音を立てて豊島がコーヒーを吹き出す。したり顔の茂松と不意を突かれた菜々は、そのリアクションにからからと笑い声を上げた。
菜々を真ん中にして壁に寄り掛かりながら座り込んだ三人は、豊島と菜々が買ってきたコーヒーで一息ついていた。心身ともにすっかり油断しきっていた豊島は、堪らずむせかえりながら反論する。
「だっ、おま、それ聞いてどうすんだよ!」
「お?そっこー『してねーよ!』って返さねーってことは、つまりー?」
「してませんよ、まだ」
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げる茂松の視線を受け取り、二人を遮った菜々は平然と笑って返す。
咳き込んでいなければ、豊島も同時に聞き返すところだった。
(した……よな。間違いなく、菜々ちゃんの方から…)
その場しのぎの嘘だろうかとも思ったが、豊島は菜々の思惑を慎重に模索した。
菜々は確かに、豊島にキスをした。キスの経験がなかった魔法使いの豊島を、魔法使いでなくするために。
(それを笑ったこと、もしかして……相当根に持ってらっしゃる?)
つまりあれは、キスではない。単なる魔法であると。
人助けのための人工呼吸はキスには含まれない、という理屈と同じ扱いにされたのだろうか。そんな解釈で妙に納得がいってしまい、内心で苦笑いを浮かべる豊島の横で、菜々はおもむろに立ち上がった。
「そんなわけで、どうすれば豊島さんにちゅーしてもらえるかの作戦会議がてら、どこかで飲み直しませんか?」
軽やかに一歩前に進み出て二人に振り返り、菜々はいつもの悪戯な笑みでとんでもない提案を持ちかける。
「おっ、面白れーなそれ。実に有意義な飲みになりそうだわ」
「でしょでしょ?でもその前に、ちょっとだけ二人に付き合ってもらいたいんですけど、いいですか?」
立て続けに突拍子もない提案を持ちかけられ、豊島と茂松はきょとんとした目で企み顔の菜々を見上げる。
「…何に付き合えばいいの?」
「彼氏が出来ましたーって、報告しに行くんです」
「誰に?」
「あたしのお母さんに」
にっこりと笑ってみせる菜々から、茂松は横にいる豊島の顔をおそるおそる窺った。
心の準備はいいか、などと聞く余地も明らかにないとわかるほど、菜々を見上げる豊島はすっかり顔面蒼白になっていた。




