聖夜の奇跡のお裾分け 1/4
時系列・・・本編終了直後。
波乱のクリスマスイブがようやく落ち着き、日付が25日に変わった頃、駐輪場で豊島と菜々の帰りを待つ茂松と野田は…。
【外伝:聖夜の奇跡のお裾分け】
どこかで聴いた覚えのあるそのメロディは、とりあえずアニメ関連の歌ではないということくらいしか、茂松にはわからなかった。
「……電話か?」
駐輪場の出入口から外の様子を眺めていた茂松は、傍らの壁に寄り掛かって座り込んでいる野田に尋ねた。
野田は問いかけに答えることなく、眉を潜めて自分のスマホを見つめたまま、やがて流れていた歌をおもむろに止める。意図的に通話を切った彼の行動を訝しんで、茂松は視線を野田に向け直した。
「出ねーの?知り合いだろ?」
「いえ、知らない番号だったんで」
「知らねー番号ったって、日付跨いだこんな時間に掛けてくるなら、どう考えても知り合いじゃねーの」
「まあ……そうでしょうけど」
沈んだトーンで返す野田の心情に、茂松が薄々勘付き始めたところへ、再び野田のスマホから歌が流れてきて着信を知らせる。
眉根を寄せて舌打ちしながらスマホを開く野田の反応で、茂松は確信した。
「彼女だな?」
「……元、彼女っす。着信拒否したってのに、わざわざ番号変えたか別の電話から掛けてんのか…」
「出ろよ。その様子じゃろくな別れ方しなかったんだろ。きっちりケリつけるなり、ヨリ戻すなり、とにかくちゃんと話し合え」
「下手に相手したら、キリがなくなるタイプなんすよ。シカトして向こうが根負けしてくれるのを待つのが一番…」
「シカトってお前な、んな楽なやり方で逃げんな。そんなんでどうにかなるわけねー見た目通りのメンヘラだっつーことくらい、俺でさえ初見で見抜けたってのに」
「……」
説き伏せる茂松の口ぶりに、野田は思い詰めた表情で口を引き結ぶ。
野田にとって、茂松の口から「逃げるな」と言われたことが、何よりも自尊心を蝕んだ。何か言い返して反抗したくても、これまでの自身の行いに対する後ろめたさと、率直な思いを口にした茂松の正論ぶりに、ぐうの音も出ない。
黙りこくった野田の姿を見下ろしながら、茂松は禁煙の駐輪場で何本目になるか数えるのをやめた煙草を取り出し、構わず吸い始めて口を開く。
「……自分のことをまだ好きだって思ってくれてる彼女を、自分の都合でフッた。お前と同じことをした裕太が、どんな思いでこっから出てったのか、あいつの身になってもっぺん考え直してみろ」
しつこく鳴り続ける着信音に紛れることなく、茂松の言葉にしっかりと耳を傾けていた野田は、スマホに表示された数字の羅列をじっと見据えて逡巡した。
茂松に促され、逃げ出した菜々の後を追いかけて、この場を去った豊島。かつて彼が菜々の恋人になったのは、ひたむきに想いを寄せていた茂松に巻き込まれるようにしてそうなったものだと、野田は想像していた。
だが実際には、菜々の本命の相手はもう茂松ではなく、豊島だった。その事実に気づかされた豊島が、どんな思いで彼女を追いかけたのか。
おそらくは茂松と――自分以外の男と幸せになってもらいたくて、自ら身を引いたのであろう豊島が、どれほどの覚悟を決めてそれを伝えに行こうとしたのか。
「……」
鳴りやまない着信音を不意に止め、野田は俯きがちに前方を見据えながらスマホを耳にあてる。
ようやく電話に出た野田の第一声も待たず、電話の相手は堰を切ったように話し始めた。内容までは聞き取れないものの、その声は野田から数歩離れた茂松にも聞こえてくるあたり、電話の向こうの女が相当憔悴しきっている様子が窺えた。
「……何度も言わせんなっつったろ。お前とはもう会わない。俺のことなんて忘れて、他の男を探せって」
冷淡な口ぶりの野田に続いて、彼のスマホから漏れ聞こえる女の声量が増す。
絶対に嫌。別れたくない。繰り返し野田にぶつけられる必死の言葉は、もはや茂松の耳にもはっきりと聞き取れた。
(厄介な女に引っ掛かりやがって…)
ろくに興味もない安っぽい恋愛ドラマを見せつけられている気分に陥り、茂松はげんなりとして溜め息と煙を吐き出した。どう考えても、菜々ほど物わかりのいい女じゃない。そう思いながら白い目を向けている先で、野田は女が発した言葉に反応して顔を歪め、不機嫌を露わにしながら返す。
「会ってねーよ、元嫁になんか。ヨリ戻すために別れたいわけじゃねーって、何回言えばわかるんだよ」
軽く声を荒げる野田に続いて、茂松は鼻でそれを笑い飛ばした。気配でそれを察した野田は横目で彼を一瞥し、あからさまな嘘でごまかした後ろめたさを堪えながら前方へ視線を戻して続ける。
「とにかく、俺はお前とやり直す気は一切ない。もう二度と電話なんか寄こすな。店の客でも何でも、俺以外にアテはいくらでもいるだろ」
突き放す野田に対して、もはや女は怒鳴り声に近い声音で反論しているようだった。引き下がる気配のない相手の反応に苛立って、野田は大きく顔を歪めながら空いた手で頭を掻きむしる。
それを見ていた茂松は、吸い減らした煙草を地面に叩き捨て、つかつかと野田に歩み寄った。
「見てらんねーわ。ちょっと貸せ」
「は?」
興奮状態の女の声に気を取られ、思わず聞き返した野田の反応など意に介さず、茂松はおもむろに彼の手からスマホを奪い取った。
不意打ちに面食らってこちらを見上げる野田を無視して、茂松は未だやいやいと文句を垂れ流し続けるスマホを耳にあてる。
「悪い。野暮用でこいつのことちょっと借りてたモンだけど、あらかた用は済んだから帰すわ。今すぐあんたのとこに向かわせるから。今どこにいるんだ」
「茂松さん…」
茂松の突飛な行動にぽかんとした顔で見上げてくる野田同様、相手の女も想定外の第三者に不意を突かれたようで、ぴたりと静かになった。
一つ間を置いて、女は自分のいる場所をたどたどしく茂松に告げる。
「……わかった。なら、駅裏の方の駐車場に来てくれ。できればなるべく、大通り避けて遠回りして来てくれると助かる。そしたらこいつと会わせてやるから」
傍らでその提案を聞いていた野田は、茂松の思惑を瞬時に悟った。
どこから戻ってくるのか、いつ戻ってくるのかわからない、豊島や菜々と鉢合わせることのないように。野田や女の姿を認めて、二人に不快な思いをさせないために。
二人の友人を大切に思う茂松の心遣いを感じとった野田が見上げる先で、茂松はあからさまに口元を歪めた。
おそらく彼が「会わせてやる」と高圧的に命じたことが、女の逆鱗に触れたのだろう。彼女の人柄を把握している野田がそう予想していると、再びヒステリックな声量で文句を吐き始めたスマホを握りしめ、茂松は低い声で返す。
「……遣いたくもねえ気い遣ってやってんだこっちは。こいつのどこがそんなにいいのか全然理解できねーが、そんなにこのクズに会いてーなら黙って俺の言うことに従ってろ、このクソメンヘラが」
「ちょっ、あんた…!」
咄嗟に声を上げた野田を睨み付けて制し、茂松は通話を切ったスマホを持ち主の腹辺りに狙いを定めて投げつけた。至近距離で避けることも手で庇うこともままならず、加減など一切ない茂松の怒りを受け止めた野田は、鈍痛が響く腹を押さえて呻く。
「だーもう!このクソが!外ヅラ以上のメンヘラじゃねーかあのクソ女!」
どれほど罵声を吐き捨てても怒りは収まらず、茂松は野田が背を預けている壁を力任せに蹴り付けた。駐輪場全体に響く派手な音と振動を受けながら、野田は再び煙草を取り出した茂松を神妙な面持ちで見上げる。
憤りを静めようと深く煙を吸い込み、盛大な溜め息とともに吐き出しきってから、茂松は静かに口を開いた。
「……ぼけっとしてねーで、さっさと行け」
「行け、ったって…」
「聞いてなかったとか抜かしやがったら、もっぺんぶん殴るぞ。駅裏の駐車場だっつったろ」
「…いいんすか。豊島さんと菜々が戻ってくる前に、俺を帰したりして」
「知るか」
あっさりと返してみせ、茂松は放り捨てていた吸い殻のことを思い出して踵を返し、燻ったままのそれを踏みつけてしっかりと火を消す。
「お前をぶん殴らせるって約束したことなんか、反故だ。約束守ってお前と二人をここでもう一度会わせるより、別れた女にしつこく泣き付かれて嫌々事後処理に行ったって報告して、お前を笑い物にする方がよっぽどマシだ」
「…茂松さんがそれでいいなら、言われた通りにしますけど」
「勘違いすんじゃねーぞ。お前を何度も痛い目に遭わせんのが不憫になってきて、見逃してやるわけじゃねーんだからな」
「ツンデレ乙」
「調子乗んなクズ。てめえのケツ拭く手助けしてやったってのによ」
毒づきながら茂松は煙草を咥えてしゃがみ込み、消したばかりの吸い殻と、付近に散らした数本の吸い殻を一箇所にまとめる。後で駅前の喫煙スペースの灰皿に捨てることにして、一旦壁際の隅へ寄せた。
そうしているうちに野田は壁から背を離して立ち上がり、長らく地べたに腰を下ろしていた体を大きく伸ばしてから、茂松に向き直った。
「茂松さんには、色々と借りが出来ちゃいましたね」
「そういうのはナシだ。借りたモンなんてろくに返せもしねーお前相手に、最初から貸し作るつもりなんてねーんだからよ」
「そんなこと言われたって…」
「俺は貸しを作ったんじゃない、その逆だ。だから余計な気い遣おうとすんな」
「逆?」
発言の意図を図りかねる野田の声を背に受け、茂松はほんのわずかに躊躇を置いて、苦々しく続けた。
「……俺もお前に、借りを返しただけだ。あのクソ女とナシつける機会作ってやったことを借りだと思ってんなら、俺がお前の恨みを買った『あの件』でチャラにしろ。それでお前との貸し借りはナシだ」
長い間、密かに負い目に感じていた思いを打ち明けた茂松は、野田がどんな反応を返してくるのか気にしてそっと彼を振り返る。
駐輪場の出入口前で立ち尽くす野田は、面食らいながらも真剣な表情で茂松を見据えていた。茂松が『あの件』と濁した言葉を使って示した出来事に、少なくともまるで心当たりがない反応ではない。
野田が真剣に想いを寄せていた彼女の心を深い理由もなく拒み、それによって彼女に深い悲しみを与えた茂松に対して、野田が恨みに近い感情を抱くようになったあの出来事。
何もかもの発端と言えるその時のことを、茂松は詫びる気でいるのだ。
「――っ!」
勢いよく押し寄せる複雑な感情に声を詰まらせ、野田はただ茂松に向かって深々と頭を下げた。
言葉で伝えられそうなことは、もう何もない。茂松の意思を汲み、心からそれを許そうと思えた。そしてこれまでの自身の愚行も、ほんのわずかでも許してもらえたらと願った。
それらを示す野田の一礼に、胸のつかえが下りるのを感じた茂松は、さっさと駐車場へ行けと簡単に促して野田と別れた。




