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涙の魔法・外伝 -unbalanced triangle-  作者: 燐紅
薄幸ヒロインとラッキースケベ
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薄幸ヒロインとラッキースケベ 5/5


「まあその、俺が菜々ちゃんを病院に運んだ経緯はさておいてさ」



 軽く咳払いを挟んで動揺をごまかし、豊島はすぐに真剣な顔つきに戻して菜々を見据えた。



「菜々ちゃん、ここに通院してたことがあるんだって?」


「へ?そうですけど…」


「一応見ず知らずの他人じゃないことは説明したけど、身内じゃないからさ俺は。菜々ちゃんの身分証が要るだろうと思って勝手にバッグの中開けさせてもらったから、謝っておかないとと思って」


「別にそれは構いませんけど、この病院の診察券入れてありました?」


「財布の中に入ってたよ。それと、たぶんここで処方された薬も」


「薬…?」



 想定外の単語に、菜々は眉をひそめる。その反応で薄々勘付き始めた豊島は、構わず続けた。



「看護師さんと一緒にバッグを漁ってたらそれが出てきてさ、当直の先生にそれ見せてたんだ。菜々ちゃんのカルテとその薬を見て、先生は何か納得したみたいで俺に『心配しなくていいみたいですね』って言ってきた」


「え、でも、ここで処方された薬なんてあたし…」


「錠剤タイプのヤツで、一個だけ無くなってたよ。身内でもない俺が何の薬なのか何の目的で通院してたかなんて、聞くべきじゃないと思ったからその時は黙ってたけど、何の薬だったの?」



 話しながら豊島はベッドの下にしまわれた荷物入れのカゴを引き出し、菜々の肩下げバッグを取り出して彼女に差し出す。その間に自力で上体を起こした菜々は中身を漁り始め、件の薬を手にとってそれを凝視する。


 確かにその薬は一錠だけ服用した跡があり、それを服用した時期も菜々は鮮明に覚えていた。


 そして、すべて納得がいった。菜々は薬を手にした腕を膝の上にぽとりと落とし、横にいる豊島の怪訝そうな顔を視界に捉えたまま顔を引きつらせる。



「…で、それ何?」


「えっとですね、どこから説明したらいいものか、難しいんですけど」


「話しづらいことなら無理に話さなくていいけど。ともかく、その薬が効きすぎたとかで、気を失ったってこと?」


「そういうことになりますね。まったく効き目ないなーって思ってたんですけどね」



 まだ少しデコピンの痛みが残る額を押さえながら、菜々は自分の不甲斐なさに大きく溜め息をついた。


 どう説明しようが、この人はまた制裁を加えてくるか本気の説教を始めるだろう。諦めがつくまで少しだけ間を置いてから、菜々は口を開いた。



「今日、お店忙しかったじゃないですか。で、結構疲れてたんですよ」


「確かに、大変そうだったね」


「あまり頻繁に頼ったりしないんですけど、そういう時は合間を見て栄養剤飲んで仕事したりしてるんです」


「栄養剤?」


「はい。市販の、錠剤タイプの…」


「……まさか」


「……間違えて、飲んじゃったみたいで」



 おそるおそる菜々が横にいる豊島に目を向けると、彼は心底呆れ返った半目でこちらを見返していた。



「つまり、疲れ切ってしかも空腹状態で病院の薬飲んだから、変に効き過ぎて目え回してぶっ倒れたと」


「いや、確かに効き目としてはバッチリ効能通りなんですが…」


「どういうこと?」


「……睡眠導入剤なんです」


「……はい?」


「要は、睡眠薬です。軽い不眠症で通院してたんですけど、今は通院の必要もなくなったし、薬もいらなくなったし、未開封のまましまってあったのが、まだ家に、そこそこ…」



 次第に睨みを利かせてきた豊島の視線にいたたまれなくなり、しどろもどろに話す菜々の声量がだんだんと落ちていった。


 重い沈黙に耐えかねて下を向いていた菜々は、不意に豊島が発した低い声にびくりと肩をこわばらせる。



「菜々ちゃん」


「はいっ」


「目を瞑りなさい」


「……はい」



 観念した菜々は、言われるがまま目を閉じて豊島に顔を向けた。


 ――びたん!



「ぃいっだ!」



 凄まじい音と衝撃に菜々はあられもない声を上げ、両手で額を押さえて前屈みに体を折った。







            *   *   *




「あーあ。無駄に疲れた。心配して損したわー」


「…お騒がせして大変もーしわけございませんでしたー」



 並んで病院を出た途端に厭味たっぷりな言葉を投げかけてきた豊島に対し、無意識に大通りへ足を向けながら、菜々はふてくされたように棒読みで返した。



「どこ行くの菜々ちゃん。駐車場はこっち」



 不意に後方から声をかけられ、菜々は面食らいながら豊島を振り向いた。



「ふぇ?駐車場って?」


「家まで送ってくから、行くぞ」


「そんな、いっぱい迷惑かけちゃったのに」


「何言ってんだ病人のくせに。遠慮なんかするな」


「あのデコピンは病人相手レベルじゃなかったです」


「二回目のは全力だからな」


「豊島さんのデコピンはふつーに人殺せるレベルだって、前にカナちゃんさんに聞いたことあります」


「死なずに済んで、ラッキーだったな」



 その一言に菜々は思わずむっとなり、豊島のもとに駆け寄りながら並んで駐車場を目指して歩く。



「どこがラッキーですか。今日ほどツイてない日なんてそうそう無いですよ」


「まあ、そうだよな」


「いつもの金曜と比べて馬鹿みたいに忙しかったし。せっかく豊島さんとカナちゃんさん来てくれたのに、奈津美に取られちゃうし」


「俺らの漫才褒めてくれたっけな、あの子」


「らしいですね。で、あーあって思いながら仕事してくったくたになった上に、間違えて持って来た睡眠薬飲んで倒れるし、二回もデコピンされるし」


「後半はツイてないと言うより、菜々ちゃんの自業自得なんじゃ?」


「いーえ、あたしはツイてないんです。ラッキースケベの豊島さんと正反対の、薄幸少女なんです」


「薄幸少女とドジっ子は違うと思います」


「ドジ……確かに」


「しかも自分で言うかよ、少女とか。いい歳してるくせに」


「むっかー!」



 自分より遥かに年上のくせに年齢のことをツッコまれたことに腹を立て、菜々は豊島の背中やら脇腹やらをぼこすかと殴りまくった。いでいで、と声を上げながらそれを喰らい続けた豊島は、とどめに放った菜々の右ストレートをぱしんと左手で受け止める。


 そしてそのまま、手を繋いで歩き出した。



「えっ…あ、あの…」


「暴れんなっつの病み上がりなのに。おとなしくしてな」


「……はい」



 大人と子供ほどではないが身長差のある豊島に手を引かれて歩くことに、それこそ菜々はいい歳なのにと胸中で呟きながら口をつぐむ。


 滅多なことを言い返せなくなったのは、病人や子供相手のように扱われていると意識したせいではなく、何も下心を感じさせない豊島の大きな手に繋がれていることに、菜々自身の中でどこか特別な意識を感じたせいだった。


 不意に手を繋いできた豊島はというと、彼自身は本当に下心も他意もなかった。めちゃくちゃに自分に殴りかかってきたのは菜々の強がりだろうと彼は思い込んでいたし、そのせいで眩暈でも起こされたら困ると思って彼女の暴走を止めようとしただけだった。車に辿り着くまでそのまま手を引いて向かおうとしているのも、支えて歩かせる方が彼女にとって楽だろうと思っただけであり、彼女を心配してばかりで軽く疲弊した自身の不安を和らげたいと思っただけなのだ。


 あっさりと静かになった菜々を意外そうに見下ろしながら、豊島は何の気なしに口を開く。



「ほんとにおとなしくなったな。素直すぎて、ツンデレ菜々ちゃんらしくない」


「……鈍感乙」


「何か言った?」


「無神経乙!」


「…言い直された気がすんだけど」


「気のせいですっ!」


「そうっすか」



 聞き漏らした一言目を特に気に留めず、豊島は息を漏らしながら菜々の歩調に合わせてゆっくりと歩いた。


 明らかに、恋人として意識されていない。改めてそう感じた菜々は、おそらく赤面してしまっているであろう自身の顔をほんの少し俯かせ、豊島の目からそれをごまかそうとした。


 静まりかえった夜の立体駐車場に響く、二人分の静かな足音。どこに車を停めたのか知らない菜々は、うんと遠くに停めていてくれたらいいのにと、繋いだ手を軽く握り直す。


 対する豊島が、病院の前で菜々を待たせて自分一人で車を取りに行く方が最善だったか、などと考えているうちに、ポケットに入れていたスマホが不意に振動した。空いた右手でそれを取り出し、画面に表示された文字にふっと口元を緩ませながらおもむろにスマホを耳に当てる。



「お疲れ。ずいぶんかかったなシゲ」



 凡ミスメーカーがやっと残業を終えたらしい。目だけでそれを報告する豊島の苦笑を見上げて、菜々もつられて頬を緩ませる。だがその笑いは、どことなくぎこちなくなってしまったことを彼女は自覚した。



「今会社出たところか?じゃあ予定通り飯行くか。今菜々ちゃんと一緒だから、三人でな」


(言っちゃうんだ、正直に)


「あ?…ちげーわ馬鹿。たまたま拾っただけだっつの」


(犬ですかあたしは)


「いや、今日は飯だけだ。菜々ちゃん疲れてるし」


(…カラオケと飲み、これから行こうかって言われたんだろうな)


「んじゃ、こっちで店決めとくから、後でまた連絡するわ」



 端的に告げて通話を切り、スマホをしまいながら豊島は菜々に問いかける。



「ってことにしたけど、何食べたい?」



 そう尋ねてきた豊島に思わずにやりと笑ってみせ、菜々は繋いだ手を軽く引き寄せながら悪戯な笑みを向けた。



「そんな風に訊いてくるってことは、ご飯奢ってくれるってことですよね?」


「ま、まあ、飯くらい別にいいけどさ…」


「だって豊島さん、ラッキーばっかりでずるいですもん。不運なあたしに少しくらい還元してくれないと」


「理に適ってるような、都合がよすぎるような…」


「奢ってくれるんでしょ?」


「…奢るよ」


「えへへ、ラッキー」



 心底嬉しそうな声を漏らす菜々を見下ろして、豊島の目尻が自然と下がる。



「でもよくよく考えたらあたしも、ちゃんとラッキーなことありました」


「ラッキーなこと?」



 それが何かを言い当てて欲しそうな菜々の目線を受けて、豊島は思考を巡らせる。



(…シゲと一緒に飯に行けること、かな)



 思いつく限りの最適な答えは、それくらいだろうかと豊島は思った。


 それを口にしようとしたが、繋いだままにしていた菜々の小さな手がぎゅっと力を込めてきて、反射的に言葉を引っ込める。



「豊島さんが、あたしをちゃんと見つけてくれたことです」



 素直な想いを込めた瞳にまっすぐ見据えられ、豊島はきょとんと目を丸くした。


 ただただ面食らうばかりのその反応に、菜々は堪えきれずに声を上げて思いきり笑った。


 なんにもわかっちゃいないこの男は、やっぱりただのラッキースケベだ。







【外伝:薄幸ヒロインとラッキースケベ】 -FIN-

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