異世界湯浴、再びです。
そろそろ受験生は合格発表の時期ですね。
自分が少し潔癖だと知ったのは、ほんの最近のことだった。
全ての食器を無事食洗機にかけ終えると、瞑鬼は風呂の準備を始める。洗濯物が干してある部屋へ行き、陽一郎のお古の下着やシャツを回収。
最初の方は良くあった、部屋に入ったら瑞晴の下着を見てしまう。なんて事件も、今ではすっかり無くなっている。
部屋を出ると、今度は瞑鬼の部屋へ足を向け、朝使ったバスタオルを取りに行く。三人ならば回して使えるらしいが、そこに瞑鬼が入るのは流石に躊躇われるらしい。
脱衣所でスムーズに服をキャストオフ。隙間風が涼しい湯船に浸かる。一人でゆっくりと風呂に入るのは久しぶりだった。ここ何日かは、100パーセント猫たちと乱闘しながら入っていたのだ。
すっかりぬるくなったお湯に浸っていると、玄関からがらがらと扉を開ける音が聞こえてくる。どうやら陽一郎がご帰還のようだ。
足音が近づいてくる。そしてそれは、風呂場の真ん前で止まってしまう。瞑鬼はここからの自体が予想できた。
陽一郎が入り込んでくる前に、急いで全身をくまなく洗い流す。もしどこかに血でも付いていたら、勘のいい陽一郎のことだ。一瞬で瞑鬼が死んだことがバレてしまう。
あの事は四人の秘密に。それが瑞晴と瞑鬼の間に交わされた協定だ。おいそれと蔑ろにするわけにはいかない。
「あれ?瞑鬼入ってんのか?随分遅いな」
「……すいません。ちょっと帰ってくるの遅くなりまして」
「……まぁ、今日くらいは許してやる。どうだ?楽しかったか?学校」
扉の向こう側から人の気配がする。恐らく、開けたら裸の陽一郎とご対面できるだろう。死んでもごめんだった。
最後の泡を流し終えると、瞑鬼はスピーディーに体を拭く。使い古されたタオル地が、筋肉痛の体によく響く。
「……割と楽しかったですよ。生徒の人たちも、割といい人そうでしたし」
「……そうか。ならいい」
それ以上は何も言わずに、ただ陽一郎は扉の前に立っている。シェービングの音が聞こえてくる。
これ以上店長様を待たせるのは悪いと思ったのか、瞑鬼は十分で風呂を出ることを決めた。いつもの半分の時間である。
ドアを開け、脱衣所の中へ。妙に蒸し暑いのは、この狭苦しい空間に野郎が二人もいるからだろう。しかも、どっちとも体温が著しく高い。
汗でぐっしょりと濡れた陽一郎の体を見る瞑鬼。
しかし、じっくりと観察する前にとっとと風呂に入っていった。当たり前だ。男子高校生に裸を見られて喜ぶ人間など存在しまい。
あの一瞬で得られた情報は、意外と多かった。まず、陽一郎の筋肉は筋トレと実践から成り立っている。しなやかかつ豪胆な腕は、殴られた ら一撃で落ちてしまいそうだ。
風呂の中からシャワーの音が聞こえる。シルエットが見えた。実に汚い絵面である。
鼻歌で演歌を奏でる陽一郎。その微妙に上手い歌を聴きながら、瞑鬼はバスタオルを使用中だ。夏の蒸しあがった脱衣所では、拭っても拭っても汗が噴き出してくるのだ。
ついさっきまで同級生の女の子がここに居たのかと思うと、さすがの瞑鬼にも煩悩が芽生えてくる。そして一旦そうなってしまうと、色々と妄想してしまうのも仕方がないと言えるだろう。
今、瞑鬼の頭の中では瑞晴の裸が出来上がっていた。男子高校生の観点から言うと、瑞晴のスタイルはかなりいい方だ。
デカすぎず小さすぎずの胸は、嫌いな者がいないだろう。肩までかかった髪に、陽一郎から受け継いだパッチリとした一重。
瞑鬼のタイプとは少し違うが、それでも可愛い事に変わりはない。
一ヶ月近くも家に住んでいれば、大体のものがどこにあるかわかってしまう。そして、仕事中についつい邪念が芽生えることも少々。そう言う時瞑鬼は、廃棄用の果物を齧り心を落ち着けていた。
「……いかんな」
自分の愚かさを反省し、瞑鬼は下着を装着する。陽一郎のお古とだけあって、サイズはかなり大き目だ。ウエストなんかはガバガバである。
最後のパジャマを着ると、ふと瞑鬼は何時間か前のことを思い出す。あのコンビニの前で瑞晴と話した、瞑鬼の第3の魔法のことである。
正直なところ、瞑鬼には瑞晴の意見を否定することができなかった。言われてみるとあっている気もするが、どうしても最後の理性がそれを許さないのだ。
死んだら生き返り、魔法が一つ増える。果たしてそんな都合の良い魔法があっていいのか。瞑鬼には疑問だった。
そんなものが存在しているのなら、この世界のパワーバランスが完全に崩れてしまう。
頭で考えていても、答えが出ることはない。したがって瞑鬼が取るべき行動は一つ。真理の追求である。
「……あの、陽一郎さん」
鏡に映る自分の貧弱な筋肉を見ながら、瞑鬼が話しかける。シャワーの音が止まった。今度はわしゃわしゃという音が聞こえだす。どうやら洗髪タイムよようだ。
「なんだ?」
頭を洗う手を止めることなく、陽一郎は反応を返す。
「……あがったらまた見てくれませんか?その、能力が増えた気がして……」
言い終えると同時に、瞑鬼の口から緊張を込めた息が漏れる。これまでに陽一郎に頼みごとをしたのは二回のみ。この家に来た時と、朋花を引き取ってもらう時だけだ。
暫しの沈黙。陽一郎なりに、色々と考えることがあるのだろう。感の鋭い陽一郎の事だ。ひょっとしたら、瑞晴が立てた仮説を既に知っているのかもしれない。
何秒間か黙っていると、ようやく陽一郎から反応が返ってくる。
「……おう。十分くらいかかるし、適当に部屋で待っててくれ」
はい、とだけ言って、瞑鬼は脱衣所を後にする。扉の外は涼しい空気が漂っていた。異常なほどに、風呂場が暑かったのである。
クーラーが効いた部屋で、麦茶を一口。失われた水分が喉から体に吸収され、瞑鬼の枯れきった体を癒してくれる。
時計を見ると、もうあと20分ほどで明日になろうとしていた。翌日からは、またいつも通りの仕事の他に、受験勉強も並行して行わなければならない。
いくら一度高校の試験に受かっているとは言え、一秒の復習もしないで覚えていられるほど瞑鬼の記憶力は高くないのだ。
疲れた身体で畳の上に寝転がる。虚ろな目をした関羽が、なぜだか腹の上に乗ってくる。ふわふわとした毛並みは、風呂上りの火照った体には少しばかり鬱陶しい。
すやすやと腹の上で眠りこける関羽。天使の寝顔を起こす勇気は、あいにくだが瞑鬼には備わっていない。できるのは、ただ黙って寝床を提供することだけである。
ついでと言わんばかりに乗ってくるチェル。あんな事があったというのに、世界は嫌なくらいに日常だった。普段となんら変わりはない。
仮にあるとしたら、それはおそらく瞑鬼たち四人だけだ。そのくらいに、何も変化はなかった。
テレビでやっているニュースも、ネットの掲示板も、いつも通り下らないことをだらだらと書き連ねてあるだけ。
こんな気分になったのは、初めて異世界に来た時以来だった。
「……これが普通なのか……?」
疑問の言葉を漏らす瞑鬼。どうも、一人でいると言葉をこぼしがちになるらしい。
編入試験って、本当のやつも結構難しいらしいですね。




