異世界事変、後始末です。
百話までには、一章終わらせたいですね。
「…………ん?」
電気仕掛けの絡繰のように、瞑鬼の瞼が勢いよく開く。それに続くように、反射的に体が起き上がる。
薄ぼんやりとした視界で、瞑鬼は真っ黒な世界を見ていた。今は夜らしい。
こういう時はすぐに起き上がったら血流が急に巡ってダメだと言われているが、反射的に動くのだから仕方ない。瞑鬼の意思とは反して、腰が勝手に浮き上がる。
「おわっ!」
感覚を伝えることをサボっていた脳に、一筋の衝撃が疾る。例えるなら、鉄板に頭を打った時のような。
「……夜一?」
だんだんと冴えてゆく視界。そこに映ったのは、頭を抑えて瞑鬼を睨む夜一の姿だった。
顔を伝ったとと思われる血はばりばりに乾燥しており、少し顰めるたびにポロポロと剥がれ落ちている。頭から流れていた血はもうすっかり止まったようだ。夜一の頑丈さが証明された瞬間である。
「……あの話は本当だったんだな……」
夜一は驚きを隠せない顔をしていた。まるで、どうしても信じられない光景を見た人のような表情だ。
この魔法の世界でそんな顔をするということは、よほどのことが夜一の眼前で起こったのだろう。
それはさながら、奇跡のようにも偶然のようにも思えたことなのだろう。今まで見たことがない夜一の表情が、それを連想させるのに一役買っている。
わけがわからないと言った顔をする瞑鬼。とりあえず状況確認のために周りを見渡してみると、そこには目の端に泣いた跡がある瑞晴がいた。
高校生にもなって泣くということは、そうとうに大変なことがあったのだろう。瞑鬼だって泣きたい時はある。気持ちは十分に理解できた。
「……し、信じられないよ。だって……、さっきまで……」
嬉しそうな顔をする二人とは違い、千紗だけは一人驚きの最中にいた。ただでさえ感情表現が激しい千紗だが、これは瞑鬼が見てきた一年とちょっとでも最大級だ。
本当に顎に手を当て考えるポーズをとる人間を、瞑鬼は初めて見たかもしれない。
しかし、ここまで来ても瞑鬼の頭は完全には回復していない。まだ若干霞みがかった脳が、もう少し寝ていたいと抗議している。どうやら少しばかり疲れているらしい。
自分の腕に目を落とす。変化はない。死んでから生き返ったのだら、当たり前と言ったら当たり前だが、体のどこからも異常信号は発信されていなかった。
「……あ、そっか……。俺、死んだのか……」
まるで他人事のように語る瞑鬼。他でもない当事者だと言うのに、この態度ではまだ頭が完全に働いていないようだ。
改めて事実を口にすると、瞑鬼の脳は段々と冴えていった。視界はもうすっかりすっきりとしており、体も十分動かせる。
思い出すのに時間がかかってしまったのは、恐らく魔力不足が原因だろう。死んだら回復すると思っていたが、どうやら完全には戻ってくれないらしい。
「実は私も、ちょっと疑ってたんだよね……」
申し訳なさそうな顔をする瑞晴。しかし、その気持ちは瞑鬼だって十分に理解できるものだ。
突然友人が、死んでも生き返るなんて言っても、普通は信じないだろう。それは、例えこの世界が魔法で満ちていたとしても同じなのである。
瞑鬼の調査によると、死んでから生き返るまでのタイムラグはバラバラとなっている。一番初めは一晩かかったのに、2回目は数時間だった。
今回に至っては、死んでからまだそう時間が経っていない。まだ規則性が掴めていないが、この先何回も死ねば実験も正確なものとなっていくだろう。
周りに血が飛び散っていないところを見るに、やはり瞑鬼の見立て通り、生き返る際には時間が巻き戻るように血が体に戻ってくるらしい。一度地面についた血や肉は、正直なところ戻って来てほしくないが、そんな文句を言える立場ではない。
本来ならば、とっくの昔に瞑鬼は死んでいるのだ。
自分の能力がいかに摩訶不思議なモノなのか。瞑鬼は今になってやっと理解していた。そして同時に、自分がこの世界で主人公になったように感じてしまう。
「……そう言えば、あの魔王軍のやつは?」
瞑鬼が周りを見渡すも、見える範囲にはあの《なにか》はいない。よもや警察が回収していったのだろうか。しかし、そうであれば瞑鬼は今頃救急車の中のはずだ。
頭に疑問符を浮かべていると、これまた事態を把握していない顔の夜一が、その重たい口を開く。
「それがな……。瞑鬼に包丁で刺されたら、なんか光って消えた」
「……死んだのか?」
「……わからん。なにぶん、魔王軍については情報が少なくてな。生態や体の作りが違うらしいが、まだはっきりとは解明されていない」
「…………そうか」
夜一と情報の共有を行ったところで、瞑鬼は身体を起こし上げる。若干筋肉が麻痺しているようだが、死後硬直が解けていないのだろうか。
どうやら夜一の言ったことは本当のようで、さっきまで瞑鬼たちが戦っていた道端には血の一滴すら残っていなかった。いや、残っているぶんには残っているのだが、これは夜一のもので間違いないだろう。
道路脇に捨てるように置いてあった包丁を回収。曇りや油汚れはあるものの、確かに血は残っていない。魔王軍は、瞑鬼と同じような死に方をするらしい。
しかし、この情報を手に入れられたことは瞑鬼にとって嬉しい誤算だった。魔王軍と戦うつもりなど毛頭なかったが、向こうから喧嘩を売られたなら話は別だ。
これを機に襲われるかもしれないと言うことを考えたら、相手のことを知って置いて損はないだろう。
携帯を確認する。今は午後九時を少し回ったくらいの時間だ。最後に見たときから、まだ二時間ほどしか経っていない。
事後処理のことを一番危惧していた瞑鬼だが、死体が消えてくれるのならば心配はない。今からすべきなのは、即刻家に帰ることである。早くしないと帰った瞬間陽一郎からお仕置きということも考えられる。
住み込みバイトに勤しむ高校生予備軍としては、店主のお怒りを買うのは自殺行為に等しい。万が一クビなんてことになったら、明日からは雑草を食べて生きていく生活になるなんてことも考えられる。
「……やっぱ、警察に言った方がいいんだよね?」
帰ろうと考えていた瞑鬼に、千紗が一言。余計だともとれる発言をする。
今この場で正解な意見は、どう考えても千紗が言った事だ。しかし、事勿れ主義の瞑鬼としては、証拠がないならば一刻も早く帰りたいところだ。
瞑鬼の中で葛藤が起こる。悪魔が勝った。
「……いや、死体が無いならいいんじゃないか?なんか、警察って証拠で動くイメージがあるし……」
冷静な対応が出来る人が、今後の世の中に求められるといいですねぇ。




