異世界人間?討伐です。
ここを読んでいる人はいるのだろうか。いや、例えいなくてもわたしは続けよう。
「…………おっ!おうっ!」
《なにか》が耳と目を抑えてもがき苦しむ。恐らくは、彼は今までその魔法ゆえにまともに攻撃を食らったことがない。ダメージに対する耐性は、夜一ほどではないと瞑鬼は考えた。
初めて出会った、柏木夜一という物理攻撃か通じない相手。そいつとの拳の交え合いを通じて、瞑鬼なりに硬い奴への対抗策を見出していたのだ。
《なにか》の魔法はとけている。これも瞑鬼が得ていた情報の一つで、ある一定以上の衝撃を外部から受けた際は、魔法回路が勝手に閉じるというものだ。本曰く、反射の一種らしい。
瞑鬼にとってはその反応が自動だろうが手動だろうがなんでもいい。重要なのは、魔法回路が閉じたという事実である。
やるじゃないか。夜一の目がそう語った気がした。
「堕ちろ」
推定70キロはあろうかという夜一の全体重を込めた、渾身の回し蹴りが呻く《なにか》のこめかみにクリーンヒットする。
瞑鬼ならば一撃で死ぬであろう威力の蹴りは、ノーガードの《なにか》の体を容易に吹き飛ばす。
壁に叩きつけられ、がはっと大量の血塊を零す《なにか》。頭蓋骨の歪みが、夜一の蹴りがいかに強力かを連想させる。
そしてその一撃をもってして、《なにか》の動きは完全に沈黙へと変わる。当たり前だ。現役格闘家の全力の蹴りを、ノーガードで受け止めて無事なはずがない。
「……ったく、お前は俺を殺す気だったのか?」
闇に消えたはずの包丁を持った夜一が、瞑鬼に吠える。しかしそういった夜一の手には怪我などなく、むしろ包丁の方が刃こぼれしていた。
「いや……、夜一なら取れるかなって。ってか、それ使えよ」
「道具を使うのと生身で蹴るのとでは発散の度合いが違うだろ」
どうやら夜一魔人はお怒りのようだ。さっきの一撃で蹴り飛ばされたことを、よほど根に持っていたらしい。
さりとて難は去り、こうして無事とは言えないが平穏が訪れた。瞑鬼は何よりもそれが嬉しかった。達成感に満ちていた。
瞑鬼の両手は自滅覚悟の猫騙しで痺れているし、顔に至っては悲惨なことになっている。しかし、誰一人として死んじゃいない。
瞑鬼と違って死んだら終わりの世界を生きる仲間たちは、どんな戦いにおいても油断なんてできるはずもない。
見た所、夜一の頭の怪我もそこまで重症というほどではない。擦り剥けて血が出てこそいるが、こうして立って話せているのだ。脳のダメージは少ないだろう。
「……殺したの?」
睨み合う二人に、千紗が恐る恐る質問を投げかける。言われてみれば、普通この状況ならばビビるのが高校生というもの。
死を経験して殺しの童貞を卒業済みの瞑鬼とは違い、夜一はあくまで一高校生のはずだ。格闘技をやっているとは言え、まさかあんな容赦無く頭蓋骨を粉砕したことなんてないだろう。
しかし、夜一は至って冷静だった。靴をトントンと整えて、感触を思い出すように眉をひそめている。
「……わからん。魔法全開で、俺も頭が飛んでいてな……。このダメージだと多分……」
改めて生物を殺したという実感が、夜一の中に湧き上がる。これまでやってきた、格闘技のKOでは済まされないことを、夜一はやってのけたのだ。
相手は魔王軍だ。それも、自分たちに明確な敵意を向けてきた。恐らくは殺意とそう違いはなかっただろう。
しかし、だからと言って何かを殺してしまうというのは、普通の高校生が背負うには重たすぎる十字架だ。瞑鬼もそれをわかっていた。
全員が息を呑む。焦る夜一の鼓動が、瞑鬼にも聞こえてきそうだ。
できる事なら、罰を背負うのは瞑鬼だけでいい。
自分だけが、この苦しみを担えばいいと思っていた。もともと親殺しでもっと重たいのを背負う覚悟はあったのだ。
けれど、瞑鬼は何も言えなかった。夜一に殺すように仕向けたのは自分。けれど、実際に殺ったのは夜一だ。計画犯と実行犯では、感じる感覚が違うのも当然と言える。
「……とりあえず、警察だな」
重苦しい空気にのしかかられたように、無駄に深妙な口調の瞑鬼。
その言葉を聞いて覚悟ができたのか、夜一も顔を上げる。
「……そうだな」
その言葉で、場には再び沈黙が訪れる。きっと瞑鬼一人の時だったら一回は死んでいた。仲間がいたからこその怪我だけで済んだ状況だが、仲間がいたからこその問題もある。
罪悪感も、一人だけならそれほど感じない。これは瞑鬼の頭が少し腐っているからだろうか。瞑鬼は分からなかった。
今この場で一番悩んでいるのは、間違いなく夜一である。それは誰の目から見ても明白だ。
「……瑞晴と千紗は、俺が電話したら帰ってくれ。お前たちは完全な被害者だ。それに、学校でなにかと言われたくないだろ」
「でも……、夜一……」
納得がいかないと言った顔で、瑞晴が夜一に目をやる。言葉こそ弱いが、その目には確かな意思が宿っている。
次に瑞晴は、「夜一だけに背負わせるのは納得がいかない」といった趣旨のことを言うのだろう。今この場で、瑞晴だけがこれは罪でないと確信している。
陽一郎譲りの頑固さが、ここに来て最大限の効力を発揮しようとしていた。瑞晴だけが持つ、真実を見分ける瞳。
それは純粋ゆえなのか、それとも魔法の世界だからなのかはわからない。しかし、瑞晴の審美眼が確かなのは、瞑鬼がすでに実証済みだ。
「夜一だけに背負わせるのは……」
「どけ、夜一」
瑞晴の発言を遮り、夜一を押しのける瞑鬼。その手には、さっき道端に落とされたはずの包丁が握られている。
鬼気迫る瞑鬼の表情から何かを感じ取ったのか、夜一は黙って道を開ける。瞑鬼はそれに一瞥だけすると、それ以上は何も言わずに《なにか》の眼前に立つ。
「……やめろ瞑鬼」
「…………」
瞑鬼がやろうとしていることに気づき、夜一の手が瞑鬼の肩を掴む。しかし、瞑鬼は引かなかった。
もう魔法回路を開けないであろう夜一を包丁で威嚇。すぐさま手を振りほどく。
そのあまりの瞑鬼の変貌ぶりに、戸惑っているのは夜一だけじゃないはずだ。先ほどまで綺麗な目をしていた瑞晴も、奇異なものを見る目で瞑鬼を見ている。
久々のバトルも、一瞬で終了しましたね。




