異世界学校、クッソ苦い。
コーヒって苦いですよね。
陽一郎が残していった最悪の爆弾発言のせいで、瞑鬼はイマイチ調子よく話せない。学校史上一番ふざけてはいけない人の前でとんでも無いことを口走られたのだ。瞑鬼の頭が戸惑うのも無理はないと言えるだろう。
「あ……、お、お願いします」
正直いって帰りたかった。今すぐにでも帰って、果物を切る作業に熱中したかった。それほどまでに、単独で校長室というのは学生には辛すぎる。それも、褒められることも叱られることもしてないのに。まるで最初からラスボスのステージに挑むレベル5の勇者の心情である。
ドリップされたコーヒーを飲む。かなり苦い、大人の味だ。しかし不味くない。
コーヒーは眠気覚ましのドラックという扱いをしてきた瞑鬼にとっては、この黒豆の煮汁を美味く飲めるのは大発見だ。ここの学校の校長先生は、バリスタも兼任できるらしい。
「さて……、君の経歴なんだが……。全て空白ってどういうこと?」
「ええ……、と。そうですね、魔女特区出身って言えば……、わかります?」
わかりませんと言われれば、瞑鬼の策はそこで終わる。しかし、陽一郎ですら察せたほどの衝撃はある事実だ。これを知らない校長なら、瞑鬼の方から願い下げである。
校長はふーんと腕を組むと、やがて何かを悟ったように言葉を絞り出した。
「……ほう。あこの出か……」
何やら何かを考えているらしいその目は、すでに少年時代のそれに戻ってしまっている。すなわち、全てにおいて並々ならぬ探究心を抱いてしまう、少年の時代に。
しかし、そこは校長もプロの社会人。初対面の人間に根掘り葉掘り聞くのはハードルが高いのか、諦めたように息をつく。
瞑鬼の心にはある疑問が浮かんでいた。それは、きっとこの校長の様子を見ていて思い出したことだ。何故瞑鬼はここにいれて、何故編入なんて時期外れの話が通るのか。
他でもない、全ては陽一郎のおかげである。しかし、ただの青果店主人のはずである陽一郎が、どうしてそこまで影響力を持つのか。瞑鬼はそれが知りたかった。本人からは何も聞いていない。てっきりここの編入の件も、この二人がたまたま知り合いだったから発生した話だとばかり思っていたが、よくよく考えればその程度のことで空白だらけの人間が高校に入れるわけがないのである。
深まる謎を足りぬ頭で考えながら、瞑鬼は校長の言葉を待つ。しかし肝心のおじいさんからの返信はなし。目の前にいるのにも関わらず、頭の中の誰かとの会話に必死のようだ。
「まぁ、魔女特区ならば仕方ないな……。素行も問題なさそうだし、試験さえ受かれば後はどうにでもなるだろ……」
校長の口から出たとんでもない言葉を、瞑鬼は見過ごさない。と言うより、見過ごせるわけがなかった。
「……試験?」
「あぁ。編入には試験があってな。うちの学校の場合だと、筆記と魔法試験の点数を合わせて」
またもや飛び出す瞑鬼が知らない単語。当たり前だが、この世界は瞑鬼が知っている前提で話が進められるのだ。従って、いちいち話の腰を折るわけにもいかず、瞑鬼のできることは黙って言葉から意味を予想することだけである。
筆記に関しては瞑鬼も問題ないだろう。高2であるとは言え、まだ新年度は始まって数ヶ月しか経ってない。テストが出るとすれば、一年の範囲のみのはずである。
決して成績優秀とは言えない瞑鬼だが、それでもこの高校に入学できるだけの基礎力は一応ある。ギリギリではあるが、勉強すれば何とか受かるだろう。
「瞑鬼くん、勉強はできる方かね?」
突然降り注いだ答えに困る質問。ここでハイと言おうものなら、さぞかし難しい編入試験が用意されることだろう。実力を測るには、なるべく解けないギリギリの範囲を突くのが手っ取り早いそうだから。
しかしイイエなんて言ってしまえば、その瞬間にさようならと言うことも考えられる。いくら魔法の世界とは言え、勉強する気のないやつが入れるほど学校は甘くないだろう。
しばしの間熟考し、瞑鬼はこの場合の最適解とも呼べる答えを導き出した。
「……まぁ、やればできると思います」
しかし、言葉を発した直後に気づく。これでは、まるで今まで全く勉強してないことを暴露しているようではないか、と。
だが、瞑鬼の設定は魔女特区出身。それならば勉強をしていなくても仕方ないはずだ。そんな淡い期待を込め、瞑鬼は校長の顔を見る。
「…………模範的だね」
「……すいません」
わけもなく謝ってしまうのは、おそらく瞑鬼が日本人だから。幼い頃からの学校教育の賜物である。社畜を養成する日本の教育機関が生み出した、理想的な生徒像と言えるだろう。
「まぁいい。本来のテストは明日だけど、君の編入試験は一週間後にやる予定ね。そうでもしないと、この世界は公平じゃないからね」
そう言うと校長は、テーブルの上から一つの封筒を持ってくる。中々に厚いそれを開くと、結構な数の書類と学校のパンフレットが入っていた。何てことない、ただの入学案内の書類である。
目を通しておくように、と校長が言う。そんなこと言う前に試験が先だと思うのだが、どうやらこの校長は瞑鬼がもう受かること前提で話を進める気らしい。瞑鬼からすると、なんとも頼もしい先生である。
何枚かの書類に目を落とす瞑鬼。あるのは、住所登録票、身体検査票に魔法登録票である。ここら辺はどこの世界でも共通らしい。
書く気も失せるその書類たちを丁寧に封筒に戻すと、今度は厚紙印刷のしっかりとした学校紹介パンフレットを取り出す。サラサラとした表紙に、角を触ると痛いページたち。何枚かめくると、いかにも楽しそうな表情を作った生徒たちの写真が貼られていた。遠足に修学旅行、他には職業体験のものもある。そのどれもが殆ど魔法を使っているシーンで、みんなの身体には魔法回路が薄っすら浮かび上がっている。
これを見る限り、日常生活で魔法を使うことは特に制限されてないらしい。普通なら国が何でもかんでも馬鹿みたいに制限するのが瞑鬼の世界だが、こちらの世界は頭の中身もゆるゆるだそう。
いつでも使っていいよと言われれば、誰しも魔法を使える高校生。それは使うだろう。ここぞとばかりに使うだろう。
しかし飲んでしまう。大人ぶりたいお年頃。




