異世界学校、登校です?
久々の登校……。うっ、悪夢が。
学校は昼で終わるらしいから、仕事の昼休みにでも行けばいいだろう。どうせそんなに時間をかけるつもりもない。
転校経験のない瞑鬼にとって、初めての学校というのは接し方が不明すぎた。瞑鬼からしたら、クラスにいる誰もかれもが見知った人物である。しかし、向こうは瞑鬼の名前どころか顔すら知ってはいないのだ。これなら、どちらともに初対面であった方がまだ違和感なく接することができるだろう。
ぼんやりと先のことを考えていると、陽一郎からサボるなとの一声。別に客が一人もいないからサボるも何も無いのだが、確かに陽一郎の言い分も最もである。就業時間中である以上、一応は気を入れていなければならないだろう。
「……暇だな」
「…………ですね」
しかし、瞑鬼が気を引きしめたのもつかの間、今度は陽一郎がいかにもやる気なさげな声をあげる。朝から果汁まみれになるのはもう飽きたらしく、手には煎餅が握られている。もちろん、ぬるいお茶もセットで。
「……将棋でもするか?」
「……いいんですか?」
「……客いねぇしなぁ……」
ですね、なんて言える空気じゃ無い。もしここで間違った発言をしようものなら、即座に陽一郎からリンゴボムを食らう恐れがある。
ただでさえ朝しか客が来ない店で、一人果物を切り続けるのは精神的に込み上げてくるものがあるのだろう。瞑鬼とて一応は社会人。社長の今日の機嫌くらいは分かるし、それに対応するためのマニュアルも作成済みだ。
黙って二人で過ごす事一時間。その間に来たのはたった5人だけで、その誰しもが死んだ目をした営業スマイルに苦笑いだった。詰まる所、陽一郎は死ぬほど不器用なのである。
だが、瞑鬼にとってはこんな些細なことを知れただけでも収穫と言える。何か一つでもこの世界のことを知れれば、それだけで御の字なのだ。
暗く沈んだ陽一郎を精神の沼地から引き上げると、次に待っているのは重労働である果物の配達だ。どう考えても陽一郎が車で運んだ方が時間的にも果物にも優しいと思う瞑鬼だが、いかんせん店長命令とあらば従うしか無い。いつも通りの重たい自転車に跨り、鉛のようなペダルを漕ぐ。訓練の成果もあってか、今では最初よりかは断然楽だ。
溢れんばかりの活気を周囲に撒き散らしながら商店街を練り歩く。住所を確認し、その度にあちらへこちらへえっちらおっちらと。毎日同じなようで、実は毎日細部が異なる街を見て回るのは、瞑鬼にとっても都合が良かった。ここに自分はいるのだと、確かな実感が持てるから。
一軒の不備も出さずに、完璧に仕事をやってのけた瞑鬼。家に帰ると、陽一郎からお昼からは休みだということを告げられる。何でも、しっかり学校がどんなところか見てこいとの事だそう。
もう知ってますなんて言えるはずもなく、瞑鬼の午後からはフリータイムとなってしまう。有給が何日あるか分からないが、この分だと夏休み中には完全消費してしまいそうだ。
休憩を兼ねた店番をしていると、思ったよりも早く時間が過ぎてくれる。瞑鬼が気がついた頃には、もう時計の針は十一時を回っていた。
「そろそろ行くか?」
隣で近所の爺ちゃんよろしく煎餅をかじる陽一郎から一言。その声は若干の憂いでも帯びているのか、瞑鬼の耳には明るく聞こえた。
「……はい」
そう返事をすると、瞑鬼は店の奥へと入ってゆく。学校へ行くという名目上、正装をしていかなければという常識があるらしい。
洗濯済みの籠の中から、適当な上下セットを取り出す。派手でもなければ控えめでも無い。取り敢えずは初日にクラスメイト候補から顔を覚えられる心配はなさそうだ。
どうやら陽一郎も学校についてくるらしい。保護者なのだから当然といえば当然だが、二人並んで校長室へ行くのは高校生にはなかなか恥ずかしい。しかし、ついてくるな、なんて普通の高校生のような事も言えるはずもなく、瞑鬼に出来るのはこの転校生という状況を喜ぶことだけである。
しっかりと顔を洗い、二度目の歯磨きを。これから学校のトップへと会いに行くというのに、まさか不清潔なまま行くわけにはいくまい。そんな事をすれば、瞑鬼を紹介した陽一郎の顔にも泥を塗ってしまう。
「準備できたか?」
「……一応」
それなりに男子高校生らしき服装をした瞑鬼。できるならば制服で行きたいところだが、ズボンしか無いのなら仕方ない。学生らしく筆記用具一式をスクールバッグに詰め、気合を入れて向かうは天道高校だ。
家の裏で待っていると、陽一郎がワゴンカーとともに参上した。銀色に輝く無骨な車。車体の側面には、桜青果店のシールが貼られている。
初めて見た、この家の車である。倉庫に眠っているのは知っていたが、瞑鬼が相見えるのは一度目である。ガソリンが入ってなさそうな音を鳴らし、陽一郎が窓から顔を出す。ここだけ切り取って見たら、完全に田舎のヤンキーである。
くいっと陽一郎が左手の親指で助手席を指す。まるで積年の相棒に言葉無しで意を伝える探偵よろしく、慣れた手つきだ。どうやら性格的に車に乗ると擬似ハードボイルドが発動してしまうらしい。
カバンを右手に、車の左側へ回る。少し重ためのドアを開き、よいっと体をシートに乗せる。硬いシートの感触に、随分と久しぶりのような感覚を覚えた瞑鬼。
最後に車に乗ったのは、恐らく離婚調停の時だ。あの時だけは、珍しく義鬼が学校まで車で迎えに来たのだ。ヤニ臭い車内に、馬鹿丸出しの内容だったのをよく覚えている。
一方陽一郎の車からは、当たり前だが陽一郎の匂いがした。性格にいうと、いつもの家の匂いである。その中にほんのりと香る芳香剤。無骨な車には似合わずに、フローラルブロッサムなんてのを使っている。
「……道順わかるか?」
「……ええ、まぁ」
そうか、と言って陽一郎は車を発進させる。小刻みに震えるエンジンの振動が、何とも眠気を誘ってくる。ここ最近の瞑鬼の平均睡眠時間は四時間程度。一般的な高校生の平均と比べて、およそ一時間以上も差が開いてしまっている。元来夜型の瞑鬼が、頑張って早寝をした結果がこれである。
見慣れた街を、法定速度ギリギリで飛ばす陽一郎。別に遅れそうなわけでも急いでいるわけでもないが、どうにもアクセルをふかしてしまうらしい。その証拠に、信号待ちの度に一度眉が釣り上がる。何となく観察していた瞑鬼が見つけた、すごくどうでもいい情報である。
車の荷台には空の段ボールが乗っているのか、やけにガラガラという音がする。吸音効果が無いということは、即ち何か硬いものでも積んであるのだろう。
追記、特になし!




