異世界漢気、見せつけます。
この日常が続きますように。
心地よい気分に浸りながら、瞑鬼は部屋の扉を開く。その前にいた小さな影に気づかずに。
「痛っ!」
「……あ、悪い朋花」
部屋の前には朋花がいた。風呂上がり直後なのか、まだ髪の毛は濡れていて、肌も火照っている。この暑い夏なのに、たっぷりと湯船に浸かって来たのだろう。その気持ちは瞑鬼も共感しうることである。
肩を少し越すくらいの黒髪を揺らしながら、小動物のような小学生は抗議を申し立てる。
「このロリコンっ!ちゃんと前見て開けてよね!…………あれ?ってかそこ瑞晴の部屋……」
「悪かったって」
謝る瞑鬼の無いなりに絞り出した誠意など露知らず、朋花は部屋の中をのぞいている。瑞晴とアイコンタクトでも交わしているのだろうか。時折目をしぱしぱさせ、無駄に多くのまばたきをしていた。
瞑鬼の顔と瑞晴の顔を交互に見る朋花。その純真な瞳の奥で何を考えられているかは知らないが、どことなく瞑鬼は嫌な予感がした。
なんども死を体験したからこそわかる、危機察知能力の発達。そしてそれがある事により、今度は次に朋花がどんな行動を起こすのかわかってしまった。分かったのだが、止められる勇気が瞑鬼には無い。
何かを察した探偵よろしく瞳孔を開く朋花。そして、瞑鬼が恐れていたことを小声で呟き始める。
「……初めてで、緊張して、色々知れた……」
単語で区切り、瞑鬼の心が抉られる祝詞が告げられている。確かにこの家の扉はそこまで厚くはないだろう。しかし、だからと言って見事に漏れてはいけないワードだけが外に聞こえていたようだ。
小さな頭で壮大な何かを想像したのだろう。瞑鬼を睨む朋花の顔は朱色に染まっている。そして、それは同時に瞑鬼の瞑鬼の終わりを告げるメッセージでもあった。
部屋の外の異変に気付いたのか、瑞晴がシャーペンを置き部屋から出てくる。
「……どうしたの?朋花ちゃん」
「うぅ……、瑞晴が……瑞晴が……」
「…………まて、お前まさか」
気付いた時には既に遅し。時代は瞑鬼の先を行く。
きっ、と朋花が顔を上げたかと思うと、次の瞬間瞑鬼の脛に劇大な衝撃が走る。直感でわかった。ついに朋花までもが瞑鬼に暴力を振るい出したのだと。
朋花の渾身の蹴りが瞑鬼の弁慶を盛大に泣かせにかかせた。いくら相手が小学生とはいえ、急所を蹴られても痛くないほど瞑鬼の脚は鍛えられていない。
軽い悲鳴をあげ、痛みと言う名のアラームがなりやまない脚をさする。その隙を突かんと言わんばかりに、朋花は全力で階段を降りていく。
瞑鬼の予想していた最悪の事態が、現在進行形で更新されている。このままでは、本当に危険が迫ってくるだろう。例え生き返る魔法があったところで、なるべく痛いのは避けるのが瞑鬼流だと言うのに。
「……大丈夫?というか、どうしたの?」
「…………やばい」
覚悟を決める瞑鬼。何も察していない様子の瑞晴。今はただ、その事実だけがもどかしい。
一階から扉を開く音が聞こえた。どうやら陽一郎は既に帰還していたらしい。ただいまが聞こえなかったのか、それとも言ってないのか。緊張でそれどころではなかった瞑鬼にとって、その二つの違いは重要だ。
どんどんという足音と、もう一つ軽い足音が二人のもとに近づいてくる。片方はさぞかし大柄の男なのだろう。そんな人間が床をぶち抜く勢いで歩いてきている。
瞑鬼は心の底から思った。今すぐ逃げ出したいと。
「はぁ〜じめてぇー。きぃ〜んちょ〜う。お知り合いぃ〜?」
野太い声が聞こえた。本人なりに精一杯ピエロを演じようとしているのか、やけに声が高い。高いのに野太いのだ。
徐々に姿が見えてくる。どうやら声の主は六尺以上の巨漢らしい。
「くぅらきくぅ〜〜ん。ちょっと話をしようかぁ〜?」
何気に言葉の語尾が上がっている。怒れる人間の特徴である。
瞑鬼の眼前に、筋肉質な大魔王が立ちはだかる。もう立っているのもやっとだった。
「い、いや……、陽一郎さん。……これはその……」
「違うってのか?あぁ?瑞晴と二人きりで部屋にいて、なおかつ襲えないほど魅力がないと言いたいのか?おおぉん?」
一体何をしたらこんなに興奮できるのかと思えるほどに、陽一郎は憤慨していた。確かに、気持ちは瞑鬼にもわからなくはない。妻に先立たれ、愛する愛娘も変な男に寄っていったとなれば、その怒りはもっともだ。
しかし、瞑鬼はまだそんないわれを押し付けられる覚えがない。かと言って今ここで勉強などと言い訳をしても、燃えた太陽に水をぶっかけるより意味がない。というよりも寧ろより一層脳内核融合を促進してしまうかもしれないのだ。
命の危機を覚え、瞑鬼は必死に走馬灯を探っていた。まだ生き残るルートもあるはずである。
懸命な構内会議の末、出た結論はこれだった。
「魅力はあります!その上で襲いたい欲求にも駆られましたよ。男子高校生ですから。でもまぁ、さすがにそれはやってないです。というか
何もしてないです」
陽一郎の目を見てしっかりと告げる瞑鬼。ここで逃げたらそれこそ意味がない。最後の方が若干小さくなってしまったが、それでも十分に聞き取れたハズだ。
「……やるな、ロリコンのくせに」
朋花がボソッと呟いた。何のことかわからないといった顔をする瞑鬼。夢中のあまり、自分で何をいったのか思い出せないらしい。
しばし硬直。そして数秒後冷静になると、自分で言ったことを思い返し、瞑鬼の顔面は炎上騒ぎとなる。この上ない場で言えたことは良かったのだろうが、それだとまた別の語弊が生じてしまう可能性もらあったはずだ。
見ると、瑞晴は当たり前だが赤面していた。理由はともあれ、二人して陽一郎の前で顔を染めてしまっている。
「…………ったく。俺じゃなかったら殴られてたぞ、瞑鬼」
瞑鬼の力説が効いたのか、陽一郎の肩から力が抜けてゆく。顔自体はまだ歪みが残っているが、どうやらひとまずは許してくれたらしい。
安堵する瞑鬼の頭を、不意に大きな手が包み込んだ。下を向いていてもわかる。なんども掴まれた、この手の感触が誰のものなのか。
止めてくれる人も、叱ってくれる人も瞑鬼にはいなかった。何をするにしても、常に一人だけで行動していた。しかし、今は違う。
メリットなんて無いと思った異世界転移だったが、今だからこそわかる。最高のメリットなんてのは、案外身近にあったのだ。
「……ガキはもう寝ろよ?」
「…………はい」
全てが終わったら、こうして日常を送ってゆこう。それまでの道中に何をやらかしても、きっとこの素晴らしい日々が癒してくれるはずだ。
この世界の一員として生きてゆこう。今日の空は、瞑鬼に人の心を芽生えさせるにはうってつけだ。何せ、完全なフルムーンなのだから。
何もしなくても時間は過ぎてゆく。瞑鬼の時間、瑞晴の時間。
そして時は流してくれる。嫌な思い出も、過去の記憶も。
なんだかそれっぽくなって来ました。




