異世界生活、本番です
一通り魔法について確認し終えると、今度は本屋へと向かう。最新の魔法本を確認するためだ。
近日発売された本のコーナーへ行き、魔法に関する書籍を手に取って確かめる。数ページめくっただけで、わからない単語が軽く100個近く出てきたが、それについては後からいくらでも調べられる。取り敢えず、今の瞑鬼にとっての最優先事項は情報の確保なのだ。
新たな発見をするために方々を駆け巡っていると、いつの間にか学校の方から終業のチャイムが鳴っている。本日の学校は終了したらしい。となると、これから部活に入っていない生徒がここに来る確率が高まる。
別に見られても問題はないと思った瞑鬼だったが、それでもやはり向こうとこちらとに記憶の差異があることを気にしたのだろう。早々にショッピングモールを後にすると、猫を回収し公園へと足を向ける。
「結局バイト見つかんなかったし……、どうすんだよ」
空を見上げると、瞑鬼を嘲笑うかの様に真っ赤な太陽が地平線へと沈んでいく様が窺える。
これから先のことを考えると、ため息しか出てこない瞑鬼。そうなるのも無理は無いよ、と誰かに励ましてもらいたいのに、その相手がいない様では話にならない。
公園へ向かう途中、何人かのクラスメイトとすれ違う。誰も彼も友達とのお喋りに花が咲いている様で、昨日まではクラスの一員だった瞑鬼の存在に気付きすらしない。
その生徒たちを見ていると、ふと一人の女生徒に目が止まる。瞑鬼の記憶の中にある彼女の名前は桜瑞晴。同じクラスで、瞑鬼の一つ前の番号の人である。入学式の日にたまたま話したのが功を奏したのか、その後もグループワークなどになると不自然なく話せるくらいまでには関係が進展していた。
部活をやらないとは聞いていた。何でも、家の手伝いが忙しいとか。一人で帰っているのも、その手伝いとやらのせいだろう。
瞑鬼にとって学校とは両親から距離を置く場でしかない。そのせいで友達と言える存在は片手で数えられるくらいしかいないらしい。つまり、彼女はその数少ない瞑鬼の友人の一人なのだ。
「いきなり話しかけたら、流石に怖がられるか」
瞑鬼は彼女を知っている。しかし彼女は瞑鬼を知らない。今はその事実だけがもどかしい。もし記憶さえあれば、協力してもらうこともできたかもしれないのに。
あきらめかけた瞑鬼の顔色を見て何かを思ったのか、隣を歩いていた猫が大地を蹴る。
「あっ……、おい」
制止する瞑鬼をよそに、猫は一直線に瑞晴へと駆けゆく。そして、軽々とした身のこなしでガードレールに飛び乗り、更に瑞晴の自転車のカゴへと飛び移る。
「きゃっ!」
いきなりカゴに猫が入ってきたことに驚いたのだろう。瑞晴はバランスを崩し、自転車ごと歩道側へとすっ転ぶ。
一連の流れをただ黙って眺めていた瞑鬼。見た所お互いに怪我はないらしい。起き上がる時に少し足を押さえた様な気がするが、すぐに治る範疇のものであると願いたい。
「痛っつ〜。全く、どこの子猫ちゃんかな?」
自転車を起こし、瑞晴が猫に話しかける。事故を起こした犯猫は、どうやら無視を決め込む姿勢らしい。プイッと瑞晴の質問を無視すると、飼い主である瞑鬼に助けを求める様に喉を鳴らす。
「この子、あなたの猫ですか?」
「えぇ……。すいません、いきなり。大丈夫ですか?」
あまりの瑞晴の優しい心意気に、思わず瞑鬼まで丁寧な言葉遣いになる。昨日まではタメ口で話していた二人とは思えない。
「いえ、大丈夫ですよ。それより、可愛い子猫ですね」
倒れたことよりも、可愛い猫に出会えたことの方が瑞はにとっては事件だったらしい。既にその意識は完全に猫と瞑鬼に向けられている。
「あ、ありがとうございます」
「お名前、なんて言うんですか?」
「神前瞑鬼です」
「え?」
「え?」
二人の間に沈黙が流れる。何か間違いをしでかしてしまったのかと考える瞑鬼。何秒か経って、それで漸く自分がバカな勘違いをしたことに気づく。
「あ、あぁ、猫の名前ですか」
「はい……。猫の名前だったんですが……」
しかし、猫の名前を聞かれた所で大して問題は好転していない。まだ瞑鬼はこの猫の名前を決めていないのだ。足りない頭をフル回転させ、歴史の偉人伝を紐解く。
「えっと……、関羽です。関羽」
脳裏をよぎった言葉をそのまま口に出す。どんなことをした人物かはよく分からないが、有名なのは確かだろう。
しかし、やはり猫の名前として考えると何か思うところがあったらしい。瞑鬼は少し後悔したような顔をする。
しかし、そんな瞑鬼の心配など瑞晴には関係ないらしく、愛想笑いから本物の笑顔へと表情を変えると、
「関羽ちゃんですか。まぁなんとなく逞しいですもんね。中国の武将とかお好きなんですか?」
と、優しく返事をする。
いつも通りの反応。初対面の人とでも、その優しさを感じさせる話し方に瞑鬼は覚えがあった。
入学式の日。たまたま席が前後だっただけで、続々とできる女子グループを意に介さず喋りかけてくれた。そのおかげで、瞑鬼の周りには瑞晴を通して段々と人が集まるようになっていた。
普段は話さない。ただ、周りの人間の話を聞いていただけの瞑鬼だったが、本人もそれはそれで居心地が良かったらしい。そんな生活が一ヶ月ほど続いた後、瞑鬼はぱったりと人との関わりを絶ったのだ。
「そう……ですね。三国志とか」
「あぁ〜。あれ面白いですよね」
「えぇ……」
「……」
会話が途切れる。沈黙が重く瞑鬼にのしかかり、何かを話さなければと余計な緊張を生み出す。