異世界自室、発見です。
瞑鬼くんが見つけたものとは……。
丁度ワインを飲むときに使うような形で、色は金。恐らくは金箔ではなく純金だ。触ってみれば本物かどうかが一発なのだが、流石に触るわけにはいかない。いくら瞑鬼の指紋がこの世界に存在しないとはいえ、敵に与える情報は少ないに越した事はないだろう。
「……イギリスあたりのお土産だな……」
さしたる問題はないと判断したのか、瞑鬼はショーケースから視線を外す。息子にはお土産など買ってきたことがない義鬼が、娘には買ってくる。怒りまではないにしろ、瞑鬼はなんともいえない複雑な気分になる。
その後も部屋を調べて見たが、変わったものは特になかった。少しばかり魔術チックな儀式用具の様なものがあったが、魔法がある世界では許容範囲と呼べる量だろう。瑞晴の部屋にあるのと大差はない。
指紋を残さぬ様、丁寧にドアノブを袖で拭い、瞑鬼は部屋を後にする。
自分の部屋に入っただけの筈なのに、嫌に罪悪感が襲ってくる。まるで、本当に他人の家に侵入した時の様な感覚だ。そんな事をしたことがない瞑鬼でも感じ取れるのだから、相当に罪な事なのだろう。
しかし、いくら瞑鬼の行為が犯罪とはいえ、瞑鬼には名分がある。自分を殺した相手の家に入り、情報を探っても悪くないというのが瞑鬼の結論だ。殺人を免罪符に、家に押しかける。やっている事は町の不良と大差ないが、しかし瞑鬼にはそんなことを気にしない精神力がある。
しんとした廊下の上で、一つ時間の確認をする瞑鬼。まだ警察との約束の時間には余裕が有り余っているだろうが、問題はそこではない。お昼になると、どちらかが帰宅する可能性があるのだ。昼飯を会社に持って行っているかどうかなど、瞑鬼の知った事ではない。
そもそも、二人が本当に仕事に行っているかどうかさえ、瞑鬼にはわからないのだ。手の込んだ殺人をする明美が、普通の人間として社会に紛れ込んでいる。そんな事は考えにくい。
それに、あの部屋の主。瞑鬼は部屋の家具などから勝手に学生と解釈したが、ひよっとしたら社会人である可能性も十分にある。ニートで今はたまたま家にいないが、昼になって腹が減ったら帰ってくるなんて事も想像できる。
携帯電話は午前11時50分を告げていた。そろそろ焦らねばならない時間だろう。
そう瞑鬼も思ったのか、先ほどよりも素早い手順で今度は明美の化粧ルームへと踏み入ってゆく。
「…………くっせぇな……」
入って一番、瞑鬼の鼻腔に侵入してきた匂いは、いつも通りといえばいつも通りの明美の香水の匂いだった。相当にどぎつい花でも使っているのか、その香りを嗅いだだけで瞑鬼の頭は明美に対する怒りで占められてしまう。
それに、漂っているのはそれだけではない。何かの術式に使うであろう怪しげな水晶や、一体何を調合しているのか不明な試験管などが部屋のいたるところにある。それに、お香も焚いているようだ。
「……あのクソババア……、何してやがる……」
鼻を押さえ、なんとか瞑鬼は平静を保つ。こんなところで失神なんてしたら、帰ってきた明美に八つ裂きにされてもおかしくないだろう。それに、明美に瞑鬼が生きていることがわかれば相当に面倒臭いことになる。
この世界では珍しい、死んでも蘇る魔法。その持ち主が近くにいるとなれば、なりふり構わず魔女が捕獲に乗り出すかもしれない。三つ巴の一角とも呼ばれている魔女たちなら、是が非でも手に入れたい能力だろう。
しかし、どうしてそこまで魔女が若い人間にこだわるのか。その謎が瞑鬼の頭の中をチラついている。
明美が襲ったのは朋花の家。あのなんの変哲も無い家を、一家皆殺しにする勢いで押し入ったからには何かそれ相応の理由がある筈だ。と瞑鬼は考えている。
両親を殺したことから、目的は親でないことが判明。もしも明美がただ単に殺しを依頼されただけで、その他には標的などいないのなら、あの場にとどまり何かを探す必要はない。連れてきた魔獣に死体を喰わせ、早急に家を焼けば任務は完了する。
それなのに、明美は家にとどまった。そして何かを探していた。瞑鬼が見た限りだと、恐らく探していたものは家に必ずあるもの。朋花の両親が人間側の重要人物であった可能性を考慮すると、恐らくは書類。例えば、魔女討伐の作戦書や重要な基地の地図、それでなければ魔術触媒や魔法の使い方が書いてある本。それ以外では、金や快楽という可能性もあるが、これらは低いだろう。
瞑鬼を切った時の明美の顔は恍惚そのものだったが、アレは殺人を楽しむものの眼ではない。庭にいるアリを踏み潰した時のような、圧倒的なまでの強者感からくる一時のアドレナリンの放出に過ぎない。
何せ、瞑鬼はほんものの眼を知っている。二度と見たくないくらい記憶に刻まれた、本当の鬼の眼を。
「……なんだこれ……」
部屋を探索していた瞑鬼の目に、一冊の本が止まっていた。古ぼけた装丁に、なん度も繰り返し読んだであろう手垢。白っぽい表紙が少し黄ばんだ所から、そこそこの年月が経過したのが伺える。
明美の化粧台の上に置かれていたその一冊を、瞑鬼はじっと見ていた。もちろん、これをどこか別の場所で見ただとか、記憶に呼びかけてくるものがあるということはない。
文字にしても、どこの言語を使っているか不明なくらいに読めないものだ。少なくとも高校生が知っている字体じゃない。アルファベットでもキリル文字でもひらがなでもない。
「…………魔女の言語か?」
恐らく瞑鬼の推測は正解だ。魔女独特の文字によって描かれた、魔女だけの本。
その内容が、瞑鬼はどうしても気になった。もちろん読めるわけがない。しかし、綺麗に綴られた本を見ると紐解きたくなるのが根暗魂。全部で30ページほどしかない薄さだから、見るだけならそう時間はかからないだろう。
唾を飲む音が聞こえる。手汗なんてかいている場合じゃないのに、緊張から尋常じゃないくらいに分泌されている。心臓の音がひどくうるさかった。
表紙をつまみ、そっと本を開く。少し硬めのブックカバー。手触りは思ったよりも気持ちいい。
一ページ目。表紙であろう絵と共に、作者名とタイトルと思しき文字がある。当然読み飛ばす。二ページ目。ここから物語は始まりのようだ。
だんだんと読んでゆく。どうやら絵本形式のようで、ページごとに違うイラストが描かれていた。
しかも、本に直接描いてある。魔女の印刷技術なのか、それともオリジナルの本なのか。
続きを読む。話がだんだんと理解できてきた。どうやら本は絵だけでも案外伝わるらしい。
ページをめくる手に汗が滲み、その度に掌を拭う。読んで読んで、読んで。最後のページ。読了だ。5分くらいしかかかってない。読み飛ばしは敵派の瞑鬼だったが、どうやら今日からそちら側の人間らしい。
しかし、この本を読み終えた今、瞑鬼はそんな派閥争いなんてどうでもよくなっていた。そんな事よりも、今日一番の衝撃を既にくらっている。
また息を呑んだ。ごくり、と音がするほど大きく。
そして、誰に言い聞かせるわけでもなく、一人ポツンと呟いた。
「…………魔女の、教育本……?」
魔女の言語、人間には解読不能?




