異世界探検、始めます。
こんなにゆるゆるとした日常の裏にも、魔王軍の恐怖が潜んでいるという事実。
朋花がウチに来てから丁度一日目。警察からの要望によって、朋花は桜家が預かることになっていた。両親は既に無く、親戚とも疎遠な朋花にとっては、心許せる瑞晴の元が一番ストレスが少ないだろうと言う見解だった。
実際、来ると決まると案外何とかなるもので、部屋も金もひねり出せない事はないらしい。
部屋は余っていた最後の一つを。どうやらあそこは客人用の部屋だったらしい。これだけの大きな家を維持できるのも、田舎特有の物価の安さの賜物だろう。
それにしても、一体陽一郎が青果店の稼ぎだけでどうやって生計を立てているのか。まだバイトで、店の資金管理をしていない瞑鬼には知る由もない。
「……まぁ、深く考えん方がいいな……」
今はまだ就業時間。余計なことを考えていては、店長直々に減給を宣言されるかもしれない。
ふっと息を入れ替え、瞑鬼はレジの前に立つ。
店を開けていると、嫌が応にも目の前を通る学生に目がいってしまう。どこの制服かわからない高校もあれば、時たま瞑鬼と同じ学校の制服も見かけていた。
こんな普通の平日に道行く学生を眺めるなんて、中学生の時にインフルエンザになった時以来である。
そもそもこの世界。異世界とは名ばかりで、やっている事もやらなければならない事も、元の世界と大差ないのである。魔法があっても人は働くし、勉強だってする。
そんな中に一人放り込まれた瞑鬼は、どこか傍観する様な目でこの世界を見ていた。しかし、それは一日前までの話。今の瞑鬼にとって、こちらの世界は紛れもなく自分が生きるべき場所となっている。
人が死んで初めて、自分の中の責任と向き合うことができた。誰かの悲しみを感じて初めて、苦しいのは自分だけじゃないと実感できた。それだけでも、今回の異世界旅行は成功と言えるだろう。
「口元がニヤついてるぞ」
ぼーっとしていた瞑鬼の頭を、陽一郎がその大きな手で鷲掴みにする。気分としては、これから解体されるりんごのそれに近いだろう。
「……いや、なんかいいなって思って……」
瞑鬼が少し微笑みを漏らす。その光景が、陽一郎にとっては物珍しいものだったのだろう。こちらも少しばかり口角を吊り上げ、笑顔らしい顔を作る。
朝の太陽が作るのんびりとした日差しの中、居眠りもせずに来た客を捌く瞑鬼。そんな機械的な作業をこなしていると、いつの間にか時計の針は十と十二を指していた。実に三時間ぶっ通しの労働である。
ばきばきと鳴る背筋を伸ばし、一旦店の奥へと引っ込む瞑鬼。どうせこの時間は客なんて来ない。
居間でお茶を飲んでいると、扉が開き陽一郎が顔を出す。
「おう、おつかれ」
「おつかれ様です」
それを最後に、二人の間に沈黙が流れる。話したい事はあるのだが、どうにもそれを言葉にできないのだ。
これ以上ないくらいの幸せを噛み締め、瞑鬼は茶を啜った。少し渋い味も、今は深みだとかコクだとかの、如何にもな文句を垂れる材料になる。
平日の朝からこうして働いているなど、瞑鬼にとってはあと何年か先の光景のはずだった。高校を出て、その後は国公立の大学、ないしは就職を考えていた人間にとっては、いい予行練習なのかもしれない。
「……そういえば、今日昼から警察行くんだろ?」
お茶菓子として出された煎餅をかじっていると、不意に陽一郎が話題を振った。
ええ、と首を瞑鬼は首を縦に振る。今日はお昼から、火災の件で警察へ行かなければならないのだ。その際に提出する身分証明書については、陽一郎がなんとかしてくれるらしい。保険証の一つでも作ってくれるのだろうか。
「……生存者が俺だけなので、必然的に……」
「そうか……。まぁ、なら今日はもうあがっていいぞ。どうせ客来ないだろうしな」
「……はい」
去り際にもう一度だけお疲れと言い、陽一郎は扉の外へ消えていった。後に残されたのは、温い茶をちびちび啜る瞑鬼だけ。
何をしようか、と瞑鬼の頭は湧いて出た休暇に対し全力で回転を始める。しかし、金なし友なしの瞑鬼にとっては、実は休みというのは案外辛い。それでなくてもこの田舎、遊ぼうにも、カラオケ程度しか行くところがないのだ。
何気なく首筋に手を回す。しっかりとつながっている。傷なんて一つもない。
ただし、それは瞑鬼にだけ言える事。自分自身はどれだけ傷つこうが生きているが、他の人はその限りではない。この世界で、はみ出し者は一人でいいのだ。
「……行くか」
どこへ行くのか。来週もお楽しみに。




