異世界湯浴、月光です。
野郎同士の絡みは見たくないんですか?良くないですか?
背もたれも何もない椅子に、その巨体が随分と目立っている。戦場にでもいるのがお似合いな、剛健な父の背中は、瞑鬼には何かとても大きなものに見えた。
「……はい」
随分と懐かしい、それこそ、瞑鬼が四、五歳の時のような感覚を覚えながら、湯船から身体をあげる。今更タオルなんて必要ないだろう。そう思うからこそ、陽一郎だって裸一貫で出て来たのだ。
まるまる瞑鬼の体を預けられそうな程に、しっかりとした頑丈さがある。
きっと、陽一郎はこれから二人の前では言えない話をするのだろう。そんな事はわかっていた。
ただ、本題に入る少し前。今この瞬間の、偉大なる父親感を、瞑鬼は味わいたかったのだ。
自分がいくら望んでも、それは得られないものだったのだから。
しゃっこしゃっこと音を立てながら、大きな背中をこする瞑鬼。やっている事は普通のはずなのに、どうにも人を洗っている感覚がしない瞑鬼。大きな板を洗っているような感覚に陥るのは、きっと陽一郎の背中を流す人間すべてに共通する事だろう。
「……お前の魔法な、少しばかり特殊みたいだ」
正面に佇む鏡面を見つめながら、陽一郎が口を開く。
その言葉に呼応するように、瞑鬼の顔がすうっと上を向いた。
「……やっぱり……、そうですか」
「……自覚、あったんだな」
はい。と、瞑鬼は小さく頷いた。
死んでも蘇る。それが特例と言えないのならば、この世界は瞑鬼の知る限りではかなり異常であると言える。
一度目は義鬼に。二度目はその愛人である明美に。殺された二度のうち、どちらとも犯人が親であるなんて、元の世界じゃそうそう経験できなかったことだ。
死んだという感覚はある。それに、あの瞬間の、全てが黒になるような感覚。脳が焼かれるような痛み。
それら全てが瞑鬼の中で色濃く残り続けていると言うのに、身体には傷一つない。疲労もない。
知っているのは瞑鬼だけだが、それを信じてくれる陽一郎は十分信頼するに足りる人物である。
「まぁ……、魔法についてはそこまで問題じゃない。俺が見たことなかっただけで、無いとは言い切れないしな」
「……そうですか……」
「本当の問題はな、朋花のことなんだよ」
朋花のこと。そう言われると、瞑鬼の頭に浮かぶ情景が一つある。
もちろん、これは朋花自身の事も含めているのだろうが、それ以上に朋花の両親のことを話題にしているように、瞑鬼には思えた。
「……見たのか?」
「…………はい」
今更フラッシュバックしたところで、精々軽い吐き気が襲ってくる程度。人が死んだところを見るのは確かに初めてだったが、それ以前に瞑鬼は一度死んでいるのだ。死に対しての感覚が薄れたとしても、誰も文句を言えない。
なぜ朋花の両親が狙われたのかはわからない。それに、なぜ明美が狙ったのかもわからない。わからない事だらけなのだ。
けれど、とにかく今言える状況はただ一つ。この世界には、確かな敵というものが存在する。それだけが、瞑鬼が異世界旅行なんて無駄に壮大な道の道中で得た、最大の情報である。
「……よくやったな、瞑鬼。あんな状況で、朋花護ろうなんてよ」
「……いや、アレは護ったというより、邪魔だから帰しただけで……」
「……そんだけでも上等よ。人様に自慢だってできるわな」
「……ありがとうございます」
お互いに、思った以上のことを口には出さなかった。陽一郎は言葉を選び、欠けてしまった神前瞑鬼のパーツを当てはめていってくれている。
対する瞑鬼も、いつもの様な無粋な考えはしない。こいつは俺の敵だとか、こいつは俺を試しているんじゃないのか、とか。そんな人間不信を今この瞬間だけ卒業し、腹を割った話というものを、二人はしていたのだ。
傷を抉られるのは痛くない。それ以上に、陽一郎が何も聞かないことの方が、瞑鬼にとっては苦痛だっただろう。
たった何日間かの付き合いだが、陽一郎は理解していた。
「…………」
不意に、陽一郎が言葉を詰まらせる。
そして、瞑鬼からは見えもしない眼を、ほんの少しばかり優しくし、背中から一瞬だけ威厳を失わせる。
「……泣いてもいいんだぞ」
「…………っ!」
振動が響き、鼓膜で反響した瞬間、瞑鬼の脳は考えもなしに涙を流していた。それは、瞑鬼が丁度この家に来た時に、陽一郎から一言言われた時と同じ反応だった。
堤防が決壊した様に、とめどなく溢れ出すそれを、止める手段なんてない。あったとしても、それは邪推というものだろう。
背中を流すことなど忘れて、瞑鬼は子供の様に涙を流し続けた。今は夏だから、体を冷やす心配もない。
ただひたすら、自分ができなかったことを悔やむ様に。これから起こる何かに対し、先に悲しみを流しておく様に。
時刻は夜の11時。朋花がしばらく桜家にいる事も決まった事もあり、瞑鬼は何のしがらみもなく泣ける環境だ。
ふと空 窓から空を見上げると、大半が欠けた下弦の月が、目一杯太陽を反射していた。
その幻想的な光は、どこの世界でも平等に、美しい眺めだった。
残念僕はノーマルです。




