異世界事変、再開です。
今日初雪が降りました。死ぬほど寒かった。
無事に朋花が桜青果店へ辿り着き、状況を陽一郎あたりに説明したならば、そろそろ警察が来てもおかしくない時間だ。
しかし、今この状態で警察官が来たならば、瞑鬼は重要参考人として事情聴取の一つも受けるだろう。
そうなれば、その時に瞑鬼が身元が割れてしまう。住所もなければ、戸籍や身分証明書もなし。下手すれば密入国者扱いだろう。
異世界の法律を詳しくは知らない瞑鬼だが、それでも捕まれば何らかの罪に問われることくらいはわかる。そうでなくとも、この世界には危険因子が大量なのだ。地元警察が勝手に、身元不明者を釈放したりするはずがない。
あまりに暗い自分の未来を想像し、思わず瞑鬼は顔を曇らせる。
「……とっとと逃げないとな」
いつものように独り言を言う。そして、どっこいしょ、などとオヤジ臭い声を漏らしながら、瞑鬼はゆっくりと立ち上がった。
既に疲労自体は取れかけているものの、まだ元気にハキハキと歩けるまでには至ってない。精々、腰の弱いおじいちゃん程度の速度がでるか出ないかだろう。
それでも、一歩でも多く離れておくに越したことはない。だから、瞑鬼は足を踏み出した。
自分の居場所へ、自分を必要だと言ってくれた人が待つ場所へ、帰るために。
けれど、この世界は瞑鬼に対して友好的ではない。
「あらあら。私の魔獣を殺したのがどんな奴かと思ったら……。あんた、こないだのガキじゃない」
その声を聞いた瞬間、瞑鬼の足は床に縫い付けられた影のように動きを失った。
その声には聞き覚えがあった。むしろ、覚えがありすぎた。
どれだけ取り除きたくても、どれだけ剥がし落としたくても、叶わない記憶の底。瞑鬼の根本である黒い記憶に、その声は残っていた。
瞑鬼の目が、扉の前に立つ人物を捉える。そして、同時に血流が爆発するかのごとき衝撃を、電気に変えて脳に伝えてくる。
膝は笑い、息は弾む。けっして嬉しくもないこの状況で、瞑鬼のそれはさぞかし異常に映っただろう。
「……あんた……、すごい回復力じゃない。よしくんの炎をまともにくらったのに。もしかして結構いい魔法もってんの?」
真実を認めたくない。この場で誰か、全ての出来事が嘘だと言ってくれ。
瞑鬼の悲しい妄想は、空気へと溶けてゆく。
次第に瞑鬼の目は濁り、その先にあるものを蔑むような目つきとなる。
人を殺す時までつけたネイルアート。側から見れば妖艶な四肢から放たれる血の香り。充分だ。充分すぎる。
「……神前、明美……」
気づくと、口から言葉が漏れていた。そして、それは確かに相手にも伝わる。即ち、朋花の両親を殺した張本人である、神前明美。瞑鬼の義母へと。
「……なに?知ってるの?私のこと。人気者って辛いわねぇ」
一瞬、ほんの一瞬だが、瞑鬼は明美を犯人ではないと思っていた。明美を見た瞬間、どうか回覧板か何かを持ってきただけであると言ってくれ、そうも思っていた。
しかし、そんな淡い希望はいとも容易く崩れ去る。この状況で、まともに喋ることができる上に動揺もしない。そんなの、自らが犯人であると告げているようなものだ。
いつも通りに人の神経を逆撫でするのかが上手い明美を、瞑鬼は鬼の形相で捉えている。その右手は、自然と包丁まで伸びて行き、脳から出た過剰なアドレナリンが疲労を和らげる。
恐らく、明美は二階の部屋でも見てきたのだろう。一階の監視をライオンに任せ、自分は呑気に金目のものでも探しに言ったという所。
「……なんで殺した?」
その言葉は、夏の夕焼けに溶けてゆく。
残念。まだ終わってないんです。




