異世界非日常、始まりました
お昼から瞑鬼に割り当てられた仕事は、昨日と同じく果物の配送だった。しかし、今日は案内役である瑞晴はいない。
何でも、今日はどうしても昼から友達と外せない用事があるのだとか。
真夏の昼の太陽を浴びて、瞑鬼は重々しく自転車を漕いでいる。まだ外に出てから十分と経っていないのに、既にTシャツの中は大洪水。滝行を終えた修行僧並みの汗の量である。
それもそのはず、今日は最高気温は三十七度。おおよそ人間の体温とそう変わらない温度を、町全体で作り上げてくれるらしい。
お昼のニュースキャスターの顔を思い出す瞑鬼。
呑気な顔で、涼しいテレビ局の中からの放送など、今の瞑鬼にとっては憎悪の対象でしかない。
背後に堂々と控えられている、大量の発泡スチロールを恨めしげに睨む瞑鬼。
フルーツにとって暑さは天敵。しかも車で運べないとなれば、待っているのはドライアイス地獄だ。
発泡スチロールの中にドライアイスを詰め、その上にダンボールで保護したフルーツを入れる。二重構造のこの荷物の荷重は、ゆうに瞑鬼と同じくらいある。
幸いなことは、瞑鬼が街並みを知っていたことだろう。もしここが完全な異世界で、行くとこ見るものが完全に初見だったら、とてもじゃないがドライアイスが昇華しきるまでに配達など不可能だ。
地図を持たせようとした陽一郎を振り切り、単身で飛び出して来れたのが何よりの救いだろう。
「……なんか、全然魔法があるって感覚がないな……」
一人呟くその声は、蝉たちが奏でる騒音と言う名のハーモニーにより掻き消される。
手を叩いて光がでる魔法など、運送業においては微塵も役に立ちやしないのだ。いくら使用方法を工夫しようが、せいぜい夜中でも多少前が見やすくなる程度。それも、一人では使えない。
「……はぁ。やっぱ俺の魔法ってクソだな」
こんなことなら関羽でも連れてくればと瞑鬼は後悔する。関羽さえ連れてくれば、適当な人間に変身させ、負担は半分になっただろう。
仮にこれが瑞晴だったならば、魔法を使って動物たちと仲良く楽しく配れただろう。動物大行進なんてすれば、親子やお年寄りから人気者になる可能性もある。
ありもしない未来を考えて足を止めている暇などない。瞑鬼は脳に命令を出し、足の筋肉を必死に動かせる。
一件、また一件と着実に配達を済ませ、町中を駆け巡る。途中で道を間違えて隣町まで行った時は、流石の瞑鬼も頭を痛めた事だろう。
午後四時を超えると、背中の山はすっかり消えていた。どうやら今配り終えたデパートが最大の取引先だったらしい。残る品物は一件である。
「……ふぅ。さて、ラストは……、っとぉ?」
配達先の住所を見るなり、瞑鬼の目はあたかもガラスで作った義眼のように動きを失った。
品物はメロンが一つ。どうやら少し早めの御中元らしい。
しかし、問題はそこではない。真に瞑鬼が気にしたのは、そこに書いてある名前だった。
「……五衣優也……ね」
ただの優也さんならば何の問題もなかった。ここで重要なのは、その苗字の方にある。
五衣などという物珍しい苗字。こんな名前、瞑鬼は一人しか知らなかった。
昨日あった憎っくき女子小学生、五衣朋花のことである。
会うなり瞑鬼をロリコン呼ばわりし、挙げ句の果てにはそれを瑞晴にまで伝える始末。それでいてなお一つも反省を見せない様は、男子高校生の怒りを買うには十分すぎた。
今日は日曜日。友達と遊びにでも出掛けていなければ、ほぼ間違いなく朋花は家にいるだろう。家族で旅行という可能性もない。何せ、配達が日付指定になっているのだ。
ここまで来て引き返すわけにはいかない。
けれど、もし万が一朋花に会うような事があれば、ほぼ間違いなく決戦の火蓋は切って落とされる。そもそも朋花が瞑鬼を攻撃しない確率は無いに等しい。会えば必ず文句の一つでも垂れてくるだろう。
わざわざ休日まで小学生の観察ですか。変態ですね。
瑞晴がいない時を狙って襲いに来たの?警察呼ぶよ?
言われる言葉は予想できる。この二つでないならば、更に小学生らしくない発言が飛び出してしまう可能性もある。




