異世界日常、終焉です
「……和晴……、俺の嫁はな、魔女特区に行ったきり、帰ってこないんだよ」
予想はしていたが、その言葉は想像よりもはるかに深く瞑鬼の胸に突き刺さる。心臓だって、普段の何倍かの速度でリズムを刻んでしまっている。
血液が高速で流れ、全身の汗腺を刺激して回る。
その結果引き起こされるのは、緊張による角の汗の分泌だ。
瞑鬼は次の言葉を待っていた。ただ黙って、息を殺し、聞き漏らさないように。
ここまで来たのだ。後戻りはできない。
「初めは魔王軍との戦いで徴兵されたんだがな……。あいつの魔法はやばかった」
陽一郎から一つ一つ文字が紡がれるたびに、瞑鬼の緊張は高まってゆく
きっと、陽一郎はこの話を何度か誰かに話したことがあるんだろう。
きっと、失ってからの一ヶ月くらいは堪えきれずに友人にでも愚痴っただろう。
けれど、やはり酒が入ってないのは辛すぎた。まだ若干十七歳で、ろくな人生経験も積んでない瞑鬼に、大切な人を失った気持ちは理解できなかったのだ。
これまで、瞑鬼に大切な人などいなかったのだから。
「そんでな。今から一年くらい前に、本格的に魔王軍を討伐しようってことで、魔女たちと同盟を組むって話しが出て来たんだ」
事の発端は一年前。ちょうど、瞑鬼の両親が離婚した時期である。
だからと言ってどうこうと言う事もないが、やはり不幸というのはどこかしらで連鎖的に起こっている。
「それで、当時代表だった和晴と他数人、だいたい一個小隊くらいだったかな?が、魔女特区に交渉に行ったんだよ」
「…………はい」
正直、ここまで聞いて事の顛末がわからないほど瞑鬼はお粗末な頭をしていない。だが、していないからこそ不幸だった。
わかってしまうのだから。この話が、最悪のバットエンドを迎えてしまったということが。
「結果は最悪。魔女たちは同盟条約を破棄して、小隊全員を処刑した」
そこで一度陽一郎の声は途切れる。
どうやら喉の回復を図るらしい。手には湯のみが握られている。
ずずっと音を立て、陽一郎はお茶を飲み干した。既に湯気すら上がっていなかった出がらしは、さぞかし不味かったことだろう。
「…………っていう情報が入ったんだ」
「…………へ?」
口から情けない声が漏れたのがわかった。けれど、今の瞑鬼にそんなことを気にしている余裕なんてない。
陽一郎は、確かに今言った。情報が入った、と。
つまり、入ったのは情報だけで、事実はまた別ということになる。
「それがな、近くの国で待機していた兵隊が、魔女から聞いた話らしいんだよ」
「……それって、処刑されたって聞いただけですか?」
「まぁ、そういう事だな。死体も無ければ、魔女からの連絡もない」
一瞬、瞑鬼の頭に一筋の閃光が走る。
処刑されたという情報だけがあり、その証拠を見たものは誰もいない。と言うことは、限りなく低い可能性だが生きていることがあるかもしれないのだ。
陽一郎曰く、和晴の魔法は強力らしいから、そう簡単に処分しないだろう。
魔女という人間が、どれだけの知能を持っているかはわからない。けれど少なくとも、そんな愚かなことをする種族には思えなかったのだ。
しかし、瞑鬼の案は喉元まで出て来たところで再度引っ込んでしまう。
考えてみれば、今一瞬だけ話を聞いた瞑鬼より、当事者たる陽一郎たちが策を弄してないわけがない。きっと、何度も魔女特区に行こうとして、その度に挫折し、苦い思いをしたのだろう。
まだ親になんてなった事のない瞑鬼だが、それでも男としての陽一郎の悩みの1割くらいはわかっているつもりだった。
だから、何も言わない。ただ、陽一郎が次の言葉を紡ぐのを、一人黙ってまっている。
「まぁ、そんなワケだから、瑞晴も魔女特区についてはあんま口開かねえんだよ。自分から話題として振ってくるのにな。メンドクセエだろ?」
最後まで話を聞いて初めて、瞑鬼は自分の見方を改めるに至る。簡単な話、瑞晴は決して強くなどなかったのだ。
表面では唐竹のような性格をしておいて、身内にだけは面倒くさい。そんな、普通で今時の、ただの一人の女の子だったのだ。
自分を拾ってくれたことや、母親がいないのに健気に前を見る姿を見て、瞑鬼は勘違いをしていた。
「……別に、面倒くさくなんかないですよ。そのくらいで嫌な性格ってなるんなら、僕のがよっぽど面倒くさいですから」
瞑鬼は笑って答えた。もう悲しんでいる時ではないのだから。
そうだな、と言って、陽一郎も笑う。
二人して笑う。こんな糸一本で均衡が保たれている世界で、笑う以外に自分をごまかす方法などないのだから。




