異世界日常、返り咲きます②
初めは到底食べきれないと思われていたハンバーグたちだったが、案外やってみればやれるものだ。山盛りだった皿は、数本の千切りキャベツを残し寂しそうに食卓のど真ん中に鎮座している。
「く……、う、美味かった」
苦しい、と言いかけて瞑鬼の口は止まる。せっかくこれ以上ないくらい食べられたのだ。吐く言葉はマイナスよりもプラスに越した事はない。
少し出張った腹部を抑える瞑鬼。今スポーツでもしようものなら、火山が噴火するかのごとく逆流してくるだろう。それだけは絶対に避けなければならない。同級生の女の子の目の前でそんな事をしては、とてもじゃないが家に居られない。
暫く休んでいると、いかにも機械っぽい合成音声が、風呂が沸いた事を告げてくる。
「神前くん先入る?」
何気なく瑞晴が訊ねる。その夫婦の様なやりとりを見ていた陽一郎が、二人の間に割って入る。
何も覚えがない瞑鬼に対し、やれ瑞晴に手を出したらカットするだの、瑞晴の風呂を覗いていいのは俺だけだだの、人としてギリギリの発言を浴びせる。そして瑞晴に叩かれる。
最早これは桜家の日常と言っていいだろう。瞑鬼がいてもいなくても、常に稼働し続ける、瑞晴と陽一郎の日常の一部なのだ。
仲の良い親子を見ているのは苦痛じゃない。それは瞑鬼にとっても同じ事だった。
けれど、それと同時に時々思ってしまう。もし、自分の家もこんな風だったらな、と。
異世界から帰還したら、ひょっとしたら義鬼が優しくなっているかもしれない。険悪な仮面など被らずに、両親とも仲良く家族三人で暮らしていけるかもしれない。
ありえない未来を考えるうちに、瞑鬼の心は次第に二人への恨みを忘れていった。
「さって、次は俺が入るかな。瞑鬼、お前も一緒に入るか?」
瑞晴が上がった事を確認し、当然の様に陽一郎が爆弾を起爆させる。相手が瞑鬼だからいいものの、もしかしたら以前は瑞晴にも同じ事を言っていたのだろうか。
だとしたら変態候補ではない。変態である。
丁重に申し出をお断りし、瞑鬼は自室に戻る。
何もない部屋だが、今はかえってそれが救いだった。元の世界を思い返させるものがあったら、絶対に帰りたくなってしまう。
口では大嫌いだとはいえ、それでも瞑鬼が十六年も過ごした世界だ。いい意味でも悪い意味でも、愛着というものが湧いてしまう。
「なぁ、お前はどうだ?関羽」
すり寄ってきた関羽の喉を一撫で。ふわふわの毛並みがなんとも心地いい。
それに対し、ふいっと関羽は顔を背けてしまう。
今は自分の出来る事をすればいい。それが例え、どんなに小さくて、面白くなくて、他人から見れば退屈な時間だったとしても。
瞑鬼には、これしかない。いきなりわけのわからない世界に飛ばされた瞑鬼には、これくらいしか出来ることがないのだ。
明日の朝の仕事を頭の中で予習し、瞑鬼は風呂へ向かう。
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七月の某日。今日が日曜日ということもあり、桜青果店にはそこそこのお客さんが集まっていた。そのことを見越してなのか、入荷した果物は普段よりも少し多めだ。
そして、今日も今日とてレジに並ぶ瞑鬼。一定のペースでくる会計を、テンパりながらもこなしている。
まだ初めて二日目。決して慣れた手つきとはいえないが、それでも昨日よりかは幾分かは成長している。
なんとか午前を乗り切り、疲れた体でお昼ごはんをかきこむ。
既に棚に残っている商品の数は無し。またもや完売だ。
二日続いてこうだと、何かやばい中毒性があるのではないか。と瞑鬼に警戒心が芽生える。しかし、魔法がある世界で薬がそれほどの効力を持っているのか、それさえも瞑鬼にはわからない。
「……今度確かめなきゃな」
誰ともなくそう呟く瞑鬼。ここがトイレであったことに感謝。
リビングに戻ると、瑞晴と陽一郎が寝転がっていた。無論、二匹の猫も一緒だ。
今日の昼からは、配達が一件と店番だけでいいらしい。嵐の様な昨日が過ぎ去った今は、地を固めるのが先決だとか。
「瞑鬼ぃ〜、茶を淹れてくれい」
店長様直々の指令を受け、瞑鬼は台所に着任。お湯とお茶っぱを用意する。
「おぉ、すまんな」
「ありがと」
そう言って、さも当たり前の如く湯のみを取る瑞晴。しかし、瞑鬼に抜かりはない。しっかりと三人分を準備してからの品出しだ。
12時半から1時半までの三十分。その間は完全に休憩時間なので、客が来る心配はない。




