焦燥と焦土
はるか昔。そう。産まれてから世界を覚えるよりも、もっと前。彼はどこかの城にいた。
食事を運んできたから、皿を取った。御膳の向こう側には、頭からツノが生えた生き物がいた。
幽閉された塔の外、緑と青の深淵で、十一人の子供たちが遊んでいた。振り向いた少年の名前を呼ぼうとした。
それは、どこか見覚えのあるだれか。まるで鏡の前の自分のような。
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灼熱と太陽に肌を焼かれ、神前瞑鬼は身体を起こす。【改上】後もずっと地面で寝ていたせいか、全身が筋肉痛に襲われた。
砂埃と泥で汚れた顔をぬぐいながら、がっぽり胸に穴が空いた服をさする。
いつのまにか、響いていたはずの悲鳴は消えていた。その代わりに、轟々と喚く炎が一層やかましく聴こえてしまう。
「……やべぇ。力入んねぇ……」
いつもは【改上】すれば全ての不調は健康体に上書きされる。けれど今、瞑鬼は足を動かすので精一杯だった。
神前瞑深の襲撃と、どこかへ消えたカムイ。煮えたぎった頭で考えられるのは、せいぜいがここ数分の出来事のみ。
思考を遮る焦げた香りを無視し、魔法回路を展開。鈍った脚に喝をいれる。
今すべきは、どこへ消えたかわからないカムイの捜索よりも、生きていると願える仲間の安否を確認することだ。
けれど、テニスコートで瞑鬼の足は止められた。腐った目に映るは、跡形もなく消し飛んだ体育館の跡。かろうじて瓦礫が残っていなれけば、初めから校舎がなかったのかと見まごうほどに、学校は崩れていた。
最恐の魔女の一撃でさえ、神峰武尊校長自慢の大型体育館は天井を崩すのがやっとだった。英雄たちが持ってきた火薬の誘爆、あるいは敵の中にそれに近しい魔法を持つ者がいた。考えは巡れども、解決するはずがない。
ふと、視界の隅で何かが動いた。緩慢に起き上がり、獣のようにそれはあたりの匂いを嗅いだ。
「……お……う……よ」
漆黒の粒子が溢れ出すと同時に、瞑鬼は第七の魔法を展開。火傷で顔が半分爛れた《なにか》の頭を掴んで、ボロくずのように校舎に叩きつけた。
「どこだ。瑞晴、夜一、千紗、それに満堂やユーリはどこだ」
彼は応えない。「王」以外の言葉を知らないのか、瞑鬼が嫌いなのか。はたまたその両方か。
「王……よ」
《なにか》が瞑鬼の腕を掴む。ほとんど力は入ってなかった。けれど、瞑鬼の脳は瞬間、沸騰したように熱が湧いた。
【改上】で戻るのはあくまで身体のみ。一度死ねば髪の毛も腹痛も、全てが上書きされる。だが、心は別だ。記憶が怒りを呼び、怒りはストレスを作り出す。
常人の八倍の魔力が、右手に集中していた。それは力の奔流と共に、《なにか》の上半身ごと爆発した。
「八つ目は魔力の炸裂か……。いってぇなコレ」
痺れた右手をぷらぷら振りながら、瞑鬼は振り返って校舎を見る。どんな威力の魔法を使ったのか、跡形もなく消し飛んでいた。
神峰英雄ですら、あんなに綺麗に解体工事はできないだろう。魔女クラスか、それ以上か。自身に宿った八つ目の魔法を感じながら、瞑鬼は唇を噛んだ。
さっきの音に引き寄せられたのか、ただ瞑鬼に反応したのか。周りには『なにか』が集ってきていた。ちょうどいい。魔法の実験には。
「王よ……、王よ……」
例のごとく焼けた喉で唸る『なにか』の頭を鷲掴み、魔法回路を展開。右手に魔法粒子を集中させ、思い切り力を入れる。
激しい音とともに魔力が炸裂し、『なにか』の頭は木っ端微塵に吹き飛んだ。
だがいくら魔法回路を開いても、瞑鬼の苛立ちは拭えない。千切れるほどに吠え、さっき出会った人間への怨みを、全て目の前の肉塊に向けた。
「お……う……よ……」
「うるせぇよモルモット」
第五の魔法の爆炎で、『なにか』の頭をぶっ飛ばす。第一と第二は、彼らに対して効果が薄い。なにせ、あっちは痛覚があるかどうかさえ曖昧なのだ。
だから、瞑鬼は試した。自分の力を、今まで出せなかった、全開の魔力を。
あたりが静かになる頃には、もう瞑鬼の魔力は尽きかけていた。常人の八倍である彼をもってしても、学校中の『なにか』を殲滅するのは容易ではない。
瞑鬼を中心に、大量の死体が転がっていた。顔のあるもの、ないもの。五体満足なものは一つたりともない。
「……炸裂する魔力の塊を、相手に押し込む魔法って感じだな……」
両手を起点に、魔力を握る。すると掌の中で魔力が弾け始める。少し待ってから、それを相手に直接押し込む。あとは、身体の内側で瞑鬼の魔力が炸裂する。
威力は第五の炎の魔法よりも高い。だがその分欠点も多いわけで。特に体に異変はないが、第八の魔法は魔力の消費が断トツに激しかった。
残った魔力をかき集め、拳を握る。第二の魔法だ。
「こちら瞑鬼。すまん、一度改上した。今体育館跡にいる。誰か聞いてるヤツいたら、コンタクトくれ」
魔力が尽きて重たくなった身体を引きずって、後者に足を向ける。周りで揺らぐ炎のせいなのか、息がしにくかった。
ヤンキー漫画も顔負けなくらいに、かつての学び舎は姿を変えていた。無事な窓ガラスは一枚もなく、廊下にはコンクリのかけらと血痕が延々と続いている。
一人になるのは久しぶりだ。ずっと一緒にいたから。この世界に来た初日以来だろう。けれど、今はそれがありがたかった。瑞晴がいたら、きっとまた強がってしまう。
乾いた返り血でバリバリになったシャツを脱ぎ捨てる。気がつけば、もうとっぷり日が暮れていた。
電灯のない校庭で、死体の山に腰を下ろす。誰かの視線に気づいたのは、全身の感覚が異常に敏感になっていたから。
「……みんなどこに行った? 被害はどれくらいだ? とりあえず、ここら一帯のやつは片付けといた」
この際誰でもよかった。そいつに口がついてて、瞑鬼と話してくれるなら。
「……これ全部やったって……。アンタ、そんな魔法持ってたっけ……?」
校舎の影から出てきたのは、目を丸くしたユーリだった。鮮血に濡れた瞑鬼を見て、彼女は一瞬後ずさる。
「そういや、ユーリさんは知らないのか。……俺の魔法は一つじゃない。死ぬ度に無理やり生き返って、魔法が増える。それが俺の魔法だよ」
唐突な瞑鬼の告白を、ユーリはなんとか理解しようと試みる。身近に英雄などという規格外がいる彼女のことだ。時間はかかるが、いずれ受け入れてもらえるだろう。
「とにかく、今はみんなと合流したい。アンタも生存者を探しにきたんだろ?」
「……アイツみたいなもんね。分かったわ。信用してあげる。でも、その前に」
近づいてきたユーリが、突然魔法回路を展開する。彼女の魔法を考えれば不自然ではなかったが、瞑鬼は咄嗟に手が出てしまった。
「っ……! 離し……!!」
陽一郎と吉野に護身術を叩き込まれた瞑鬼は、相手を制す際は無意識に首を狙ってしまう。今回はなんとか掴むまでで抑えられたが、ユーリが反応してなければきっとそのまま折ってしまっていただろう。
自分に笑えない癖がついてしまった事を後悔しながら、喉を押さえて咳き込むユーリに頭を下げた。
「……次やったら、マジで殺すからね」
「……すんません。なるべく」
瞑鬼の態度にユーリは嘆息する。しかし彼女も理解は示しているのだ。こんな奇想天外な状況で、条理にそぐわぬ能力を持ってしまった瞑鬼に対して。
「それで、ユーリさん。他のやつらは……」
「…………わかんない」
「……は?」
予想外の答えに、思わず間の抜けた返しをする瞑鬼。というのも、瞑鬼の中では神峰勢力の三人は、学園のことなら何でも知ってるという過信があったのだ。
例え大地が焼け空が落ちようと、彼らなら何でも知っている。英雄のうざったいくらい爽やかな笑顔が、瞑鬼にある種安心感を与えていたのに。
「体育館消し飛んでるでしょ? 誰がやったか分からないけど、アレの余波で私は気絶してたの。そんで、気づいたらアンタがここで馬鹿騒ぎしてた」
「……そう言えば、俺が出てく直前まで、みんな第一にいましたよね? いつっすか? 攻撃されたの……?」
思いついてしまった。こういう時の嫌な勘はよく当たる。それが、瞑鬼が短い十六年で得た経験則だ。
頭の中で、繋げたくない点が線になる。
「2時間くらい前ね。やった奴はわかんない。一瞬で消し炭だったわ」
「なっ!? じゃあ瑞はっ……」
「桜は大丈夫、たぶん。反対の校舎でアンタを見つけたって飛び出してたから。ほとんどの人は体育館から離れてたから良かったけど、きっと数人はそのまま……」
「俺を見つけた? 校舎で? だって、その時俺は……」
衝撃が収まらぬ頭を振り絞り、つい先ほどの記憶を呼び戻す。思い出せば出すほど、それがあり得ない事であると、瞑鬼は確信した。
「とにかく、今は他の人見つけるのが最優先ね。ほら、さっさと立って。あと、手ェ出しな」
ユーリに言われて、瞑鬼はようやく自分の腕がボロボロなことを思い出した。第四の魔法を使った時ほどではないが、衝撃による軽い骨折、皮膚が裂けた事による出血に、よく見れば小指が関節とは逆の方向に反っている。
気づくと同時に、鈍く重い痛みが昇ってくる。格好つかない苦悶の声を上げながら、瞑鬼は彼女の手を取った。