二匹の鬼
「……怪我してんのか。見せろ」
「大丈夫。私の魔法ならあと1分で治せるから」
こうなれば、行うべきは尋問じゃない。完全な予想だった。だが、なんとなくわかる。彼が今まで対峙してきた敵とは異質だということが。
魔王軍からの刺客。有するは変身魔法か、幻覚系統。だがあの威力をぶっ放せるとなれば、考えられるは二つ持ち。
いや、既に瑞晴は完璧に幻術にハマっており、消えた体育館というものがそもそも幻という可能性も。マーシュリーの時と同様の幻覚破りを試そうとするも、そんな力は残っていなかった。
考えろ。時間を稼げ。たとえ瞑鬼がこいつに殺されていたとしても、時間さえあればなんとかなる。嘘をつき、妄言を吐く。それで少しでもできるなら。
「面倒くせぇな……。もういい。ったく、推理オタクが」
「そっちが良くてもこっちは良くないよ」
瞑鬼、のような誰かが瑞晴を見た。あまりにも澄んだ瞳。清浄すぎるその魂。見るだけで、瞑鬼とは真逆だった。
「桜瑞晴。って、自己紹介はいらないよね」
今更名前など隠しても意味がない。なにせ相手は既に知っているのだから。
だが、先に名乗ることで相手にもそれを促すことはできる。それは彼が少しでも瑞晴を対等に思っていればだが。
けれど、むざむざ見破られたカードを捨てるくらいなら、それを張ってみるのも悪くはない。
「…………あぁ。マジでお前はさ……。まあいいか。ここもずいぶん懐かしいし」
特に攻撃するそぶりもなく、彼はチョークを手に取った。
折れた左腕が、今でも休みなく痛みを運んでくれている。脱臼でもしたのだろうか。肩も少しおかしかった。
カッ、カッ、と慣れた手つきで白線を。深緑の板に刻まれる四つの文字を、瑞晴は目で追っていた。
「神前明使。ぜひとも、あいつに伝えてくれ」
明使は不敵に笑う。まるで自分の情報などどうでもいいかのように。
「……無理。私三歩歩くと忘れるから」
瑞晴が破顔う。明使が嗤う。
「やっぱ、お前といると面白いな」
不意に、明使が視線を逸らした。チャンスは一瞬。このために、無駄な時間を費やした。
なんであんな事を言ってるかなんて、知ったところで意味がない。知りたくもない。
全身の魔法回路を開き、全力の一歩を。ありったけの力を足に込め、瑞晴は廊下をーーーー。
「あら。桜さんじゃない。どったのこんな所で」
「…………神前……さん」
廊下に出ようとした瞬間だった。扉を抜けた向こうにいたのは、確かに学校で見たことのある人だ。
思いもよらない人間に、瑞晴の足が一瞬止まる。それをしてしまった。もう二度と逃げられない。
「……何しに来たんだ?お前」
「アンタこそ。暫くはゆっくりするんじゃなかったの?つか、派手にやりやがって……」
意味がわからない。状況が一ミリも飲み込めない。
どうして瞑深が明使と対等な感じで会話をしているのか。そもそも二人は何者。魔王軍なのか、それとも別の何かなのか。
だが、わかっているのはただ一つ。どうやらここにいる二人とも、瑞晴の味方じゃないらしい。
「……んで、桜さんどうすんの?」
「色々聞きたいことあるしな……」
明使が再び魔法回路を展開。見慣れない純白の粒子が溢れ出す。
逃げるにも策はなし。それに、この二人相手じゃ部が悪いどころの話じゃない。下手に逆らえば、瑞晴など容易く御されるだろう。それをしないのは、殺す前に何か目的があるから。
真白な魔法回路を携えた明使が、瑞晴の首に触れた。瞬間、意識はどこかへ飛んでいた。
「間違えんなよ、瞑深」
「…………わかってるよ」
明使が魔法回路を閉じると同時に、瞑深が展開。漆黒の粒子が溢れ出て、空中に魔法陣が浮かび上がった。
「……なぁ、瞑深」
「…………何?」
瞑深は決して背中を見せない。何があろうと誰のためであろうと、彼女はそれだけはするまいと避けていた。
獣よりも凶暴で、恐竜よりも強かに、一億の化学兵器よりも危険なその男。神前明使の顔色を、一見伺っていないかのように振る舞う必要があった。
だが、その時は違った。ほんの一瞬、瞑深を見ただけで。彼の顔から笑顔が消えていた。
「お前、会ったろ。瞑鬼に」
脳内を稲妻がほとばしる。全ての神経が最速で思考を紡ぎ、あらゆる細胞が死を覚悟する。
「……たまたまね」
「そうか……。どう?戻ってた?」
「知ってるでしょ。いちいち言わせんな」
「面白くねぇやつだな。クソが」
それだけ言い残して、明使は割れたガラスを飛び越えた。もうあとは知らない。追っても意味などない。
がらんと一人になった教室を見渡して、神前瞑深は呟いた。
「瞑鬼が戻ってたら、私死んでるだろが」