迎撃と追撃
満堂秀作が異変を察知したのは、カムイから話を聞き終わった陽一郎が帰ってきた瞬間だった。
マシュがこの状況になってから魔力の回復が遅いのには、ある一つの理由があった。別に、緊張感だとか栄養不足とかじゃない。むしろ、身体に蓄えるための残留魔力ならいつも以上に濃い。
それは一重に、マシュがずっと魔法回路を展開していたから。それも細く。それも薄く。本人以外は誰も気づかないレベルでの話だが。
一週間、いやそれ以上。マシュは魔法を使い続けた。諺を具現化する。その魔法のコスパの悪さは、実に瞑鬼の第五の魔法を超えるだろう。【天網恢々】と称されたその魔法は、マシュが拡げた魔法網の中に入ったものを遍く察知するというもの。
彼はそれを、学校の敷地内全てに張り続けていたのだ。
ちょうど瞑鬼の元へ白銀の報せが届いたのとほば同時刻。その異変がマシュを襲った。初めは、人の匂いに誘われた《なにか》の侵入かと。なにせ、ここ最近釣られる個体がいたから。
だが、今回のは明らかに異質。なにせ普段は意思も持たず、ただ人を無差別に襲うような徘徊者が、統率されたかのように学校に侵入してきたのだから。
だが、マシュの対応の早さはそれ以上。英雄に言われていた。「僕がいない時は、マシュが決めろ」と。その命令を完遂する。彼がいない今、神峰組は自分が仕切らねば。
「早く逃げろ!もう一階には行くんじゃない!」
「マシュ!東階段は俺が行く!お前とユーリは一年の棟、夜一は体育館を優先しろ!」
「了解」
「はいっ!」
「わかりました……!」
「瑞晴!千紗!里見!お前らは屋上で見張りしてろ!弾ぁあるな?」
「わかってるよお父さん!」
「わっかりました!」
「ソラちゃん、夜一お願いね。あのバカまだ完治してないから」
「……はいっ!」
当然のごとく、現場は慌ただしかった。飛び交う怒号に、逃げ惑う人々。せっかく暮らしも安定してきたと思ったのに。
連戦は人を疲弊させる。多少の希望を与えて、それを毟り取られるという行為が、今は何よりも辛かった。体力的にも、精神的にも。
窓を覗けば、そこにいるのは蠢くほどの人のなり損ない。不気味な声が、王よ王よと木霊して。となりのおばさんの恐怖を煽る。背後の女の子を威圧する。
そしてそれは支柱がいない、神峰英雄や校長といった象徴がいないこのハーモニーじゃ、戦争レベルで重く響く。
里見が先頭を行き、千紗と殿を。体育館横の階段を駆け上がり、着いた先は一つの物置だった。
普段は吹奏楽部の楽器庫として使われているそこの奥の扉。解放厳禁と看板が貼ってあるそれを、里見は勢いよく蹴り破った。元から鍵なんてどこにあるかわからない。大方屋上のなんて、校長室の鍵付き金庫の中だ。だったら、後から後からトタンでも付けて誤魔化した方が億倍マシ。
「取り敢えず、みんなはここに……」
全力で走ったのに、里見は息一つ切らしてない。既に肩で呼吸している瑞晴たちと比べ、鍛え方が段違いだ。
学校の構造的に、ここに来る道はひとつだけ。即ち体育館横の階段さえ崩れなければ、ほぼ安全と言っていい。
だが、懸念してもしきれないのが異常事態。重たい腰を下ろし、里見は一つ息を吐く。
もともとここは屋上として設計されてない。ただの屋根だ。雪かきができるように扉がつけられただけの。だから、ベンチや観葉植物なんか一切なし。あるのはせいぜい、どこかからか飛んできたお菓子のゴミや鳥の羽なんか。だから、現実的にあまり長くはいられない。
だが、里見はそれ以上にアタマが重かった。
それは、夜一の骨を慮っての事だった。彼の骨は、今現在でもヒビだらけの状態でなんとか形を保っている。元々は、魔女とやりあった時の大怪我が原因だ。鍛え抜かれた腹筋ごと、背骨の一部を欠損していたのだ。
それを里見とユーリの魔法でなんとか日常生活が可能なレベルまで戻したというのに。次に襲うは白銀の民。しかも聞いたところ、カントという男は夜一以上に強かったとか。
そんなのと戦って、傷を負わないはずがない。事実昨日里見が見た夜一の骨は、魔法で無理矢理固められているに過ぎなかった。
「……マズいわね。ソラちゃんつけたけど、大丈夫か……あいつ」
もし夜一の骨が折れれば、戦力図はがらりと変わってしまう。貴重な戦闘要員が減ってしまえば、この現状すら維持できなくなる可能性があるのだから。
白衣がいつの間にか煤まみれだった。洗濯なんて、随分としていない。
ふと、隣に人の気配が。どっちの事かと迷っていたら、彼女もそっと腰を下ろした。
「…………夜一のこと、ですよね」
「……止めらんないわよね。バカは」
「……見たくなかったんですけどね。魔法使うと、どうしても」
千紗の声は震えている。そりゃそうだ。自分の相方が、文字通り骨身削って自分たちを守っているのだから。
いつだって気づけた。いつだって止めてと言うことはできた。だが、千紗は触れまいと必死だった。
夜一が決めたのだから。だったら自分も、夜一をずっと信じるしかない。あまり言葉を交わさぬ二人だけに、心の信頼がやけに強い。
「……でも、マズいのは夜一だけじゃない」
「……たしかに」
次にとなりを奪ってきたのは、これまた一番心配になる小娘。戦友の娘にして、実質今誰よりも精神的支えになっている女の子。
「多分、瞑鬼くんが一番ヤバイです。よね」
「…………だね」
「あいつ、冷たいように見えて身内超大切にするしね……」
そう。瞑鬼最大の長所にして、最悪の欠点。それは己の過去からくる、仲間への絶対的な安心感だった。
瑞晴は知っていた。彼女だけが、孤独だった時の瞑鬼を目の当たりにしているのだ。今にも壊れそうで、突けば崩れそうなほどに不安定だったあの頃を知ってしまっているが故に、瑞晴は瞑鬼を心配する。
もしこの戦いで万が一、フレッシュの誰かがやられたら。常に他人とは線を引いて接する瞑鬼だが、その実、一度線の中に入ればそれは彼にとって自分よりも大切なものとなる。
だから、瑞晴やソラは当たり前、夜一や千紗だとしても、瞑鬼の心は間違いなく折れる。何度も何度も、もう立ち直れないくらいだったのに。
そしてそれを理解しているから、里見は焦っていた。なにせさっきまで保健室にいたはずの瞑鬼が、一向に帰ってこないのだ。あの敵の量からして、下へ逃げるなんて選択肢はないはず。だとしたら確実に四人のうちの誰かに会う。
忌な予感が頭を覆い、バッドエンドが胸を刺す。どれだけ腐っていようがほころびていようが、瞑鬼はリーダーなのだ。象徴たる英雄がいない今、例え折れそうでも彼は続けなければならない。
英雄のような城でなく、風が吹けば倒れそうなトタンの家として。
「……あ」
灼熱と不安が空気となって喉を通る。そんな中、瑞晴の口からか細い声が漏れた。
「………………いた」
「?瑞晴……?」
瑞晴は校舎の方を見ていた。そこは、本来なら明日自分たちが夏休み終わりの下らない語らいをするはずの、二年生棟だった。
「……マジで?」
「うん。絶対」
「…………私が行くから。あんたらはここに居なさい」
本当かはわからない。見間違いだって可能性も十分。だが、瑞晴は疑わなかった。そして千紗も里見すら。彼女の視力の良さは元より、瑞晴が間違えるはずがない、と。
瑞晴が見たのは瞑鬼だった。確かにそこにいるはずのない彼を、瑞晴は見つけたのだ。一瞬の影を彼女は見落とさない。今瞑鬼がいるか居ないかは即命に関わるのだから。
そして、それはみんなの目にも映っていた。瑞晴の一言で、視線は一斉に校舎へ。すると確かに、そこに彼はいた。悠然たる足並みで、まるで故郷でも歩いているように。
「里見先生はここでお願いします。私ならあいつら避けれますから」
その提案に、里見は何も言えなかった。なにせ里見の任務は傷病人の保護。ハーモニーメンバーよりも優先すべきは住民の命。
そしてここに《なにか》が攻めてきた時、かろうじて戦えるのも彼女だけだった。
生徒をこんな状況で一人に。それも、戦友の娘を。ただでさえ鈍っている頭に、次々と選択肢が広がっては消えてを繰り返していた。
「…………一発引っ叩いて連れてきなさいよ。そのあとわたしからお灸据えるから」
「…………はい」
いや、ここで里見が何を言おうが、瑞晴は聞き入れまい。それを里見は知っている。一見温和で、友達や先生の言うことを守りそうな女の子。
だが、里見は知っていた。彼女の父親を。母親を。
瑞晴がいなくなった階段を見て、里見は嘆息する。
頭の中には、灰色の空が浮かんでいた。聞こえるは銃声。かおるは死の匂い。草を踏み分ければ仲間の死体に出会い、森を一つ抜ければ部隊が半分になっている。
どうしても、重ねてしまうのだ。いつもそうだった。たまたまこの学校に就任して、たまたま昔馴染みの娘がいると知って。
あんまりにも、後ろ姿が似ていたものだから。
「…………里見先生?」
「あんたらは、凄いわ。まったく……」
世代は変わる。自分が高校生だったら、きっとハーモニーなんか作っちゃいない。
あの頃の里見に、陽一郎に、和晴に。そんなものは必要なかったのだ。火薬と殺意と無鉄砲。それだけが取り柄だったのだから。
だが、今は違う。守るべきものがある。護らなければならない人達がいる。
苛立ちからか、コンクリの壁を思い切り殴った。あまり痛みは感じなかった。