二度目のただいま
カムイ曰く、それは工場裏の角で止まったらしい。直接声を発する魔法でないが故に、こちらが勘付いておることを向こうには気取られていないはず。
手順を確認。先ずすべきは武器の除去。続いて第七の魔法で首を掴んで、第五の魔法で灼く。たったそれだけでいい。
考えることをやめるように、瞑鬼は魔法回路を開いた。漆黒の粒子が今日は一番と色濃く思えた。
詰め寄る必要はない。ただ、フレッシュのことを想うだけ。それだけで、守るための手は生えてくる。
地面から忍び寄るように、黒腕が壁を取り囲む。
刹那、人の気配が何かを構えた。それが発射される前に、瞑鬼も押しつぶすようにーー。
ズガンッ。音にすればそれだけの、耳をつんざく轟音が鳴った。
圧倒的な物理エネルギーの暴発に、第七の魔法は弾き飛ばされる。感触的に、獲物はショットガン。だとしたら、この距離はまずい。
だが、思ったところで伝わる速度はいつだって遅い。腕を引く前に、もう一発。さらに壁ごと一発撃ち抜かれる。
「夜一、あと任せた」
それだけ言い残し、瞑鬼は駆けた。弾切れになるなんて保証はない。石から銃弾を作るような魔法だったらコスパ的に瞑鬼の魔力が先に尽きるから。
頭ごと吹っ飛ばされたならそれを見た夜一が。進化した彼の魔法なら、頑張ればショットガンの一発は防ぎきれる。それだけで夜一は相手を殴り飛ばせる。そう信じて。
人の8倍はある魔力で作ったエセ身体能力は、瞑鬼を一つの風と化させた。動くのなんて待つわけない。
曲がり角を曲がる直前、瞑鬼は第一の魔法の構えを取っていた。一撃必中。防ぐ術なしのある意味最強魔法。
人の影が振り向く。銃身が頭を向いていた。関係ない。そのまま両手で柏手をーー。
「動く………………な?」
「えっ……!?」
しかし、すんでのところで手を止める瞑鬼。何も叩けなかった両手が宙をはたく。
そのまま両者ともに、数秒間の硬直が。それも当たり前。なにせ目線の先にいたのは、随分と見慣れた相手だったから。
「…………陽一郎、さん」
「……瞑鬼か。あっぶねぇなぁ」
漆黒の銃身が、瞑鬼の眉間にしっかりと照準を合わせていた。陽一郎が気づいて指を止めるのが一瞬遅かったら、一回コンテニューは確実だっただろう。
「…………え、えっと。ただいま」
「……おう。おかえり」
なんのこっちゃなやりとりを。気が動転してあまり会話が弾まない。と言うよりも、何を言っていいか見つけられなかったのだ。
長旅から帰ってくれば、そこに保護者の姿はなし。しかも大切な一人娘に連絡もくれずどこに行っていたかと思えば、挙げ句の果てには侵入者と間違われる。陽一郎本人からしても、やはりこの状況は芳しくないらしい。
何より娘と嫁を心臓に据える彼が、帰る場所を放棄してまでどこかに逃げおおせていた。考えられるのは、予想以上に魔王軍の進行が強烈だったか。
「……まぁ、とにかく説明は省くぞ。悪いがこっちにも何十人がいる。……学校の管理してんのはお前らか?」
しかし、さすがは元傭兵。こんなどう見たって異常事態にも、それなりに対応するスキルは持ち合わせているようで。首を縦に振ると、もう完全にリラックス体制に入っていた。
安全装置が施錠される。そのまま元来た道を戻り、連れ帰ってくるは十数人の老若男女。商店街連合だったはずなのに、いたのはそれだけだった。中には見知った顔もちらほらと。
しかも驚くべきことに、その中に里見の姿もあったのだ。大方途中で合流し、怪我人の保護でもしてたと言うところだろう。人騒がせな保険医の称号を与えねば。そんなくだらないことを考えていた。
『……我はどうすればよい?畏怖を受けるのは構わないが……』
白銀の姿は、運動部の部室があるせいで見えなかった。わざわざ晒すまでもないだろう。そう判断した瞑鬼。下がっててくれと指示を出す。
今ここにいる人たちは、瞑鬼たちの何倍も疲れているはずだ。ユーリの言っていたことが正しいなら、魔王軍の進行があったのは今から一週間以上前。それから今までこんな避難生活を強いられたと言うのだから、揚々行楽に行っていたフレッシュとは溜め込んだストレスの量が段違いだ。
マシュの誘導に従い、商店街の人たちは校舎の方へ足を運んでいく。やつれた顔、煤まみれの身体、かすかな希望を灯した眼だけが唯一の救い。
彼らはまだ死んじゃいない。永きに渡る人と魔王軍との戦いは、予想外の忍耐力をくれていたらしい。
「…………つかれた」
ここに至るまでの緊張の連続。なんとか張り詰めていた恨みつらみと根性も、陽一郎がいたという事実のおかげで随分緩んでしまっていた。
瞬間、膝が笑った気がした。気がつけば、瞑鬼は空を見上げていた。
思えば、最後にバカ笑いしたのはいつだっただろう。心を洗ったのはどれだけ昔だっただろう。
そのまま地面にでも頭から落ちて、ゼンマイの切れた人形のように眠りたかった。だけど。まだ、やるべきことは残っている。陽一郎に現状の説明、向こうの経緯も聞いた上で、これからの対策も立てる必要がある。
残っている兵糧はどれだけだろうか。水道は断裂してないか。ガスがあるならまだせめて。そんな計算を、落ちて行く頭の中で考えていた。
だから、突然それを止められたら、当然びっくりしたわけで。
「……よ、陽一郎さん?」
「貧血か?まぁ、無理もねぇよ。今は休め。あとは俺らの仕事だ」
「いや……俺にはまだ……」
そう。まだ何も解決しちゃいない。倒すべき相手は知っているのに。その家も、いつだって襲えるのに。
魔力が多い。死ぬことがない。そんなものがなんの役に立つ。結果として、居場所がなければ皆同じなのに。
この期に及んで、まだ瞑鬼は争っていた。自分にできるのはこれだけだと。誰の意見も聞かないあの頃に戻ってしまったかのように。
「…………寝ていろ瞑鬼。なんのために俺たちがいると思ってる」
だが、今は違う。今の瞑鬼は一人じゃない。
いつも通りの儀式のように。野郎同士の、言葉のいらない会話のように。夜一が黙って拳を突き出す。無い力を振り絞って軽く殴った。
それを境に、瞑鬼の意識は完全に空へ飛んで行ってしまった。残りカスすら絞りきった彼の身体は、エネルギーを貪るように大きく呼吸する。それを我が子のごとく、陽一郎がおぶる形に。
きっと瞑鬼は夢を見る。広い広い何もなかった砂漠で、ラクダに揺られる夜を見る。そこにはきっと、何十と言う星があることだろう。