殺意の行方
「思ったより重症だね、これ。マシュ、里見先生まだ?」
非常用ライトがつくるオレンジの灯りの中で、瞑鬼の右腕を凝視するユーリ。帰ってきたばかりのマシュに聞くも、返事はノー。しかしどうやら里見先生は生きているらしいので、それだけでも収穫だ。
「……どうせ死ねば治る。それより、他の人たちはどうなんだ?」
この治療中に、ユーリから今回の経緯を聞いた瞑鬼たち。もともと受け入れ態勢が整ってなかった千紗や朋花と違い、瞑鬼は予測できていた。覚悟してしまっていた。
胸の中で、なにかが堰き止められていた。それはきっと、流さなければならないもの。溜めてしまっては淀んで、腐ってしまうもの。
目に宿る不浄の輝きを瑞晴に悟られぬよう、瞑鬼は顔を伏せていた。
大方の話は聞いた。突然義鬼が暴れ出したと。突発任務に向かったのは瞑鬼も聞いていたから、なんとなく察しはついていた。
だが、瞑鬼はまだ肝心なことを聞いてない。ユーリが言ったのはあくまで五十人程度が生き残ったということ。まだそれが誰かまでは。
「…………一人につき一人まで。それ以上は、やめたほうがいい」
フレッシュ全員を見渡して、唇を噛みながらユーリは言った。教えるのを拒んでもおかしくないのに。
なにかの消毒液のようなものをガーゼに染み込ませ、それを塗りたくられる。まだユーリの魔法での治療は受けてないが、なんでも里見先生と合同じゃないと不可能なくらい組織が壊れているらしい。
首を曲げ、みんなの方を見る。それぞれ尋ね人は決まったようだ。
「家族。私の家族」
真っ先に訊ねたのは千紗だった。合格発表日以上に緊張した空気が流れ出す。
「……中島家はここにはいない。でも、他の地域と無線で連絡したら、無事だって。両親揃って」
「…………よかったぁ〜」
糸でも切られたように、膝から夜一に崩れ落ちる千紗。そのまま後ろから夜一を羽交い締めにし、こっちが憎くなるほど戯れる。
「えっと、ミカちゃん。よく遊ぶから……」
「大丈夫。水無月家はみんな無事だよ。集会室で、多分もう寝てる頃かな」
ユーリが微笑むと、朋花もほっと安堵の息をもらした。
「俺も家族で。覚悟はできてる」
「柏木のところは……、ごめん。私たちじゃ掴めてない」
「…………そうか」
平静を保っちゃいるが、夜一だって叫び散らしたいはずだ。証拠に、爪が白くなるまで拳を握っている。
順番的にいくと、次はソラの番。だが、この町にこのメンバー以外でソラの知人はいない。せいぜいが商店街の人間だが、ソラの選択は、
「陽一郎さん。瑞晴さんのパパの」
だった。その質問に、瑞晴がぴくりと反応した。
ガーゼを取り替える間、ユーリは無言だった。それがなにを意味するのか。悪い予感ばかりが頭をよぎる。
「陽一郎さんは…………んぐぅっ!」
「まだ見つかっていない。連絡もなしだ」
答えあぐねるユーリに気を使ってなのか、口を塞ぎ自分で答えたマシュ。その顔には、確かな悲哀が満ちていた。
「……おじいちゃんたちは?」
しかし、間髪入れずに瑞晴は聞いた。動揺が体に現れる前に聞いておこうという魂胆だろう。
「桜幸太郎、および桜葛晴については、別の避難場所で確認されている」
「…………よかった」
よかったと、たしかに瑞晴はそう言った。自分に言い聞かせるように、まるで洋一郎のことなど聞かなかったかのように。
桜家の普段からの仲の良さを知っている全員からしたら、それが瑞晴の強がりだなんてことは明白だった。しかし、彼女は琴を張り続ける。ここで解いたら、戻れないとでも言いたげな目をして。
「……日が昇るまでなら、俺も待つ」
「火ならもう上ってるよ。ずっと待っててね」
「…………やかましい」
小さく震える瑞晴の肩に、少しばかり筋肉質な腕が置かれた。それは鍛えたんじゃなくて、仕事、それも重いものを運ぶような仕事で付くようなつき方だった。
顔はあげなかった。今瞑鬼の顔を見たら、まず間違いなく決壊してしまう。瑞晴にとって、自分の無力感を今はただ呪うことしかできないのだから。
「いんの?アンタにも行方知っときたい人」
さっきまでと打って変わって、気怠げな態度で氷を当てるユーリ。彼女からしたら、知人も友人も、ましてや親も親戚もいない瞑鬼が、いったい誰のことを聞きたいのかと心中察せていないことだろう。
視線が集まるのを感じた。だが、悩む必要はない。元からこんな時間が設けられなくとも、マシュかユーリに聞くつもりだった。
「……神峰英雄」
瞑鬼の言葉を聞いた瞬間、ユーリの眉がぴくりと動いた。同時に、治療している右手に力が込められる。握りつぶさんとする勢いだ。
「…………英雄、英雄ね。……アイツは絶対、生きてるよ。絶対。約束したし」
その答えが示すもの。それをいちいち聞くなんてマネ、ここにいる誰もが出来るはずがない。あまり意味を理解してないであろう朋花さえ、黙って口を噤んでいた。
「最後に神前義鬼と接触したのが英雄さん。どっちが勝ったのかも不明なままだ」
「……そうか」
今の惨状の正体が【強欲の炎】だと知っているのは瞑鬼だけ。だからマシュもユーリも、英雄の生死については推測する余地がない。
あの神峰英雄が、たかだか魔王軍幹部の一人にやられただと。その可能性は曇らせておきたかった瞑鬼だが、現実として目の前に叩きつけられるとぐうの音もでない。
懐中電灯の光だけが照らす室内で、瞑鬼は項垂れる。自分の目を見られないように。自分の心を悟られないように。
「とにかく、あんたが今やるべき事は治療ね。里見先生が焦げてるの戻したら、私が隙間埋めるから」
「……治るつってんだろ」
「あ?」
「あん?」
いつも通りのつもりだった。夜一やその他の同級生たちと話しているものだと。てっきり。
だが、ユーリは違う。彼女は瞑鬼に甘くない。そして何より、彼女は舐められるのを極端に嫌う。それは生まれつきの性格ゆえか、はたまた後天的なものなのか。一つはっきりわかるのは、今瞑鬼が首を掴まれているという事だけ。
「私はあんたのヒロインじゃないの。なんなら今すぐ過回復で全身の細胞吹っ飛ばしてあげようか?」
その形相は、まさしく英雄のそれと遜色なかった。しかも碧眼なせいか、凄んだときの迫力は下手するとこの中で一番かもしれない。
ぷつぷつと開かれる魔法回路。そこにユーリの本気が詰まっている。わざわざ喧嘩するメリットもない。
「……っち。すいません」
「……もう今日は休んどきなさい。あんた、ストレス溜めやすいほうでしょ」
「瞑鬼くんわかりやすいですからね」
「ったく。ってか、ねぇマシュ。里見先生遅くない?」
ユーリ曰く、里見先生が学校を出たのが瞑鬼たちが来る一時間ほど前。町に逃げ遅れた人がいないかを確認に行ったらしい。
ハーモニー特製の無線機の信号受信範囲は、この町一帯をカバーする。それが繋がらないという事は、里見に何かがあったのは間違いない。
外を見れば、少しばかり炎の勢いが弱くなっていた。
瞑鬼が窓を開ける。煙に乗って、不快な焦げ臭さが漂っていた。だが、義鬼の残留魔力の匂いは心ばかり減っている。
「……なんなら、俺が行きますよ。ここの護りは俺抜いても大丈夫でしょ」
「ならば俺も行こう。瞑鬼の死体を持って帰る役がいる」
ここに来て、まだ彼らは頑張るつもりだった。白銀の長旅を終えて、まだ日を跨いですらいない。それなのに。
しかし、この場に反論できるものはいない。ユーリは守りの要。瑞晴や千紗じゃ《なにか》との相性的に。それに、先の戦いでマシュの魔力が枯渇していた。
力のない自分を呪うように、瑞晴が拳を握る。護られるだけのお荷物なんて真っ平だ。けれど、足手纏いになってまで参加できるはずもなく。
誰もなにも言わないのを確認してか、それとも初めからそれを見越していたのか。黙って腰を浮かす二人。ほぼ完治した夜一と違って、瞑鬼の右手は未だ炭のまま。
「…………付いて来い。もうあんま無線のあまりはないんだけどな……」
半ば諦めるように、扉を開けるマシュ。
この場において誰もがまともな判断力を失っている。そんなのはお互いに理解している事だ。
普段の司令塔である英雄、陽一郎は不在。守る対象もいる。そんな中で、高校生たちが下せるのは、自分たちを犠牲にして無茶をすることだけ。
「んじゃ、ちょっくら行ってくる」
「…………うん」
瞑鬼の目は瑞晴を見ちゃいない。別の誰かを恨むように、蔑むように腐っていた。
灯の付いてない夜の廊下を、三人が連なって歩く。いいあぐねているマシュとも、瞑鬼の心配をしている夜一とも違い、瞑鬼だけが明確に闇を見つめていた。
目に映るは、この事件を起こしたであろう首魁の姿。
一体どこまで。どこまで自分は堕ちればいい。それだけが頭を支配している。実の親を、血の繋がった世界で唯一の人間を、どこまで憎めばいいのか。
そんな薄汚い感情は捨てたはずだった。こっちの世界に来て、出会いを通すに連れ。けれど、そいつは脳の奥底に取れない錆のようにへばり付いていた。
「武器は陽一郎さんの管理だったからあんまないが、なんか持ってくか?」
マシュが足を止めたのは、音楽準備室だった。音楽の授業で何度か入った事はある。
重たい音を立てながら、防弾仕様の扉がのっそり口を開けた。中には見慣れた無数の穴と、それとは釣り合わないほどに不自然な金属光沢を放つ銃器たちが。
恐らく普段はここまでおおっ広げに放置してないんだろう。子供がおもちゃ箱をひっくり返したごとく乱雑だ。
「……俺はいらん。弾は貴重だろうからな」
「…………そうか」
「俺はひとつもらうぞ」
そう言って、適当に手を伸ばす瞑鬼。手に取った適当なものをズボンの裾に突っ込んだ。
いざという時の自決用。それを持っておけと、陽一郎に言われていた。魔法が魔法なだけに、瞑鬼は敵からの警戒度が限りなく高い。それにこの世界には、氷漬け、石化、脊椎損傷などなどの、殺さずに人を捉える方法はごまんとある。
そんなリスクを承知の上で、瞑鬼は外に出ようとしているのだ。一秒でも早く、この狂った世界を浄化するために。
長旅で疲れきった脚に活を入れ、再び三人は玄関へと向かう。足の皮が擦り剥けて、妙に気持ち悪かった。
靴を履き、さぁ里見の探索へ。その瞬間だった。
『主人殿、こちらに参られよ。多量の気配が近づいておる』
頭の中に直接響く、カムイの声。それは緊急を意味していた。
筋肉痛で上手く上がらない脚を引きずるように、瞑鬼たちはグラウンドへ。白銀の毛並みをした神狼は、柵の外へと視線を向けていた。
「……なにも感じないが?」
周りに見えるのは燃え盛る炎の檻だけ。人の影、ましてや集団のなんて位置すらわからない。
訓練を積んだマシュでさえそれならば、素人の瞑鬼たちにそれを知るすべなどなく。だが、カムイだけがじっと一点を見つめていた。
『気配を殺している。だが、魔法の跡もあるな』
人の思考を読むカムイですら誤魔化せるとなると、相手のレベルも自然と想像がつく。恐らくは魔女クラスか、それ以上か。
それに、魔法の干渉があると言うのが最悪のバッドニュースだった。
《なにか》たちの魔法は基本全て統一されている。同じ魔法はあり得ないが、彼らは一つの魔法を多数で共有している形なのだろう。だから、その鉄化以外の魔法となると、《なにか》の進行ではないことになる。
魔王の増軍。この期に人の里を奪いに来た魔女たち。はたまたハーモニーに反旗をひるがえす人間勢力。考えればきりがない。
「……最悪一時間で戻ってくる。頼むぞ夜一」
「ほう。それは最短記録じゃないのか。その程度なら余裕だ」
身構える三人と一匹。敵の数にもよるが、何としても校舎内への侵入は避けなければ。野郎としての本能が告げていた。
護れ、と。
『…………進行が停止した。一人だな。向かってくるのは』
先遣隊という事か。瞑鬼の持つ殺意の全てが、その名前の知らない誰かに向けられていた。




