魔王の物語
「あいつ、どっから出て来たんだ……?」
「裏行ってみる?だいぶ遠回りなるけど」
「飛び越えられませんか?カムイちゃんならわんちゃんですよ。わんちゃんだけに」
『噛み砕くぞ魔女娘』
「待て、それじゃ俺が死ぬではないか。離せカムイ」
「……すまんカムイ。ちょっと笑った」
やっとたどり着いた校門の前で、なぜだかいつもの馬鹿話に華を咲かせるフレッシュ一同。それと言うのも、いつもは安っぽいバリケードしかない筈の入り口に、手作り感満載な門が作られていたのだ。
見る限り、材料は机と椅子と教卓と。それらが器用に積み重ねられ、ゆうに植え込みの木を超えるくらいの高さまで。しかも高校自体が周りより階段一つ高いところにあるせいで、飛び越えようとなるといくら三メートル近くあるカムイでも些か辛いことに。スロープの一番下でも木と茂みのダブルガードで完全に妨害されるよう。
「まぁ、こんだけ目立ちゃ誰か絶対気付くだろ。篭ってんなら、俺らだけでも行けばいい」
「だね。人はいるっぽいし。うん」
そう。こうしてバリケードしが作られていることが、人がいると言う何よりの証だった。校舎の電気が付いてないのは、電線が切れているからだろう。
千紗の魔法で、遠くから校舎を透視。疲労のせいで鉄骨を見るのが精一杯だったらしいが、少なくとも玄関に人が出入りしたような跡はあったらしい。
カムイから降り、夜一と千紗は校舎の裏へ。瞑鬼たちはその場で待機。第一の魔法を使えば気付かせることは可能だろうが、それじゃ《なにか》にも見られるかも。第二の魔法は、そもそも通話可能な相手が少なすぎる。一応陽一郎に一報いれるも、電話も繋がらないこの状況じゃ、この魔法は何の役にも立ちゃしない。
「……あっちぃ」
夏休みも終わりだと言うのに、まだまだ夜が冷え込む気配はない。伝う汗を拭うと、自分のひたいに煤が付いていた。
そうして、完全にやる気が無くなっていた時だった。何かを察したカムイが尾を上げて、警戒の色をあらわにする。それに反応した瞑鬼たちも、あたりの情勢に目を配った。
右左は当然で、前後上下にも気を配る。相手は理不尽の権化のようなやつ。地面を掘る魔法があってもおかしくない。
『主人どの、あの女子は砕くか?』
瞑鬼に一瞥もくれる事なく、厳かに告げたカムイ。その目線の先には、校舎から出てきた人がいた。まだ遠目で誰までかは判別できないが、歩き方から《なにか》ではない。
「ソラ、わかる?」
「……あの人です。えっと、ハーモニーの、金髪で可愛くて……」
鳥類並みの視力があるソラが言うなら、その特徴に間違いはない。そうなれば、瞑鬼の人物バンクに位置する人間は一人だけ。
「ユーリ……さんか」
「その二つのワードだけで分かるって、随分ユーリさんに詳しいんだね、瞑鬼くん」
凍えるような瑞晴からの白眼視に、思わず瞑鬼は目をそらす。理解していたつもりだった。瑞晴がかなり嫉妬深いと言うことは。しかも特段自分に自信がないせいで、こういう些細なことに反応してしまうのも。
しかも、今回はそれだけじゃない。大火のストレスだとかも相まったんだろう。だから瞑鬼は黙ってひたいを小突く。それだけでいい。
近づいてきたユーリの顔は、当たり前に驚嘆一色だ。カムイのことを告げていなかった身としては、今からなにを言われようと反論できまい。
紅蓮を背に聳える蝦夷の神を前に、ユーリの足が止まる。はっきりとわかるくらい魔法回路が展開されていた。どうやら敵の増援か何かだと思われたんだろう。証拠に、ユーリ以外の人間は誰一人として出ていない。
「……お互い説明はあと。神前たちは中に入って」
バリケードごしに、ユーリは静かに言い渡す。こんな馬鹿げたサプライズで、しのごの言わず仕事を優先するあたり、さすがは英雄様直属の部隊だ。見返せば、助けに入ったマシュもカムイについては言及しなかった。
ユーリから許可が出たということで、早速中に入ろうと魔法回路を展開。第四の魔法で宙を蹴り、いとも簡単に校地内に。しかし、カムイとなるとそうはいかなかった。
視線を向けると、どうやらユーリも逡巡しているらしい。戦力的に考えれば、カムイの加入は大きなプラスとなる。気配察知や情報の伝達、おまけに素の身体能力で勝るものはなし。
だが、冷静に見ればデメリットも腐るほどある。しかも、こんな状況なら。兵糧は限られている上に、水道管が断裂し満足な水すら危ういこの場面で、カムイまで回せる分があるとは到底思えないのだ。
ぶつぶつ独り言で何かを計算するユーリ。しかしその行為は同時に、まだ幾人かの人たちが生き残っていることを示唆していた。
『熟考はいらぬ、金色の娘。我は残留魔力と少量の水さえあれば生きてゆける故』
「…………なら、校庭で見張りお願い。えっと……」
『白銀の神狼・カムイだ。好きに呼べ』
神を前に臆しないユーリに、目線で賞賛を送りつつ、瞑鬼たちは校舎へ足を向ける。不思議なことに、飛び火はほとんどなかった。
「……何人残ってる?」
「だいたい五十人くらい。ハーモニーの人も、ほとんど連絡つかない」
玄関を通り過ぎる際に、それを聞いてしまった。下駄箱が隅に追いやられ、大勢の人が一度に入れるようになっていた。恐らくは、避難を想定してマシュがやったんたろう。
たったの五十人。その、一クラスよりも少し多いだけの人数に、瞑鬼も瑞晴もソラも、軽い目眩を覚えていた。人口五万はくだらないこの町でその数ならば、他の所も希望は薄い。
図書室前で裏口から侵入した夜一たちと合流し、向かうは体育館……というわけにもいかなかった。焼け焦げた瞑鬼の右腕ユーリが見逃すはずがなく、なすすべも無く保健室へ連行。そのまま長椅子に二人して座らされ、いざ始まるは治療と言う名のお喋りタイム。
里見先生の机から白衣を拝借したユーリが、その端正な顔立ちの眉をひそめながら棚をゴソゴソ漁る。
「……あんた、痛覚もふっとんでんの?」
「……増えたんすよ、魔法。多分神経遮断のやつ」
「…………治せるけど、暫く時間かかるから。その間に情報の共有ね。そろそろマシュも帰ってくるだろうし」
感覚のない右手をユーリが撫でる。その優しい先輩のような手つきに、思わず赤面する瞑鬼。
電源が死んでいるせいで、保健室の灯りは消えていた。非常用の大型ライトの光だけが、淡く室内を照らしている。
だが、そのせいかやけにユーリの距離が近い。患部を観察するためだろうが、女の子特有の甘い匂いまで漂ってきて。
まじまじと顔を見る機会なんて無かった故に、瞑鬼も夜一も気づかなかった。目の前にいる先輩、ユーリ・イルヘイムが絶世の美女だと言うことに。この人と毎日一緒な英雄の強さが、今ようやく理解できた気がする。
背中に二人の女子の視線を感じつつ、瞑鬼は語った。白銀の物語を。そして瞑鬼は聞いた。この世界で起こる、魔王の物語を。