カルマの行方
「……ふぅ。柏木の前でのこの口調は疲れる。やっぱやめた方がいいかねぇ〜。いや、でもあいつそう言うの気にしそうだし。やはりここは、寡黙キャラ満堂さんを推した方がいいよな……」
カムイの姿が消えたのを確認し、マシュは大きく息を吐く。そこに含まれた意味を知っているのは、この界隈じゃ英雄とそのじいちゃんだけ。家族を魔王軍との戦闘で無くした満堂にとって、自分の素を出せるのは家族同然の彼ら以外にいないのだ。
「でも、最初はユーリからか。んでも、あいつの前で普通に喋ったら笑われそうだし」
誰に届けるわけでもなく、満堂は呟き続ける。よほど日頃の鬱積しているものが多いのか、普段の沈黙を愛する彼からは想像もつかないくらい多量の言葉があふれていた。
でも、当然敵がそんなの待ってくれるはずもなく。たまの一人の時間かと思えば、もう《なにか》はマシュの魔法を克服していた。『七転八倒』の解除方はいたって明快。
ただ七回転んで八回倒れればいい。瞑鬼はくらった瞬間にそれを理解していたようだが、事前情報ありの彼と比べるのは《なにか》に悪い気も。
ぞろぞろと、カマキリの卵みたいに湧き出るゾンビ軍団。虚空を見つめるその瞳には、満堂の顔など映っちゃいない。
ここ最近、街が燃え始めてから。毎回そうだった。
始まったのは一週間前。丁度、瞑鬼たちが旅行に出て何日目か。そして、英雄と義鬼の決戦があってからの数日後のこと。それは唐突だった。
黄昏時の、誰もが気の抜ける放課後。夏休みで補修は午前だけの学生にとって、その時間はまさに別れを惜しむ時。みんな街に出ていた。遊んでいた。満喫していた。
そして、それは崩された。満堂が見たのは、既に街中に大量の《なにか》が現れた後だった。出身不明の人型兵器は、学生を襲った。道行く主婦を殴った。ただ本能のままに暴れたと言うよりは、むしろ統率されていたような。女王アリを探すように、各々が散り散りになって。
それが魔王軍の仕業だと気づいた瞬間、もうマシュは携帯を握っていた。即刻陽一郎に電を入れ、自分は学校から急いで街へ。対処法の分からない《なにか》を何とか相手取りながら、原因究明と根絶を探っていた。
結果は最悪。街に出現した《なにか》の数は、天道高校全校生徒と同じくらい。しかも個体の強度は学生が相手どれるそれじゃない。みんなが魔法使いとは言え、戦うために訓練を積んでなければ、瞑鬼の世界の人間と大差ない。せいぜい暮らしが便利になるレベル。
だから街の人を避難させた。学校に匿い、町中から食料をかき集め。陽一郎率いる商店街連合と合流したのもこの時。
篭城戦が不利なのは重々承知していたつもりだ。だが、打てる最善策はこれだった。この騒ぎの黒幕がわかろうとも、そいつの居場所がつかめなきゃ意味がない。焦っていたんだろう。ユーリも、ハーモニーも。
だから、その隙を突かれた。3日経ってのこと、一軒の家が燃やされた。それもボヤ騒ぎなんて軽いのじゃなく、完全に。しかも風が強かったもんだから、そのままあちこちに飛び火し、消火も《なにか》のせいでままならなく。この地獄は生まれたのだ。しかも不思議なことに、何日経っても家屋が燃え尽きないというオマケ付きで。
「……ったく。お前らどんだけ増えんだ。親玉はゴキブリの魔法使いか?」
どれだけ潰しても湧き出てくる。そう言う意味じゃ、《なにか》はまさしくゴキブリだっただろう。
虚ろな目で、天から繰り糸ででも吊り下げられているように。どこか歪な動きをする《なにか》の群れを、マシュの白眼視が貫く。
仲間内には気を使う胃痛持ちの満堂秀作も、敵には容赦ない。それは、彼が若干五歳の時に両親を殺された経験からくる、ある種恨みととってもいい感情だ。
「こっちも忙しいんだ。巣に戻る気がないんなら、鉄屑に戻れカスどもが」
指を一本一本鳴らしながら、魔法回路を開く。英雄や瞑鬼とまではいかないが、普通の二倍近くの神経系が筋肉質な腕に浮き上がった。
灼熱に炙られ、鉄と化した《なにか》の身体は赤黒く光っていた。融点以下と鑑みるに、推定温度は七百弱。触れれば火傷じゃ済まないだろう。
だが、そんな群れを前にして、満堂は一歩も引かなかった。背後に守るべきものがあるから。違う。彼は知っている。自分がこの場で負けるはずがないと。それが自身かと言われれば、確かにそう言う面もあるのだろう。だが、そんな頭を使ったりプライドを気にしたりの、カロリー高い計算じゃない。
ただ単に、本当に自然に。マシュは確信している。勝ち方を知っている。
「王よ…………王よっ!」
だが、《なにか》たちは違った。臨戦態勢のマシュを尻目に、その傍を平然と通り過ぎたのだ。
人を見れば見境なく襲う。そう報告を受けていた。だから少しだけ戸惑いが。も、すぐに脳内で修正を。目的も根本も分からないようなやつらなのだ。不可解な行動の一つや二つ、起こさないはずがない。
「俺を見ろ。『虎視眈々』とな」
魔力を込めた満堂の呪言。それが鼓膜を震わせた瞬間、《なにか》の歩みは止められた。他ならぬ自分の足に。
首が勝手に満堂の方を向く。磁石に吸われてでもいるかのように、重心が傾いた。蟻地獄、と言いたくなるように。満堂を中心に、辺り一面の《なにか》が足並みを揃えていた。
「『栄枯盛衰』……服破いたら、ユーリが怒りそうだ」
もう一度魔法を。しかし、今度は目立った効果はない。基本的なマシュの戦い方は、味方のサポートとしてバフやらデバフをかける魔法使いだ。
だが、それはあくまで一つ目の面。キャラを作り、キャラを隠す満堂秀作の、神峰英雄の前での設定。だから今日は違う。何のために、あの日から身体を鍛えていたのか。わざわざ格闘技を習ったのか。
英雄に助けてもらって仲間になったユーリとは違う。自分の意思で英雄のもとに着いた。彼と一緒にいれば、確実に魔王軍に巡り会えるだろうから。
「王…………よぉぉっっ!」
地面で火花を散らしながら、一体の《なにか》が跳んだ。空気の摩擦で腕が燃える。
いかにもな温度のそれを、満堂は片手で受け止めた。肉が焼ける音が。香ばしい匂いが鼻をつく。
しかし、満堂は揺るがない。掴んだ腕を起点に、旧式一本背負いを全力で。受け身も取れずに背骨を折った《なにか》の肩を、間髪入れずに踏み砕く。
それは悲鳴も絶叫もなく終わった。呼吸系が破壊され、動くことすらままらなず。そんな《なにか》が生きたいのなら、今すぐ病院でも間に合うかどうか。
慣れた手つきでそれを蹴り飛ばす満堂。足元に転がられては邪魔でしかない。そのくらい冷酷だった。
「次は首を折る。早く来い」
ようやく身体もあったまってきた。ここからが本番。ここからが見せ所。
夜一に見栄を張りたい。ユーリに褒めてもらいたい。たったそれだけの理由で、マシュは身体を張れる。命を張れる。英雄が聞いたら怒られるだろうか。そんなの、今はどうでもいい。
次は二体同時だった。足と脇腹に二発ずつ。左手が軽い火傷。活動は停止した。それを見てようやく、足りない知恵で《なにか》は悟ったらしい。目の前の無頼漢、満堂秀作が危険であると。
だから、次は雪崩れ込んできた。耳障りな雄叫びをあげながら。顔が熱い。腹が熱い。足が熱い。一対十数人。しかも相手は黒帯以上。こんなの、誰が相手取ったって無傷でなんていくわけなくて。
半分も叩いたところで、満堂の疲労は限界だった。足元には数えたくないくらいの死体の山。けれど目の前には、鎌持って死神が今か今かと自分を待ち構えて。それが見えてしまったらから、もうマシュは悟っていた。
あぁ、今やっと熟したのかと。
この場において怪我をしてないやつなどいない。現に、マシュの右眼は血で見えなくなっている。
左肩は脱臼。骨折だって数え切れないくらい。火傷のしすぎで、もう感覚がほとんど残ってない。
立っているのは気力だけ。突けば崩れそうな砂城の上に、一人マシュはいる。
「王よ!王よ王よ王よ王よ!」
いい加減ゲシュタルト崩壊しそうなその言葉を叫びながら、《なにか》が一斉に飛びかかった。金属が擦れ合う甲高い音と、一層の火花が威力を語る。
違和感はそこからだ。気づいたのは、自分たちの腕が満堂を貫いていないという事実。確実に人の腹くらいは貫通する力だったはず。
漆黒の壁に防がれた拳が離れるより早く。満堂が告げる。
「業を返すぜ。『自業自得』!」
それは、《なにか》が跳ぶより早く全身を引き裂いた。
満堂の祝詞が終わると共に、全ての《なにか》はあり得ない量のダメージを一瞬にしてその身に帯びたのだ。しかもよく見りゃ、それはマシュの身体に付いた傷跡とぴったり一致している。
いや、彼の傷は消えていた。癒えたのではない。初めからなかったかの如く、完全に元どおりとなっていたのだ。
「…………いってぇ。マジでこれ、燃費悪いよな。殴られなきゃ発動できんし、魔力も全部持ってかれるし……」
ぶつくさ文句を吐きながら、元来た道を辿るマシュ。残された《なにか》の中に、蠢く影は微塵もない。全部が全部、同じように身体を引き裂かれている。
満堂の魔法『自業自得』は、その意味に沿う効果を持っている。傷痍反射と勝手に名付けたこの能力は、読んで字の如くダメージを相手に全部返す。但し還す傷に魔力量も比例するため、自分の持ち分をオーバーしたら戻せないという欠陥付きでだが。そのギリギリのラインを攻めるのが、戦いの中の密かな楽しみだった。
『栄枯盛衰』を使ったのは、対象を増やすため。一時的に魔力の量を制限されるが、時間が経てば利息付きで返ってくるという便利魔法がそれだ。増えた魔力で、まとめて一層。それがここ最近頻出する《なにか》へのマシュなりの対処法だった。
ただもちろん、魔法で治るのは肉体だけ。瞑鬼の【改上】よろしく、マシュもまた服は治らない。
「……買い直し、できっかな〜。服屋は商店街だし、いけるか?あぁ、またユーリがお冠だよちくしょう」
ぽりぽり頭をかきながら、ボロボロになった制服の端を摘む。一着五万円はするだろうから、当分プロテインは買えそうにない。経費で落とせと校長に恨みを吐きながら、マシュは灯りのない校舎へ踵を返した。