相反する魂は、連理の如く惹かれ合う
青ざめた顔で笑う瑞晴。口の端が震えている。きつく握りしめた拳が揺れていた。見えないナイフで心臓をズタズタに引き裂かれているような。近くにいる瞑鬼ですらそれなのだから、当の彼女自身は、そんなの比にならないくらいの痛みを負っているはず。
「……千紗らも急いでるだろうし、もう行こ。あ、一応冷蔵庫とか見てこうか。ほら、腹が減っちゃ戦は……うん。できないし……」
ふらふらとした足取りで、顔を向けるは台所。ここ最近ろくなものを食べてなかったんだろう。瞑鬼と陽一郎二人で夜中に食べるように買い置かれていた北陸限定カニラーメンの空き容器が、裸のゴミ袋にぶち込まれていた。
畳を体重を。瞬間、瑞晴の身体がふらついた。ちょうど何かに躓いた時のように。ゆっくりと、顔から地面に向かいつつ。
気づけば身体が動いてた。多分、分かってたんだろう。どのタイミングかで、こうなる事は。だから反応できた。だから追いつけた。
「……危ねぇな」
「あ、ありがと」
瞑鬼はすぐ背後にいた。瑞晴の右手を、自分の右手で掴んで。
「……やめろよ、それ」
「……でもさ、これくらいしかないんだよ。みんな、特に瞑鬼くんと夜一と、ソラちゃんと朋花と千紗にはさ、やっぱさ、いてほしいんだ。いつも笑顔で」
「…………なら」
この時のことを後から思い返せば、きっと甘酸っぱく思慮も無かったと、枕元でのたうちまわるに違いない。壁を殴るかもしれない。無性に恥ずかしくなって、所構わず叫びたくなるかもしれない。
だけど、瞑鬼は構わなかった。恥なんて今更どれだけ上書きされようが関係ない。壁なら殴ればいい。この瞬間、その瑞晴を救わねば。今の自分がそう思ったんなら、過去も未来も関係ない。
百万年後に寝物語として語られる。彼の行動は、それくらい考えられないものだった。少なくとも、今までの奥手な瞑鬼からは騒動もつかないほどに。
「…………こんな事されたらさ、泣くよ。絶対」
「構わん。むしろ泣け。ただ、後から交代してもらうからな」
「……じゃ、遠慮なく」
彼女は震えていた。瞑鬼の腕の中で。心もとない胸板に、自分の泣き顔を見られたくないのか強く避退を押し当てて。
自分と頭一つ違う身長で、それでも女の子である以上かなり柔らかくて。背中に回された手は、幾人救ってきたのだろう。葬る瞑鬼と対照に、瑞晴は掬ってきた。棄てられ、奪われたものたちを。
ただ、誰一人として彼女自身を救えるものは無し。そんな一方通行を許す瞑鬼じゃない。ただ、怒りに身が焦がれる事も、怨嗟で嗚咽を漏らす事もない。今は、今だけはひとりの男でありたかった。自分だけが瑞晴の手を取れると、確かめたかった。
遠慮なくなんて言ったのに。瑞晴は声を押し殺すように泣いた。そりゃ、大声で喚けば姿の見えない《なにか》に気取られる恐れもある。それなら瞑鬼が粛清する。一人じゃ足りやないなら、ここにはソラも朋花もいる。桜家がある。
「私も、です」
「瑞晴あったかーい」
「にゃん!」
いつのまにか、桜青果店の店員大集合だった。まだまだ夏だというのに、押し競饅頭でもしたいのかがっちり抱き合って。しかも関羽に至っては、瑞晴の頭の上に立って瞑鬼に抱きついている。
怒られても知らないぞ、なんて思いながら。もう少しこの時間が続けばいいと思いながら。瞑鬼は確かめた。この熱を。この光景を。
みんなが離れたのは、瑞晴から熱いの号令があった直後だった。夏休みも終わりとはいえ、まだまだ気温は下がらない。しかも今外は火の海なのだ。これだけ人数が集まれば、そりゃ汗もかく。
ふいー、なんておやじ臭いため息をこぼしながら、無造作に冷蔵庫を展開。みんなして押し合って中身を奪い合う。
一番最初に敗北した瞑鬼が手にできたのは、無惨にも漁られた中から救出された、一本のヤクルトのみ。ほとんどなにも食べてない状態で胃腸の調子も何もないが、水分補給は有り難かった。一秒で飲み終わった。
それからエネルギー補給と一時的な休憩という事で、チルド室にあったリンゴをカット。ひんやりした舌触りは、いつもと一味違うような気が。
その間も、瞑鬼とソラは警戒を怠ることはなく。常に店の外へ視線を向けながら、魔法回路を少しだけ開いていると言った状態で。
そうして全てが終わる頃には、合流にちょうどいい頃合いに。護身用として銃がないかと探したが、陽一郎の部屋にも瞑鬼の部屋にあったのも、全部なくなっていた。大方、あのバリケード維持のため探し尽くされたんだろう。
第二の魔法で白銀に連絡をし、四人と一匹は家を出た。見える範囲に人影は無し。やはり、完全に退去した後らしい。
「夜一たちも、多分同じだよね。町どころの規模じゃなさそうだし」
「……だな。市か、最低でも中学の校区内は確実に。宇宙から見たら楽しそうだ」
「火の七日間ですね。こないだ観ました。すごかったです!」
「……それ、世界滅んでるからな?」
物騒なことを言い出したソラに気を向けていれば、もうそこは商店街の入り口だ。予定通り、白銀組がそこにいた。
バリケードはカムイが飛び越えたのだろう。あの巨体なら苦労もなかろうと、特に瞑鬼は心配していなかった。
実に一時間ぶりの再会。だが、顔色は互いにあまりよろしくなく。特に家族仲良い千紗なんかは、確実に泣いた跡があった。目が腫れている。
「……状況の報告はいるか?瞑鬼」
「……べつに」
『次点の展開は如何様に。紅蓮の広がりが想定よりもやや早い。このままでは、暁を望めぬぞ、主人どの』
外に目をやれば、そこには広がっている。さっきよりも僅かながらに勢いを増した、死の炎の群れが。このまま順当に広がれば、商店街が焼かれるのも時間の問題だ。
安全な場所があるかなんてわからない。ただ、動かなければ無駄に死ぬだけ。こんな所で瞑鬼一人が蘇っても、恐らくやる気は起こるまい。潔く一人世界の終焉を見るか、身体が再生をやめるか。どちらかにらなるのは明白だった。
「……学校、とか」
それは、小学生の朋花だからでた感想。避難訓練だとか、防災月間だとか。そう言うのを教え込まれ、それをまだ信じる時期だからでてきた意見。
瞑鬼たちは忘れていた。考えてみれば、当たり前だったのだ。災害が起これば、街を呑気に闊歩するやつがいるわけが無い。そして、近隣の住民の最初の避難場所。それは、学校に違いなかったのだ。
それに、天道高校の校舎はハーモニーの本拠地。ひょっとすれば、そこに行けば英雄がいるかもしれない。瞑鬼的には癪も癪だが、今この状況で、彼以上に頼れる人物など知る由も無し。
「ナイス、朋花ちゃん」
「很好地做了です!朋花ちゃん!」
「いやー!冴えてるねー!」
女性陣が全員抱きつきに行った所で、野郎二人は作戦タイム。白銀と瞑鬼と夜一で顔を見合わせて、道中の確認を。
「行けるか?カムイ、一里だとどれくらいかかる?」
『ふむ、全員乗せて走るのであれば、五分から十分程度。今なら直線も多かろうし、恐らくはもう少し早かろう』
「……夜一、ここ来るまでになんかいた?」
「……以前戦った、あの王とか叫ぶあいつが一人。カムイと二人で処理はした」
「……そうか……」
瞑鬼にとって最大の懸念は、大量の《なにか》と鉢合わせることだ。今のフレッシュの戦力ならある程度は捌けるだろうが、あまり出会いたく無いのが事実。それに、下手に動けばどこで元凶の義鬼と遭遇するかもわからない。
あの用意周到なクソ野郎のこと。今回の作戦にも、自分一人でなんてことなはい。最低でも部下を数人、部が悪ければ、ほかの【円卓の使徒】が呼ばれている可能性もある。
最悪の事態を考えれば考えるほど、頭の回転が鈍る。準備も時間も足りない今、託されるのは少々気が重かった。出来るなら、ここで火が消えるまで待機したい。
「…………いや、行くぞ」
だが、今日の瞑鬼は少しばかり大胆だった。いつもなら石橋を壊れるまで叩く主義なのに、やはりことが起きた時の行動力は群を抜いている。
未だ戯れていた四人を呼び出し、今後の動きを説明。反対意見が出なかったのは、やはりここの人間の信頼のおかげだろう。
カムイの背中にライドして、向かうは天道高校。カムイが匂いを嗅ぎなるべく《なにか》には近づかないように。もし万が一の時は、瞑鬼一人で足止めを。そういう作戦だった。
灼熱のアスファルトに乗せられたカムイの脚が、風と同化する感覚を与えてくる。乗馬よりも荒ぶっていて、チーターよりも下手すりゃ早い。そんなカムイが地を駆け空中を跳び、ものの五分で学校近くの河川敷まで辿り着いていた。
「……電気、付いて無いか。まぁそうだよね」
「んじゃこっからは厳戒態勢でな。みんな降りろ」
瞑鬼の命令で、カムイから朋花と千紗以外の全員が下乗。ここから先は、いつ敵に襲われるか不明なゾーン。と言うのも、敵だって頭は付いてる以上、人がいるところを狙ってくるだろうから。
《なにか》の役割が不明で、目的も曖昧なこの段階で、本当ならば危険地帯には近づきたく無い。
けれど、そこに誰かがいるかもしれないのら。陽一郎でもいい。千紗の親父さんでもいい。夜一の妹でも、それこそ隣の肉屋のおっさんでだって。
ただ今は、安心が欲しかったのだ。
速度を下げて、ゆっくり歩くカムイの足元を、しんと張り詰めた空気が支配していた。前方はカムイ。後方は瞑鬼。後は瑞晴と夜一とソラが交代で見回すと言う方法で。
学校までの距離は、およそ百メートル弱。高校生の歩行速度なら、一分もあればつけるだろう。校門がしまっているのが、ぼんやりと陽炎の先に見えた。昨日は部活もあっただろう。今日だって。
それなのにしまっていると言うことは、誰かが逃げ込んでいると言う可能性が大。
滴る汗に希望がこもる。脱水間近の体が、給水機を求めていた。自販機のミックスフルーツは無事だろうか。コーヒーでもいい。
だから、なんだろう。瞑鬼は忘れていた。またもや。自分が世界に、嫌われていると言うことに。
「…………王よ」
その声が聞こえた瞬間、誰もが戦慄した。見えなかったからでは無い。そんなの、炎の向こう側なんて元から見えちゃいないのだ。
違う。そこじゃない。瞑鬼が信じられなかったのは。信じたくなかったのは。
その声は聞こえていた。今もなお。数多の方向から。
「王よ、王よ、王よ、王よ、王よ」
不気味なコーラスがなる。音が近づいていた。同時に足音も。もう、すぐそこまで。
「……マジかよ。こりゃねーわ」
「烏合の衆、と言いたいが、どうやら狐程度の知能はあるようだな」
「……うっわぁ。これはねー……うん」
炎が晴れ、その姿が顕現した瞬間、もう瞑鬼は攻撃を開始していた。多勢に無勢だが、先手必勝は戦の理。
全力で魔法回路を開き、展開するは第五の魔法。思い切り指を擦り合わせたそこに発生するのは、鬼の形を成した爆炎だ。着火剤は脂肪、導火線は魔力。ここら一帯に広がるそれとは明らかに異質な、濁った焔。それが勢いよく《なにか》を襲う。
着弾と同時に、三体の《なにか》が身を灼かれ。先手は上々、ここから押せばまだ巻き返せる。学校は目前なのだ。ここで一回死ぬわけにはいかなかった。
「……しくった……」
しかし、どうやら先人たちの見地はそこまで反故にできないようで。後悔先に立たずの言葉通り、瞑鬼は事を起こして悔やんでいた。
「……打ち止めか?」
「一発撃ったの忘れてた。すまん」
「まぁ、ノルマは3匹だ。サポートに回れ」
激痛を過ぎた自分の右腕を抑えながら、瞑鬼は一歩後ずさる。そう。今日は既に第五の魔法を一度使っていたのだ。
一回目は軽い火傷だったから良かったものの、今回のは死んだ細胞をさらに焼くような行為。あっさりと感覚が消失して、残ったのは黒く焦げた細い腕だけ。
一瞬だけの隙。フレッシュのメンバーが瞑鬼に注目したその直後、《なにか》は一斉に地面を蹴っていた。
目測だけで十二体。まだわらわら沸いて来ている。後ろで金属がはじけるような音が鳴った。恐らくは、夜一が交戦開始したのだろう。見れば、ソラもカムイも、瑞晴ですらこの真夜中に戦いに勤しんでいる。
『塞げ皆の者』
第七と第三の魔法で抵抗していた瞑鬼の頭に、ふとそんな声が降り注いだ。厳かで、どこか神々しいような。そしてその意味を理解した刹那、瞑鬼を含めたフレッシュ全員が、耳に手を当て姿勢を下げていた。
『ーーーーーーーーーーーーーっっ!』
十勝から札幌まで響く、白銀のカムイ乾坤の咆哮。その正体は、魔力で爆発的に高められた肺活量と、カムイ自身の魔法の相乗技だ。
相手の脳に直接音を届けるカムイの魔法は、瞑鬼第六の、神経遮断以外は防ぐすべなし。従っていくら鉄になろうが鋼と化そうが、そんなの彼には関係ない。相手が人の紛い物である以上、神の叱咤は心と身体を砕きに来る。
白銀が作り出した強制的な静寂。しかし、それをチャンスにできる程みんなに余裕があるわけなく。咄嗟に庇ってなかったら、鼓膜が裂けて地面をのたうっていただろう。だが、出来たのは自己防衛まで。そこから攻撃に転じれるほど、先のダメージは緩くなかった。




