虚の部屋
どう登ろうかなんて考えていた所に、ソラからのシグナルが。まさかと思って振り返るも、そこにあるのは紅蓮が揺れる景色だけ。だが、ここでソラの言葉を信用しない手はない。一番鼻も耳も効くのだから。
このメンバーで、もう一度交戦。そのリスクを瞬時に弾き出す。当たり前だが結論は逃走だ。わざわざ追ってくる相手に対し、一々付き合っちゃいられない。
「……俺が登って、上から引き上げる」
高さは約5メートルほど。どれだけ大掛かりに守っていたのか。だが、この程度なら、瞑鬼一人で十分登りきれるだろう。第四の魔法を併用すれば、ほぼ不可能じゃない。
ここで迷っている策はない。背負っていた朋花を半ば強引に瑞晴に押し付けて、瞑鬼は崩れかけの椅子に足をかけた。魔法回路を開く。極限までに研ぎ澄まされた集中力。失敗すれば、その時は自分が囮に二人を押し上げる。そのくらいの気合は必要だ。
余裕をもって一分弱。それまでに全員を回収しなければ。そんな男の責任感というやつがけつを押してくれた。落ちかければ息を止め、また次に手をかける。それはボルダリング初心者とは思えないほど速く。かかったのは三十秒足らずだった。
足場は不安定。しかも、崩れたら一巻の終わり。
おちおち家にも帰れなくなるだろう。下手したら、多数の《なにか》と出会う可能性もある。そうでなくとも、まだ商店街に生存者がいる確率だってある。だから、これまでのいつ何時よりも慎重に。なるべく体重を分散し、よろよろと立ち上がる。
「……千里眼か遠視、やっぱ欲しいよな」
ありったけの魔力を目に集中。野鳥レベルの視力で瞑鬼が見たのは、おおよそ50メートルほど先を歩く不気味な人影だ。覚束ない足取りに、ご自慢なのかシルクの一枚布。
下を見れば、なんとか二人で朋花を持ったまま登ろうとする健気な女子たちの姿が。道具もなにもない状況で、まさかここまで順応できるとは。瞑鬼としても意外だった。
瑞晴の足が、何もない宙を踏んだ。重心が傾き、バランスが完全に崩壊する。咄嗟に手を伸ばしたソラも、足を滑らせ真っ逆さまに。脳が慌てる。これでもかというほどに、発動条件は完璧だった。
目を瞑った瑞晴。頭から落ちるのは受験を控えた高校生として少しばかり心配だが、顔からはもっと困る。だから、魔法回路を開いてせめて痛みだけでもと。同時に、ソラにありったけの謝罪を込めて。朋花だけは傷つけない。そんな覚悟まで。受け身だって練習した。痛いのなんか怖くない。
瞬間、彼女の身体をなにかが包み込む。恐る恐る目を開けた。まず最初に映ったのは、なんだか一丁前に逞しくなった漆黒の腕だ。それが背中に回り、頼り甲斐があることに一本だけで自分を支えている。
「……怪我ねぇか」
するすると巻き取られるように、小さなエレベーターが上昇しだす。同時に天から声が降ってきた。安心できるような、でもやっぱり、心配の方が強いような。
「こっちは大丈夫!」
「あ、ありがとうございます!瞑鬼さん!」
「……う、うぇ?もう朝?」
ものの数秒で、三人は屋上に到着していた。いつのまにか瞑鬼も紳士的と言うのを覚えたようで。瑞晴とソラ、二人の前に手が差し出される。
慣れてないせいか、それは余計に恥ずかしく感ぜられた。意識している場合じゃないのに。そこら辺を瞑鬼はわかってない。はてな顔をさせておくのも気がひけるので、大人しく手を握る。熱かった。
「ここ、商店街?……ごめん。私、寝ちゃってた」
意気消沈な雰囲気を醸し出しながら、でも状況を飲み込もうと必死に。朋花は机に足を置く。そりゃ彼女からすれば、いきなり訳の分からない高いどこかに連れてこられたと言う印象なんだろう。けど説明している時間はなし。
「……朋花にはそれ無しなの?」
「……毒リンゴでも食ってろクソガキ」
「ま、まぁお二人とも。ホラ、犬も食わないってやつですよ」
「ソラちゃん……。敗北宣言だよ……?」
どうやら朋花と瞑鬼の犬猿の仲は、どんな所でも発揮されるようで。でも残念ながら、日曜の夕方ばりに掛け合いを楽しむ余裕はない。
湧き上がるストレスを抑えながら、目を細める瞑鬼。もうすぐそこまで《なにか》は迫っていた。
下を見れば、そこには5メートル分だけの勾配が。水平ならばどうと言うことない距離も、垂直だといつもの倍に思えた。
息を一つ吐く。イメージは高飛び込みの選手。魔法を使えばどうとでも。つい数ヶ月前までは自分を一つも信じられなかった男が、初めて己の肉体というやつを信じていた。
左手が瑞晴を、右手がソラを掴む。瞑鬼第四の、宙を踏む魔法。それは、なかなかに珍しい他人と並列に使用が可能な魔法だった。
瞑鬼に触れて居れば、任意の人間は同じ効果を得る。それがこの魔法のもう一つの使い方。だが、手は二本だけ。第七の魔法は使えない。となると、残された手段で考えつくのは一つくらい。
「掴まれ、朋花」
「…………服じゃダメ?」
「一箇所は絶対な。つか、おんぶくらい意識すんな」
くぅ、と顔を赤らめる朋花。屈辱感だとか、そう言うのが渦巻いているんだろう。小学生なら珍しくもなんともない。
全員が触れていることを確認し、瞑鬼は勢いよく飛び降りた。足が浮く。絶叫マシンが大丈夫なソラや瑞晴と違い、瞑鬼の股間は縮み上がっていた。地面が近づくよりも前に息を止める。足場ができたのを確認し、そのままとんとん下へ下へ。
「……慣れねぇ」
「こんどどっか行ったら、絶対バンジーだね」
「……まじ勘弁」
とても断崖絶壁から身投げをした男とは思えないくらいに、気弱な発言だった。だけど、それができていると言うことが、いつもの瞑鬼であることを証明している。瑞晴もソラも、その点だけは安心だった。
後は、桜青果店へ向かい、取り敢えずの荷物をゲットするだけ。道中に人がいればなおよし。当たり前のように廃墟の気配が漂っているが、流石にこの短期間に全滅などとは考えたくなかった。
携帯で時間を確認しつつ歩き出す三人と対照的に、瞑鬼は商店街とは逆の方向をじっと見てめていた。視線の先に吸えるのは、今もなおこちらに向かって這うように近づいてくる《なにか》。しかも今度は、さっきのよりも一回り身体が大きい。
状況を鑑みても、複数体いるのは確実だった。しかも一個体で性能に違いがあれば、ハズレを引こうものならほぼ確定で【改上】コース。結託されても大問題。となれば、やる事は決まっている。
「……先行っててくれ。あいつ潰してく」
なんの理由か知らないが、《なにか》の狙いは瞑鬼なのだ。だから三人が行っても追う事はない。恐らく。
だとしたら、リーダーである自分がすべきは、他の誰でもできる事じゃない。存在意義があるのなら、そこに焦点を。そうじゃないとこんな世界、やっていけない。
「……一人でいけますか?なんなら私も……」
「いや、多分大丈夫。……見てみ、あこ」
余裕ぶったつもりはない。が、きっと、女の子目線だと今の瞑鬼は随分と楽観的に見えたんだろう。指差した先にあったのは、山のように積まれた銃火器だった。マシンガンにライフル、拳銃から手榴弾まで。およそ日本じゃお目にかかれない程の量が、無造作に置かれていた。
「ハーモニーの誰かが、ここで見張ってたって感じだろ。……一応使い方もわかる」
「……ホウレンソウ、忘れないでよ」
「……社会人ですから」
言葉は交わした。後は目だけ。告げる。任せておけと。やっと頑固者も理解してくれたらしい。瑞晴はさも姉のように、二人の肩を押して走り出した。
誰もいない廃れた街。背後にはゆらゆら燃ゆる赤炎。ここでタバコの一つでもあれば、相当絵になるだろう。だが、あれだけはどうも肌に合わないのだ。
置いていった誰かに感謝しつつ、瞑鬼は銃を引き抜く。名前は知らない、けれどゲームなどでよく見る形。使い方なんて分かるはずがない。分かるのは、安全装置と引き金を引けば撃てると言う事くらい。拳銃なら少しは習ったが、やはりスコープがあったほうが安心感が強いのも事実。
肩を痛めそうな鉄の塊を、がっちり固定。台座がわりに机に乗せて、狙うは《なにか》のど真ん中。風をよむだとか、反動がどうとか、そんな懸念は一切消していた。息を呑む。体を一本の芯に。引き金に力をーーーー
直後、肩が外れるほどの衝撃が。おまけに三軒隣まで起こせそうな轟音も。作法を知らないズブの素人に扱えるほど、この人類史の悪魔は優しくないようで。
スコープを覗く。生憎なことに、弾は掠りもしていなかった。歩みを進める足に違和感はない。怯えた様子すらも。
接近戦が頭をよぎるも、それじゃ尚のこと薄いだろう。大金星に賭けられる程、こっちのチップは余っちゃいない。弾がまだ込められていることを祈りつつ、瞑鬼は再度引き金に手を当てる。
「……やっぱすげぇや、陽一郎さん」
今度の一撃は、存外綺麗な直線を描いた。ヒットしたのは下腹部。鋼鉄の魔法も、鉛弾の前じゃほぼ意味がない。歩幅が縮む。それでも止まらないことに恐怖が芽生えた。だが、余裕がないのは瞑鬼も同じ。リロード数も、リロード方すらわからない。だから、一発が生命線。祈りを込める。引き金を引く。
耳をつんざく音が通り過ぎるとともに、《なにか》は脚から崩れ落ちた。
まだ手に残る痺れを無視。そこらに銃を投げ捨てる。もううんざりだった。
ひさびさにあんなもの使ったせいか、やけに興奮が収まらない。無造作に木箱に突っ込まれた、無数の銃器たち。それの一つを、瞑鬼は手にとって見てみることに。何のことはない。ただの確認である。
正直こういう関連には疎いも疎い瞑鬼だが、一応陽一郎や吉野から詰め込まれた知識だけはあった。暗かったから気づかなかったが、バリケードまりは空薬莢が散乱している。それが告げるは、ここでかなりの時間硬直があったということ。商店街なだけあって、衣食住には困らなかったんだろう。
「……そういや、【黄金条約】だったか。あれの撤廃って……」
瞑鬼は思い出す。幾分か前に、義鬼の部屋で閲覧した書類のことを。あれには確かに記されていた。人間と魔王軍、その不可侵を約束した、黄金条約の撤廃案が。
もし仮に、義鬼が本当に【円卓の使徒】。魔王軍の幹部であるというなら、その指令が下ったのも納得できる。理由なんて知らないが。
今回の騒動。これだけの被害、しかも日本全土で似たような。そんなの、侵攻以外にあり得なかった。何故長年の均衡を破ったのか。前から計画されていたのか。それとも、ここ一週間で急に決められたのか。それすら瞑鬼はわからない。
拳を握る。血が出るくらい。じゃないと、怒りが抑えられそうにない。このまま当たり散らしたかった。目の前の机を蹴り飛ばして、何でも良いから殴りたいくらい。
全く、いつの世も。どこの世界でも。瞑鬼の敵はちゃんといやがる。一番的確に、それも狙いすましたかのように。瞑鬼の心を抉ってくる。
「……次会う時は、マジで……だな」
地面と平行に横たわる《なにか》を、燻る視界の端に収めながら。瞑鬼は郷愁への思いを馳せていた。変わってしまったこの場所も、違ってしまった関係も。全てを飲み込んで、進まなければならないのだから。
軽い脱水と睡眠不足で披露してきた頭を振りながら、瞑鬼は踵を返す。商店街に火の手は回ってない。この大火もいつかは収まるだろう。だが、まだ逃げ遅れた人だっているかもしれない。それを助けるのが、ハーモニーの末端である瞑鬼の役目。
それに、まだ気になっていた。本当に《なにか》がこれだけなのかと。二体いるなら、三体来ても不思議じゃない。言えば更にいたとしても。
ソラ一人なら、それに対抗するのも可能だろう。だが、今の瑞晴と朋花じゃ、どう考えても太刀打ちできない。
瑞晴の魔法が効くのなら楽な話だが、どうも脳みそが火星までぶっ飛んでいるやつに効果が期待できるとは。せめて自分が守らねば。瞑鬼がその考えに至るのも、強ち間違いとも言えなかった。
すっかり見慣れた商店街を、いつもじゃ考えられないくらいの速度で走る。いつだったか爆破された本屋さん。今思えば、あれは義鬼からの宣戦布告。そんなこじ付けにも理解が湧く。
駆け抜けた。安くてデカイがモットーのコロッケ屋を。猫も盗む魚屋を。おばあちゃんが一人で経営している酒屋を。どれも人っ子一人いない、瞑鬼の街を。
そうして着いたのは、少しペンキが剥がれかかった一つのお店。二十年くらいなんだろう。何度も塗装をした跡がある。果物の看板に、商品が見えるよう備えられたガラス扉。今はそれが割れていた。かつて瞑鬼が魔女との攻防の際に砕いたそれが。
桜青果店の敷居をまたぐ。何も無い商品棚から、少しだけフルーツの残り香が。そして、何よりも強い硝煙の香りも。
「……通帳と印鑑と、あとお母さんの位牌なくなってる」
開け放たれた扉の向こう側。リビング超えた廊下から、瑞晴が向かっていた。背後には朋花とソラも。三人とも土足だった。
「……あの人がそれ忘れるわけねぇ。生きてるよ」
「…………かな」
「街の人たち優先で、守ってたって感じだろ。入口のアレとか」
「……瑞晴……」
「瑞晴さん……」
妹二人に心配されて。瑞晴もさぞ消沈なことだろう。そんなの痛いくらい伝わってくる。これくらいなら、まだ一緒に戦った方がマシだった。ちょっと離れて、帰って来たらいなくなって。そんでもって生死も不明、そこら中で戦争紛いが。そんなの、普通の女子高生が耐えられるわけがない。
気丈に振る舞っていた。彼女は、また。必死に。
瞑鬼がどれだけ腐ろうと、いつも瑞晴だけは彼女のままでいてくれる。魔女の時も、白銀の時も、その前の時だって。深く掘り返せば、元の世界でだってそうだったかもしれない。




