平成最後の夏、平静最期の平和
「……暑いですね……」
「だね……。水もうないよ」
「こうも人がおらんと、どうしようも……」
「……やっぱ、家とかもアウトだよね。多分」
「瑞晴ぁ……」
こんな異常事態の連発で、平生を装えるほどみんな心が壊れちゃいない。多少慣れてはいるが、まだまだ経験が足りないのが現実だ。それも、支援の希望がないとなれば尚更に。
瞑鬼にとっては救いだったのは、フレッシュメンバーが全員予想以上に考えるということを知っていたこと。泣き喚くわけでも、大声で文句だけを垂らすわけでもない。事態に対し立ち向かう。そのすべの一片でも自分たちが持っていることを知れたのが、何よりの収穫。
まだ火の手は収まりそうにない。元いた世界でも、紛争地域じゃこんなの日常茶飯事だったのだろう。だからどうという事はないが、そんな考えが頭をよぎった。
瞑鬼だって冷静じゃない。犯人の目星がついてしまっているのだから。忘れたくても記憶の底にこべりついている。消したいのに、バックアップが勝手に取られる。この世界で誰よりも最初に知った、魔力の匂い。それが空気中に色濃く漂っていた。
『……一時引くか?主人殿』
瞑鬼だけに聞こえるように、頭の中に言葉をぶち込んでくるカムイ。目の端で瞑鬼を捉えていた。あとは、周りへの警戒といったところ。
なにが正解なのだろう。例えここで戻ったところで、何か進展があるわけじゃい。だが、仮に家に行って。もしそこで陽一郎が死んでいただとか、他の誰かの家族が亡くなっただとかがあったら。
それこそが、瞑鬼が一番懸念しなければならないところ。メンタルケアはリーダーの仕事。だが、そのリーダーが一番初めに壊れる可能性がある。
「…………心配するな、カムイ」
『………………』
ここで一度戦闘があったのは、ある意味瞑鬼にとって良かったのかもしれない。そのおかげで、随分と冷静さを取り戻せた。異常度をやっと、いつも通りに感じることが出来た。
みんなが心配するのはいい。むしろ瑞晴に激励されるなんて、ご褒美もいいところ。だが、瞑鬼が求める理想郷は、こんな世界になんかあるわきゃない。日常系にしかそれが無いのなら。その時まで気を抜いてはいけないのなら。そんなの、あの幸せを一瞬でも知ってしまった瞑鬼じゃ放り出せなかった。
誰より弱くても。燦然と煌めく太陽になれなくても。瞑鬼は瞑鬼の役割がある。性格悪魔と呼ばれようと、勇気がなかろうと、瞑鬼しかできないことが。
静かに狼狽えるグッドフレンドたちに、一つ柏手を。恥ずかしながら話を遮って、視線が瞑鬼に注がれた。
腐ってなんかいられない。この状況だからこそ。そりゃ、陽一郎のようにとか、師匠のようにとはいかないだろう。それまで引き継げれば十分。そう考えただけで、随分頭の霧は晴れていた。
「取り敢えず、俺と瑞晴、ソラ、朋花は桜青果店に行く。もし陽一郎さんがいりゃ、まぁ、なんか指示出してくれるだろ。夜一たちは、カムイと一緒にそれぞれ自宅へな」
「……あぁ」
「合流は、そうだな。一時間後。商店街の入り口で。…………おーけー?」
やっぱり何度やっても、大勢の前で話すのは慣れない。気心知れてる仲とは言え、注目されると冷や汗が。一つ上の英雄には啖呵を切れる野郎でも、弁慶は外でしか名乗れないようで。
瞑鬼が仕切るのが意外なのか、夜一は終始ニヤニヤ顔で見つめていた。どうやら一発殴っても大丈夫なくらいの怪我なようだ。
さっきまであれだけ焦っていただけに、今は沈黙がいやに悲しい。もしこれで千紗に鼻で笑われようものなら、恥ずかしさと後悔で火を吹いてもおかしくない。少しばかり火傷した右手が疼いた気がした。
「了解だリーダー。……ぷっ」
「なに笑ってんだ?千紗にあの事バラすぞ」
「はんっ。そんなもん、あるわけが無いだろうっ!!何を言ってるんだ…………ははは」
「瞑鬼、後から教えてよ」
「や、やめておけ千紗。どうせ面白くもなんとも……」
「は?あんの?」
「墓穴掘ったぞ。バカめ」
「夜一さん……」
「瞑鬼くんのあくまー」
「へんたーい!さいてー!」
『悪辣だな……。幼子よ』
「今度お前の寝言録音してやるからな」
瞑鬼の変態性が若干暴露された気もするが、そんな事は気にしない。こうして無駄話ができるようになっただけでも、充分みんなの気が紛れたという事。
大切なのは、この異常になれる事じゃない。そんな提案しようものなら、陽一郎に殴り飛ばされるだろう。
何かが起こった時に肝心なのは、それを受け入れる事じゃない。うまく折り合いをつけて、いかに普段通り振る舞えるかだ。それを出来ない奴が、戦場でいきり立って、怯え縮んで、死に至る。そう聞いていたから。
「……頼むぞカムイ。なんかあったら知らせてくれ。俺もそうする」
『仰せの通りに。……それでは、案内を頼むぞ、夜一』
あぁ。そう言いながら、神妙な面持ちの二人は消えていった。きっと瞑鬼たちがいなくなったところで、尋問が始まるのだろう。そうなった原因を作りつつも、なぜだか笑いが止まらない瞑鬼。
本来なら明日から学校だったというのに。それに、もう夜も9時を過ぎている。朋花にほんのりと眠気が襲ってくるころだ。あまり夜更かしはさせたくないという、小石程度の父性が瞑鬼に芽生えつつあった。
取り残されたのは、瞑鬼に瑞晴、ソラ、朋花、関羽の五人。変わり果てた街の様子じゃ、商店街まで辿り着くのに、それ相応の時間がいるだろう。ほんの一刻しかない上に、こっちには足もない。頑張る朋花の速度に合わせつつ、五人は家を目指して走り出す。そこにいつもの、日常のようなものがあると信じて。
「似合うね、お父さん」
「……せいぜい兄貴がいいとこだな」
火の手が収まる気配もないのはどこも一緒だった。けれど、感が告げる。どの道が家に通ずるかを。もう既に、一番お子ちゃまな朋花はダウンだった。白銀の旅に加え、帰ってきても帰る途中もまともに休んじゃいない。意図的に一人だけ訓練から外れている彼女からしたら、その疲労は計り知れないものがあるのだろう。
荒々しく走る瞑鬼の背中で、無防備ながらに年相応な可愛らしい寝顔を晒している。瞑鬼からしたら、写真を撮れないのが何より残念だ。しかも振り向いてちらっと見ることすらも。
帰巣本能で馳ける関羽の後を追いながら、三人は器用に火の輪をくぐっていた。幸運なことに、この騒ぎの中心は商店街とは逆側らしい。向かうほどに、火の手は弱まっている。しかしそれでも、街ごと巻き込んでいるのに変わりはなくて。
日本全国がこれと同等と言うことは、自衛隊等々による消化活動はほぼないとみていい。そんな暇があるのなら、義鬼を含めた魔王軍討伐のが先の課題だ。ようやく冷静さを取り戻しつつあった頭の中で、瞑鬼は考えていた。
世界史の教科書を思い出す。近代史という受験生一番の難関単元に、それは載っていた。この世界での人間の散布図が。
オーストラリアに、イギリス、アイスランドや日本。その他数百の島だけが、今や最弱種族ヒトの居場所なのだとか。大陸は魔女と魔王軍が占拠している上に、海洋も魔獣やらで溢れかえっているのだとか。だから当然、瞑鬼の世界であった国は殆ど統廃合が進み、連合国となっている。
故に、国際連盟の結びつきは強かった。数を減らされ危機に立たされ、人類はようやくその危篤性に気がついたのだ。希望があるとすれば、その国連からのPKOくらい。けれど他の地域でも【円卓の使徒】が、魔王軍が本気を出していたら。維新のような一国の規模じゃない。世界中で大戦争が起こる。
「…………やっぱ、魔王だな。一番やんなきゃなんねぇの」
ぽつりと言葉が漏れる。虫の居所が悪いのを察してか、二人とも何も言わなかった。
そうして気がつけば、もうそこは商店街の入り口だった。安っぽかった看板が、今じゃ煤まみれでベニヤが剥がれ落ちている。昔見た、廃園後の遊園地のようだった。
その商店街の一番初め。薬屋と肉屋の間の通路には、簡易的なバリケードが。家庭菜園で使う安価な針金で、椅子やら机やらが固定されている。見上げるほどまで積み上げられたそれらが、街の人々が抵抗したということを示していた。
「…………あれ対策か」
「だろうね……。これ、もしかしてもっといっぱい居る系かな……」
争いの残骸を眺めながら、瑞晴は嘆息混じりにぼやきだす。触れた机の四肢は、無理矢理な力でひしゃげていた。
「……瞑鬼さん、近くです。います」




