七転の王
何も指示しなくても、勝手に各々が役目を理解して動いてくれる。それを信じてみんなが付いて行く。そんな関係、未だ嘗て持ったことが無かった。
だからこそ、フレッシュの、この七人の関係が最高に嬉しかったりする。もう自分がいなくても回るなんて、小学生の拗ねるような理由は捨てた。瞑鬼にだってやれることはある。そのために瞑鬼はここにいる。
迷っている暇などあるはずもなく。灼熱の空気で肺を洗う。焼け付いた気温が喉を、震えるほどの怒りが脳天を。入れ替えるきっかけをくれた。
この数週間、瞑鬼は忘れていた。敵の存在というやつを。ここは元いた、誰かを恨んでいればそれで終わる世界じゃない。全てが連鎖し、それが自分に還ってくる。再度覚悟を確認させてくれた、憎っくきくそ親父に罵倒の意を送り、瞑鬼は魔法回路を展開した。
「風通すぞ」
『……任せた』
狙うは正面。倒れた木造建築の破片が、勢いよく朱色を噴いていた。飛び越えるのは容易だろうが、毛に火が移ったら元も子もない。
手を前に。親指と中指を擦り合わせ、生まれ出ずるは黒味がかったプラズマの塊。着火剤は腕についた脂肪と筋肉。それが魔力を辿り、邪魔な木片もろとも吹き飛ばす。
瞑鬼第五の魔法、爆炎を噴くそれは、リスクを考えれば使いどころは限られる。瞬間的な火力不足も否めない瞑鬼だが、これだけは重宝できるのだ。普通なら人生で数度しか使わないであろうハズレ魔法も、コンテニューを前提とした戦い方なら吹っ切れもする。
「……熱ちぃ」
「惜しいです。ピリカちゃんがいれば簡単に……」
「うまそうな匂いだ」
「……怖ぇよ」
ものの三十分もいれば、それなりに状況にも慣れてくる。油断とまではいかないが、いつものフレッシュに戻りつつあった。
全くスピードを落とすことなく駆けるカムイ。だが、どれだけ瞑鬼が土地を知っていようと、今その地図は着々を書き換えられつつある。あった道は塞がって、無かったはずの空居が生まれたり。
軽く自動車程度はでるカムイなら、あと数分もすれば商店街に着く。狭い通りは無理だろうから、瞑鬼、瑞晴、朋花とソラが降りて、その足で夜一たちを家に送るのが最善。いつも通り先を見ながら、でも周りにも気を配る。
不気味なくらい、街には人がいなかった。焼け焦げたような遺体も無ければ、逃げ惑う子供の姿さえ。それは、帰ってきたばかりの瞑鬼たちからすれば、恐怖心を煽る以外の何物でもなくて。だからと言って電話をかけても、日本中がこれじゃ基地局が生きているはずもなし。
千紗が前を向いていた。瞑鬼は常に魔法回路を開いて第三の魔法を展開。疲れが取れると有名な、アロマのお香を醸し出す。朋花はずっと瑞晴にしがみついていた。下手に騒がれるよりかはその方がいい。みんな意識はしていたのに、誰一人として下を向いていなかった。助けを求める人があろうとも、そんな余裕はないと言わんばかりに。だがただ一人、ソラだけが家を、瓦礫を、過ぎ行く街を眺めていた。逃したくないのだろう。
救える命がそこにあるのなら、知らない人でも手を伸ばす。そんな真っ直ぐさに救われた瞑鬼だからこそ、その役目は任せっきりだった。
刹那、ソラが声を荒らげる。
「カムイ!請停!」
言葉は分からない筈なのに、その迫力に思わず足を止めるカムイ。白銀の神狼ですら恐る魔女。改めてその存在の強大さを瞑鬼は知った。
「……いたのか?」
「はい。一人、一つ向こうの家の下に。……いいですか?」
その「いいですか」が何を示すのか。ソラはいやに上目遣いで、希うように真っ直ぐで。そんな目を向けられては、さしもの瞑鬼もノーと言えるはずがなく。それに、瑞晴の手前そんなことできる度胸もなくて。
敵だった場合のリスクは。様子見に自分だけで。そんなことを考える間も無く、瞑鬼は口を開いていた。
「……行くぞ」
『……これは意外な』
「うるっせぇ」
これ以上人が乗って一番負担がかかるのは、全会一致でカムイだろう。それに、神様だからといって拒否することもできるのに。白銀は主人に忠誠を誓うように、自ら窮地に飛び込んだのだ。
ソラの誘導に従い、道を一本だけ越える。肉眼じゃ厳しいが、確かに10メートル程度先に、人らしい影はあった。マジかよなんて感想を抱きつつも、勢いよく飛び降りる瞑鬼。リュックに入っていた最低限の応急措置だけを念頭に置き、炎の間を縫って進んだ。お供は夜一と瑞晴。万が一に備えれば、この布陣が最善策だろうと。
見ると、その人は下半身に軽度の裂傷を負っていた。まるで何かに縛られたような、そんな痕。どのくらい道に倒れていたのかは不明だが、自分たち以外の人間の存在というのが、夜道で出会った自販機のような頼もしさを演出していた。
習ったことを思い出す。陽一郎に最初の勤務日に言われた、まずは自分の命第一優先。それに従い、周りを確認。他に危険物がない場合は近寄るというのが正解だが、このそこいら中が危険地帯な時にあれこれ言ってある暇などあるはずがないのだ。だから最低限だけ確かめると、瞑鬼はすぐに駆けだした。
「……生きてるか?」
かけた声が小さかったのは、横たわるそれがあまりにも日本とは異質だったから。近くで見るとよく分かる。剥き出しの足に、履物はなし。なんとも不自然なのが、着ているのは薄い布切れ一枚だけだということ。そして、なぜだが魔法回路が開きっぱなしだった。
返事はなかった。ただ、若干の身じろぎのようなものが、そいつがまだ生きていることを示しているだけ。傷みが激しい右手を抑えながら、瞑鬼は《それ》に近づいてゆく。
長い髪のせいで、顔は確認できなかった。体格のせいか、男女の区別すら。頭部へのダメージがある場合、下手に動かすのは逆効果になる。そんな基礎的なことを頭に思い浮かべながら、瞑鬼はその髪に触れた。暑さをせめて和らげるため、魔法回路を展開したまま。
しかし、それは誤算だった。
瞑鬼がそいつに触れた瞬間、ほぼ反射的に、手が伸びてきた。倒れて身動きの取れなかったハズの《だれか》が、いきなり瞑鬼の右腕を掴んだのだ。それも、握りつぶすのではないかと言うほどの、ゴリラ的握力で。
「王よ…………、我が王よ……」
「……っ!てめぇっ!」
瞑鬼の腕を掴んだまま、ゆっくりと顔をあげるそれ。見覚えがあった。どおりで、と、記憶が結んだ感覚が。
浮かんでいたのは、黒点のように虚ろな目。何を見ているのか、それとも何も見えてないのか。そつ思うくらいに、《なにか》は《なにか》のままだった。
「伏せろっ!」
声が聞こえたとほぼ同時に、頭を下げる瞑鬼。瞬間、金属音とともに《なにか》は吹き飛んだ。
「……見覚えのある顔だな。一卵性とも思えんが」
そう。夜一が言う通り、三人はそいつと面識があった。正確には、向こうが勝手に襲ってきたのを返り討ちという、今と全く同じ光景が数ヶ月前にあっただけだが。
それは、瞑鬼を一度殺したやつ。夜一のプライドを引き裂いたやつ。出生不明、住所不明、しかもハーモニーですらその存在を把握できてなかった。瞑鬼命名、《なにか》。まさに、それと瓜二つの顔が、今目の前にいると言うことだった。
「……生け捕りか?」
「無理だろ……。延髄やってくれ」
何でだとか、どうやってだとか。そんな理由は後から幾らでも納得いく形に肉付けできる。今考えるべきは、これをどう切り抜けるか。異常事態の二乗な状況で、如何にして犠牲を出さずに綱渡りするかの方法だ。
夜一渾身の一撃が、見事顔面にクリーンヒットしたと言うのに。《なにか》は何もなかったかの如く、ゆらりと起き上がった。口元に笑み浮かべて。瞑鬼に目を当て、そこに薄ら笑いを浮かべながら。
「……王よ……」