決別の唄、来たる狼煙
驚いたような、けれどどこか不思議と納得もできるような。だが、今は混乱の方が強い。
「……俺たちは、俺たちがした罪を贖わなければならない。警察に出頭する」
「それが……、今後もカムイの子供でいるために、必要だと思ったの。だから……」
勘違いしていた。彼女たちは、ただの悲惨な生い立ちの高校生なだけじゃない。この15年間ずっと、白銀の神と暮らしてきたのだ。罪を背負っているということは、即ちカムイの足枷になることを彼らは知っている。それに、それで自分たちが苛まれるであろうということも。
人を殺したわけでも、誰かを傷つけたわけでもない。ただ、ホテル襲撃の件。あれの真犯人が捕まらなければ、警察は躍起になって探すだろう。兄弟二人でのうのうと、なんて暇はない。
『……我も、贖罪を選んだのだがな』
「あなたには使命がある。こんな所で止まらないでくれ」
「それに、神様を縛れる法はありませんから」
二人の意思は決まっていた。たとえ瞑鬼がどれだけ高尚な交渉をしようとも、その決意を揺るがすほど、彼らが芯のないやつだとは思ってない。だから何も言わず、ただじっと。できるのはそれだけ。
「……いいか?瞑鬼。俺たちはお前の助けになれそうにない。が、祈っている。お前たちが、世界を変えてくれると」
「………………あぁ」
「いつか、私たちの禊が終わったら、その時は……。一緒に戦ってください」
頭を下げる。深々と。表しているのは、どうにも揺れそうにない覚悟だけ。
フレッシュの視線が、一斉に瞑鬼に集められる。ここ最近注目には慣れたと思っていたが、どうやらそれは思い違いだったようで。ここまでされて、もう続きなんて決まっている。
けど、直接言うのはみんなの手前恥ずかしくて。だから結局、言うのはいつも通りの、婉曲と比喩の乱舞。伝わるだろうか。不安はなかった。
「……お土産持ってこいよ。瑞晴ん家青果店だから、菓子とかがいい。……そうだな、三年以内ってとこか」
「…………タラバガニを飽きるほど持っていく。待っていろ」
「……あぁ」
余計な言葉はいらないなんて、そんなの余裕のない愚か者の発想だ。切羽詰まっているからこそ、先が見えないからこそ、現状を笑えばいい。そうする事で明日が少しでも見えるのならば。
一歩前に。お互いが手を差し伸べた。力強い握手。冷たくてごつごつした、いかにも野生の男といった感覚。それがカントだった。
二秒ほどだろうか。どっちが先に離れようか迷っていたら、どこからともなく手が伸びてきて。あっという間に九つ重なった。
「この先俺たちは、全員揃ってフレッシュだ。目的は一つ。オールフォア俺ってことで」
「瞑鬼くんは好感度下げるの超うまいね」
「だな。俺は俺フォア俺だ」
「アホばっか……。もぅ」
「いえす!私ふぉー瞑鬼さんっ!」
「ダメだよソラ。瞑鬼さいてー!」
「にゃんにゃにゃんにゃんにゃー!」
「そうだな……。俺は誰にフォーしようか」
「まじめに考えないで兄さん!」
いつまで続くかなんて誰にもわからない。ただ、魔法なんてのがなくて、もしこれが元の世界なら。そう心の隅で思っていた。
だが違う。魔法があるからこそ、この世界だからこそ、瞑鬼はこうして登ることができた。だからもうやる事は決まってる。魔王だろうが魔女だろうが、もうどこからでもかかってこい。そう世界に叫んでもいい。
優しく見守っていた白銀が、何を思ったか魔法回路を開いた。
『汝らの旅に、我が全霊の祝福を』
行くぞ。そんな声が、直接脳内に響いた。次の瞬間には、もうそれは始まっていて。
誰よりも早く察知したカントが、目を閉じ耳を塞ぐ。ついでピリカが。さらには、一瞬で推測した瑞晴。あとは間に合わなかった。
『ーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!』
それは、爆発とも呼べるような音の塊だった。白銀のカムイ全力の、全魔力を持っての大咆哮。
地面が揺れ動く。まるで世界そのものが白銀に呼応するように。白銀の彼方まで。狼の習性で、話くらいは聞いたこともあって。生で見たの初めてだ。況や体感なんて。
腹の底から、力が溢れ出してくる。十勝を超え石狩を超え、札幌までも覆い尽くすような。白銀の鬨の声は一分ほど続き。魔法と肉声を使ったそれは魂にまで直接届いた。潤うような、体が震え上がるような。
なんの工夫か、誰一人としてダメージはなし。瞑鬼がくらったただの爆声じゃなくて、本場の遠吠え。
あたり前に、記憶の底に刻み付けられただろう。だからもう、彼らがカムイを忘れる事はない。ずっと、この先も続くように。それは白銀から民への、未来への鎖だった。
「……またな。ピリカ、カント」
「おう。次はお前と手合わせしてえな」
「何を言う。リベンジくらいしてみんか」
三人して、もう一度拳を付き合わせる。野郎同士の無骨な作法に、言葉なんて要らないのだ。
『せっかくの刻だ。悔いのないようにな、主人殿』
「でも、ちょっとだけ急いでね。カムイの足なら大丈夫だと思うけどさ」
「……おう」
もう女性陣はスタンバイオーケーだった。ちゃっかりカムイの背中に跨って、おどおどしたり愉しんだり。
時間のことを迫られちゃ、瞑鬼だってあんまり名残惜しいといってられなくて。立つ鳥跡を濁さぬように。なるべく、湿っぽくはならないように。
腰を下ろした白銀に、なんとかどっこい飛び乗る瞑鬼。やたらと重い夜一を引き上げる。七人乗りで優に400キロは超えているだろうに、カムイはそんなことを感じさせぬくらい優雅に立ち上がった。
それからは、まさに疾風と一体化したような。針葉樹の間を潜り抜け、乗っているこっちが萎縮するような駆け足で。しかもあり得ぬことに、途中崖を飛び越えた。女性陣の悲鳴が上がる。白銀は得意げな顔をしていた。
港についたのは、なんと驚き十五分後のこと。車でも一時間以上はかかるだろう距離を、四分の一でカムイは走り抜けたのだ。だがもちろん、乗ってる方のが恐怖は強く。地面に足を下ろす頃には、もう誰一人として腰に力が入ってなかった。
「に、荷物見ててくれ」
ぐったり座り込む瑞晴にそう告げて、チケット売り場へ走る瞑鬼。カムイの姿を見られないため、みんながいるのは森の中だ。100メートルほどだろう。それでも一分近くかかった。
だが、戻ってきた瞑鬼の手に、あるはずのフェリー搭乗券は握られていなかった。代わりにジュースが人数分と、カムイのためのメンチカツ。
「……売り切れか?」
「……いや。なんか、今日は出てないらしい。ついでに新幹線もだと。青函トンネルが起動してねぇとかなんとか」
「なんだと?ならば飛行機か……。関羽の手続きが面倒だが、この際仕方ない」
「それがさ、夜一……。そっちも欠便だって。ってか、インフラ全部止まってる」
信じられぬ。そう言いたげな表情で、千紗の携帯を覗き込むメンバーたち。ここ最近森にこもっていたせいか、世間に完全に置いていかれていたのだ。
嫌な予感はしていた。なにしろ、あの陽一郎から一週間近くも連絡がなかったのだ。普段なら一に瑞晴二に瑞晴なバカ親が、まさか若い男女の旅行で放りっぱなしなんてあり得ない。
だから、最初はどうせ仕事が忙しいんだろうとタカをくくっていた。英雄にしても、義鬼討伐に思ったよりも時間がかかっているのだろうと。
だが、当たり前に世界は瞑鬼の予想通りには動かない。知られたことがわかって、黙っているはずなかったのだ。もっと早く英雄に教えていれば。もっと早く、せめて瞑鬼たちが出る前に討伐を決行していれば。
【黄金条約】の破棄及び、【円卓の使徒】。こんな単語が出てきた時点で、気づかなければならなかった。
ローディングが終わり、スマホの画面にニュースが映る。それは告げていた。すなわち瞑鬼たちを嘲笑うかのように。浮かれていた頭が一気に現実に突き落とされる。
画面に映るニュースキャスター。彼女は急いだ口調で、しかしどこか懸命に。伝えていた。『日本の各地で、魔王軍が蜂起した』と。
詳しい情報は載ってないが、何でも、今から一週間ほど前にちらほら各地で起こっていたらしい。ハーモニーはその対応に追われたのだろう。ハザードマップ上に赤点が置かれていた。それはやはり、被害地域を示すようで。
北海道と沖縄はゼロ。カムイを恐れたのと、単純に距離が遠いからという理由なのだろう。それ以外は、いろんな県が赤く染められていた。全国に百二箇所。北から順にたどる。中部の、少し上らへん。そこを見た瞬間、瞑鬼の頭はもう戦闘へシフトしていた。
「……まじかよ」
その点は塗っていた。瞑鬼たちの住む県を。瞑鬼たちの住む、その地域を。しかもピンポイントで。だからもう、犯人なんてわかっていて。
「カムイ、お前の足ならどんくらいかかる?」
地図をさしながら、焦燥したような口調の瞑鬼。頭が以上に早く回っていた。しかし、体は笑っちゃいなかった。
『最速で二日ほど』
「……今すぐ向かう。みんないいな?」
こんな時でもリーダーの務めを果たそうと、やけに平生を装う瞑鬼。もちろんそれに気づかないフレッシュじゃなくて。全員志は一致していた。
荷物はなるべく置いてって、金と携帯だけ手に持つ。あとはカムイの足に任せるだけだった。だが、心は焦りに焦っていた。
大地を揺るがす4本の脚が、銀の軌跡を描き出す。向かう先は津軽大橋。平日なのに車はなく、人っ子一人なし。橋を越えるのは思ったよりも簡単だった。
それからは、ただひたすらはしりつづけるだけ。だが、待っているのは体力の疲労だけじゃない。安息の地を奪われたという、失楽の感覚。それが旅終わりの精神に何より重たくのしかかった。
トイレは最低限度。飯だってほとんど食わず。ただ、ほんとうに。純粋に街が心配だった。魔女襲撃にも、もっと前の様々な事件にも倒れなかった天道街。瞑鬼より強い陽一郎も、それより最強な英雄だっているというのに。
森を渡り、なるべく人里は避けるように。そして、蜂起のあった周辺すら避けて。結局見覚えの景色があるところにたどり着いたのは、三日後のことだった。
高台に登る。世界が燃えていた。火葬大会のような、そういう炎の上げ方で。街全体に火が放たれていた。
夏休みの終わり、八月の三十一日。瞑鬼たちの日常も終わりを告げられたのだった。




