わかんないなら探せばいい。
「……わかんないよ……。だって、私……」
意識が混濁する。風車をずっと眺めている時のような、言いようのない不安。それがピリカの胸にある。手を見るだけで憎かった。魔法を使いたいとすら。ずっと、みんなを、世界を恨んで生きていた。
影の世界で生きたピリカの、全てを理解できるとは言えない。それでも、瑞晴は知っている。人を殺すことも、誰かに殺されそうになることも。愛の重さも、分かり合えないもどかしさも、実は他人でも想いを共有できるということも。
悩んでいるなら手を差し伸べる。疲れているなら肩を貸す。それが教わったやり方。だから、ピリカの場合は。
「わかんないんなら、一緒に探そ?」
荒々しく胸ぐらを掴まれたまま、皮膚が焼けるような殺意を込められたまま、瑞晴はピリカの肩を抱く。やさしくて、それはまるでサンタマリア。
悪い奴が誰かは知らない。ピリカにとっては、本土の人間だろうか。瞑鬼にとっては義鬼で、瑞晴にとってはこんな世界にした魔王。だけど、それは一人じゃ力が及ばない。
だったら、伸ばされた手を取ればいい。差し出された手を一つしか選んではいけないなんてルール、世界には存在しない。二つ同時にとって、みんなで分かち合えばいい。
それが、この十数年間で、瑞晴が見つけた答えだった。一人でできるなんて過信はいらない。適材適所が普遍の真理。
「……なんで……なんで、そんなに……!」
体は冷たい。けれど、伝わってきたそれはいたって暖かいじゃないか。魔女とだって理解し合えるのだ。同じ人間で、ましてや目的も同じ。そんなの、対立しているだけ時間の無駄もいいところだった。
「……そうだねぇ。それが多分、ハッピーエンドの条件なんだよ。……まぁ、あくまで私にとって、だけどね」
にへらと表情を崩し、ピリカの肩から手を離す。もう魔法回路は閉じていた。
今更、戦う気力などあるはずもなく。ピリカは明後日の方を見て、昇る太陽を見て、薄っすらとした水滴を目尻に浮かべていた。感情が昂りすぎたせいだろうか。瑞晴も、なんとなく湿っ気を感じた。
いつのまにか、さっきまで続いていた殴り合いの音がやんだらしい。やはり野郎にとってはそれがいちばんの解決法らしく、終わった後はぐったりと寝そべっていた。
遠くから状況を確認していたであろう千紗が、朋花を連れて戻ってくる。擦り傷と青タンだらけの夜一を見てひどく心配そうにしていたが、本人が満足げなので放っておくことに。
「……不思議な人だよね。瑞晴ちゃんって」
「……そうかな?」
「まぁ、瑞晴推理オタクだしねー。凄いんだよ?部屋にね、凄い数の小説が……」
「ちょっ……!それは内緒だから」
さっきまでの興奮は、アドレナリンと一緒に血液に還元されていた。こうも瑞晴に好意的に接されては、さしものピリカと言えど無下にはできず。それと言うのも、瑞晴が空気中に薄く巻いた魔法のせいかもしれないが。
とにかく、こちら側の交渉はほとんどう成功だった。後は関羽の居場所を聞き出して、瞑鬼が戻ってくるのを待つだけ。その間に何ができるだろう。きっと夜明けまでには来るだろうから、そう。トランプやゲームは当たり前のこと、瑞晴と千紗はピリカのゴシップにも興味津々だ。
当然だが、彼女たちも一皮剥けば普通の女子高校生なのだ。せっかく今回は誰の邪魔も入らなかったのだから、こうしてただ時間が過ぎ去るのを眺めるだけも悪くない。
野郎二人はすっかりお互いを許したようで、でもどちらも不器用なのであまり会話はなくて。それでも、何となくいい雰囲気なのは伝わってきた。
「……カムイになんて言おう」
崩れた家の材木に腰掛けながら、空を仰いでピリカが呟く。
「……あっちサイド、超絶心配……」
無為な不安を抱えつつ、森の奥に目をやる瑞晴。帰って来る気配はなし。
だが、なぜだろう。代わりに何がいた気がした。魔力も出てないし、またあまり大きくもない。素早くて、群れていて。そんな何か。
「……千紗、ちょっと森の方見てくれる?」
空っぽになったペットボトルを眺めていた千紗に、一つお願いを。断るはずもなく、魔法回路を展開。そうして眺める。そして瞬間、彼女の脳は言葉を失った。
そしてその理由は、すぐにみんなにも知れ渡ることに。不穏な気配を感じて、瑞晴が立ち上がった。その刹那。
「……マジですか」
森の奥、木々の隙間から射殺すような視線を放っていた集団が一つ。それは全員が真っ白な毛で覆われていて、黒目が大きくて。時折覗く犬歯が恐怖をそそり、どことなく神秘的な雰囲気が身を纏う。
白銀の使者、エゾオオカミの群れがそこにいた。
そして瑞晴は思い出す。この森は、彼らの森なのだと。
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それは、まさに神と表現するにふさわしい生物だった。いや、もはや同じ生き物の規格として測っていいものじゃないのかもしれない。
全身から溢れ出す魔力が、白銀の毛をどす黒く染め上げる。逆立って、でもその鮮やかさに目も奪われそうで。だが、一瞬でも気を抜けば、それはすなわち死神に首を差し出すことになる。
カムイが吠えた。爆発的に肺で増強された空気の爆弾が、あたり一面を打ち揺らす。波紋が広がる。細い木なんかは、衝撃波だけでなぎ倒された。
「…………くそが」
「喋らないでください!」
暴れる神狼をよそに、ソラは瞑鬼の腹に手を当てている。それと言うのも、瞑鬼のシックスパックが鮮血で真っ赤に染められていたからだ。
羅刹と化したカムイの一撃からソラを守るため、爪がかすってしまった。全開魔力でガードしたはずなのに、その一撃は筋肉と腸を引き裂いたのだ。血は出るし、魔力も溢れている。幸いにも、痛覚だけは鈍っていた。
瞑鬼の眼前で何とか応急処置に全神経を注ぐソラの顔には、歪な文様が浮かび上がっている。右手は彼女の左手と恋人繋ぎだった。でも今はそんなのに嬉しさを感じている暇などあるはずもなく。
木の幹に隠れ、魔法を使い姿を消す。激昂した白銀なら、いつもの通り尊大な自尊心なんか持ち合わせちゃくれないだろう。噛み殺されるか引き裂かれるのが関の山。そう判断したからこそ、ソラは瞑鬼を連れて逃げたのだ。
カムイの進路とは逆の木に背中を預け、必死になって傷口を抑える。里見やユーリがいれば、この程度の傷、1分で治せただろう。けれど、ただ魔力を放出して神経を圧迫するだけの、処置とも言えない止血法じゃ、もう瞑鬼は長く持たない。ぬるぬるとした、血の独特の感触。生暖かい。匂いはそこら中に散布していた。
ソラの魔法だって、そう長いこと隠れていられるわけじゃない。すでに一度見せてしまっているだけに、もう限界はきているのかもしれない。
やっと血が止まる。無理やり細胞を活性化させて、強引に血管を閉じただけ。まだフィブリンが結合できてない。血餅すら。だから、動いたら決壊するのは自明の理。瞑鬼だってそんなの分かっている。だが、そんなに神は甘くない。
『…………覚悟なき信念とは、我が民は相いれぬ』
背後から、おぞましい殺気が這い寄ってきた。それは瞑鬼の全身を舐るように。見えないはずなのに、まるで直接神の視点で眺められているように。
瞬間、瞑鬼が背中を預けていた木が食い千切られた。ふっと体が軽くなり、そのまま重力に従い地面に落ちる。焦る、という感情よりも驚きが七割、疑問が三割。だがすぐに悟る。当たり前だった。むしろこれだけ血を流して、匂いが気取られないはずがなかった。
末梢神経も中枢神経も、全てが機能を停止していた。修羅と化した白銀の目は、どこか赤黒く濁っている。覚えが一つ。あれは、そう。義鬼と対峙した時の自分。
だが、カムイは怒りに身を委ねない。ただ、荘厳に。何をするわけでもなく、瞑鬼を見下ろしていた。哀れみなのか、それとも他の恣意なのか。
「…………あ……」
堪えられなくなったソラの口から、そっと漏れ出す空気。意味はない。続きも。ただ、呼吸とともに。それが火蓋。
どこかの狛犬のごとく微動だにしなかった神狼の前足が、重っ苦しく持ち上げられる。その瞬間、脳よりも本能が全身を支配したのがわかった。