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上書き勇者の異世界制覇  作者: 天地 創造
白銀の神狼編
225/252

あなたも私も同じ色


心臓が跳ねていた。さっきまで穏やかだったはずの、白銀の民たちとの会話。それがこの一瞬で変化して、自分たちにできるのは逃げるだけ。夜一に全て任せるなんて情けなさと、朋花を守らなければと言う使命感で、瑞晴はいっぱいいっぱいだった。


あのピリカの魔法。確実に怒りは頭のてっぺんにまで浸透している。そして打ち合わせ通りに夜一がことを運んでくれたなら、もうすぐその氷の女王はこっちに来るはずだ。


千紗に指示を出し、朋花を連れて離れてもらう。どうせ何人いようと、瑞晴たちの実力ならあまり戦力に変わりはない。それよりも優先なのは、ここで誰も死なないこと。瞑鬼に言われたから。だから今はフレッシュのリーダーとして、瑞晴は勤めに従うだけ。


警戒して家を眺めていると、瞬間、まるで時を止められたかのように家全体に霜が降りた。その一瞬後には、全体に氷柱が。


「……うそでしょ」


冗談といってほしい。何せあのいかにも雪国といったアートを作った張本人と、瑞晴はこれから一戦交える可能性があるのだから。


魔法回路を開く。こっちに来てから仲間にした動物たちが、従者のごとく飛んでくる。直後、氷付けにされた筈の家の扉が、ゆっくりと開け放たれた。


「…………いろいろやって来たけど、本土の女子高生は初めて」


凍てつく冷気を全身に纏わせながら、彼女は厳かに、しかも悠然と歩みを進める。まるで他二人からの奇襲など警戒もしてないかのように。


覚えがあった。この、何か胃からお昼が逆流して来そうなくらいの威圧感に。今でもはっきりと、脳裏にこべりついてしまっている。体験したのはつい数週間前。驚くべきことに、不知火ピリカは持っていた。魔女に通ずるような、人を傅かせる恐怖というやつを。


「……冷え性だから、お手柔らかに」


「……大丈夫。むしろ熱いと思うよ」


自分と同じ歳、同じ高校生のはずなのに。それに、瑞晴にも少しばかりの自信はあった。何せ彼女は、大人の魔女と対峙して、一歩も引かずに戦えたのだから。それなのに。


足先が震える。寒いからなのか、それとも単に武者震いなのか。気温は20度以上。どうやら前者の線は薄いらしい。


本当に、ピリカからはカラと同じ匂いがする。魔法が似ているせいもあるだろうが、こうなった時の性格が一番の要因かもしれない。だから、そんな相手だからこそ、瑞晴も容赦なく戦える。


いつもは意識的に抑えているフェロモンを、余すとこなく出し切って。じゃないと勝てない。それを知っているから。


もう千紗たちは避難できただろうか。今全力で魔法を使ったら、一方的に終わらせられる。ピリカの射程はせいぜい数メートル。それも連鎖的に凍らせられるものがなければ、極めて近接的な魔法だ。だがそれは、同時に瑞晴に最大の賭けを齎していた。


彼女の切れる札は二つ。魔法を使うか、直接殴るか。魔法なら負けることはない。それと言うのも、瑞晴の魔法は英雄から使用を控えるように言われるくらいに凶悪だから。そして2枚目に関しても、普通の女子と比べれば圧倒的な違いがある。


陽一郎から仕込まれた護身術に、ユーリが教えてくれた格闘技。瞑鬼程度の運動神経なら、もう簡単に拘束できる。


それが今はどうだ。近接は確実に向こうが上。しかも瑞晴は触れられないと言うハンデまで。霜焼けどころじゃ済まない危険物に手を突っ込まないのは、理科の実験からの常識だ。


ピリカの足が、瑞晴の魔法の射程に入る。だいたい距離は3メートル。的を絞った放出で、最大濃度を喰らわせる。凪の今が絶好。そう思った。


ごめんっ!心の中でそう叫び、全開で魔法回路を展開。刹那、桃色が付くくらいの特濃フェロモンが、瑞晴の手から撃ち放たれた。あたれば一撃。早さも十分。防ごうとしても、攻撃じゃないそれは氷の柱じゃ遮れない。


はずだった。


「……全力で、全力をつぶす」


あろうことか、瑞晴の桃色キャノンがピリカの目の前で軌道を変えたのだ。明後日の方向に飛んで行ったそれは、やがて霧散し空気に溶けた。


しかし瑞晴とて、相手が何の対策もしないアメーバ脳だとは思ってない。立場が逆なら、マスクをつけるなり団扇を常備するなりで最低限抗おうとはするだろう。だから考える。何が起こっているのか。何を調節しなければならないのか。


迫り来るピリカに気圧されて、少しばかり後ずさる。だが、逃げてれば夜一が助けに来るなんて保証もなく。ましてや瞑鬼がくる可能性はゼロに等しい。千紗は朋花を。つまり、もう崖っぷちなのだ。


諦めずに角度を変え、もう一発お見舞い。当然のごとくそれはピリカの頭上をはるか太陽まで逸らされた。二発、三発と連続で打つも、結果は同じ。


「なんで、そうまでしてみんな……。私もカントも、ずっとこうなんだよ?」


「……それは……」


何故かと聞くなんて、そんなの天に地球が丸い理由を聞くようなもの。答えなんてない。ただ、そうだからそうなのとしか。


しかし、瑞晴は一つだけ、大きな思い違いをしていた。ここ何日か、すっかり旅行も忘れて森を歩き回っていた自分。そんな自分を、普通だなんて思ってない。


だから、そう。世界に自分一人なんて状況があるはずもなく。だから気づいた。彼女もまた、異常な事に巻き込まれる因果なのだと。瑞晴の場合は瞑鬼、ピリカの場合はカムイだろうか。いずれにせよ、一度関わったら歯車は止まらない。何を思おうと、何を願おうと。


だから彼女たちはすがった。ただの異世界からの迷い狼を、神として崇めて。自分たちの境遇に理由をつけ、なんとか平静を保とうと。全てが滅んだ後の孤児に、できたことはそれくらいしか無かったのだ。


「邪魔しないで。私たちは白銀の意思に従うし、それが私の道だから」


まったく、感心するほどに信仰心が強かった。けれど理由はわかる。その原因も。けれど、瑞晴だって、頑固さなら負けちゃいない。


「…………何が悪いと思ってるの?」


もうピリカは目の前まで迫っている。逃げ道はない。千紗と朋花の気配は完全に消えていた。だから安心して、ピリカと二人だけで。


信じていた。ピリカのことを。瞑鬼のことを。あの異常に私怨にこだわる人間が、片付けを任せて放っぽり出したのだ。その行為が意味するところを分からないほど、瑞晴の国語力は低くない。


ピリカの足が止まる。目線が合った。ようやく、同じ土俵に立ったというところ。あとは瑞晴お得意の交渉分野。


いつだってそう。人間は、いや魔女だって、自分を基準に世界を考えている。不幸なのは自分たちで、それをさらにひどくするやつがいるのだと。

「……わかんないよ」


瞬間、ピリカの全身を神経のような文様が埋め尽くした。魔女ほどとまではいかないが、人間としちゃ規格外の太さだ。


止まっていた脚が、また大きな一歩を。もうピリカの間合いだった。冷気が渦を巻き、凍える風が瑞晴の肌を撫でていった。そこで漸く、彼女は気づく。ピリカは空気の温度を調節し、気流をまとっていたのだと。


だがこれほどまでに近づけは、もうそんな必要はない。そう判断したのだろう。全ての怒りを、冷え切った心を掌に乗せて、ピリカは掴む。もう誰でも良かった。相手さえいれば、気がまぎれるから。


「……あんたじゃわかんない」


発展途上の胸ぐらを無造作に掴んだピリカの拳が、わななくわななく踊り出す。どこかの安い繊維で綴られたTシャツに、薄っすらと降りる霜。呼吸が白くなる。肺が縮む。これまで経験したどんな恐怖よりも、背筋が凍った気がした。


睨み合う二人。どれだけピリカが凄もうとも、瑞晴に引く気はないらしく。それというのも、背後には千紗がいるし、何より瞑鬼からここを託されたというのが大きい。彼の真意なんて掴めちゃいない。瞑鬼の心を読み解くくらいなら、ヒエログリフの方がまだ規則性がある。


何も言わずに出ていって、また何も言わずに問題を持ってくるんだろう。それにはもう慣れっこだ。


瞑鬼は言っていた。救うのは、周りの人間だけだと。そんなの、瑞晴からしたらどうでもいい事だ。するべきことは決まってる。ずっと前から、そらこそ、瞑鬼がこの世界に来る前から。例え誰が何を言おうと、どこまで邪魔をされようと、瑞晴のする事に変わりはない。


白銀の神狼に従うのがピリカの本意だというのなら、瑞晴だって、和晴の意思を引き継ぐのが本意。だから救う。敵であろうと、関係のない人間だろうと、人間じゃなかろうと。


「わかるよ」


だから言う。可能性を知っているから。瑞晴とて、のほほんと毎日化粧と自撮りだけ考えて生きていきたいのだ。それなのに、魔女が来たとか、よく分からないやつの相手だとか。


瑞晴にとっては、自分と同じ境遇の人間に出会うのは初めてだった。だから瞑鬼はそこにシンパシーを感じた。当人同士だって、どこか気づいていたかもしれない。


言葉を言い終えると同時に、村の方から轟音が鳴り響く。見ると、さっきまで馬鹿二人の戦場だったはずの家が、何事かと問いたくなるくらいに崩壊していた。


犯人など聞くまでもない。あんな常識はずれのことをやっておいて、それでもなお瓦礫に平然と佇む男。どこか誇らしげともとれる表情は、ここ最近なんども見てきた。


散在した木材をかき分けて、彷徨いでるは白銀のカント。家をぶっ壊した張本にである夜一を見るなり、いきなり魔法回路を全開に。夜一もそれを待っていたかのごとく、拳でそれに応じた。清々しいほどに脳筋の闘いだ。


「……人が目の前で死んで、でも戦わなくちゃならなくて。絵本の世界の魔法使いになんて、誰もなれないんだよ!」


ピリカの手に力が込められる。降りていた霜はやがて氷の結晶となり、瑞晴の服を凍らせる。だが、そんな状況になってもなお、瑞晴は顔を背けなかった。


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