こんなところじゃ
それに何より、瞑鬼はまだ一番重要なことを聞いてない。この一連の事件。きっと、ホテルの連続催眠の件にも関わっている。命令したのは白銀。
実行したのはカントとピリカ。なぜ彼らが動物を攫うのか。それを知らなければ、そして理解しないままでは、瞑鬼に納得がいくわけがなく。
「……なんでうちの関羽を?それに他のやつも」
ここからは、瞑鬼お得意の交渉の時間。穢れた論調で相手を責め、隙をついて情報を引き出す。最低で最悪な、瞑鬼にしかできない仕事のだ。
だが、そう思っていたのは瞑鬼だけらしい。
白銀は一度低く唸ったかと思うと、その死神の鎌を勢いよく振り下ろす。
言葉を交わせても、思いが通じることはない。そう痛感した。だから瞑鬼も頭を切り替える。おしゃべりビジネスの役員から、相手を屈服させる戦士のそれへと。
全力で魔法回路を展開。爆発的加速で爪の一撃を躱し、流れるように第一の魔法。昼間だと言うのに、太陽さえ掠めるような輝きが白銀の視界を奪い去る。
視力が人間以下といっても、恒星の如き光子量に対応するすべはない。軽く仰け反り悶絶する白銀。瞑鬼の攻撃はもう始まっていた。
思いつく策を頭の中に張り巡らせて、一瞬で答えを導き出す。選ばれたのは第五の魔法。かのマーシュリー戦でお披露目となった、爆炎の魔法である。
片手を犠牲で済むなら安い。帰ってユーリにでも治してもらおう。そんな安易な考えで、瞑鬼は指を擦り合わせるーーーーはずだった。
警戒はしていた。しかしそのあまりにも早い攻撃の出に、人間である瞑鬼は反応することができなくて。
白銀の神狼には、瞑鬼と同じように五感を奪う技がある。自分の喉と魔法で波長を飛ばし、全神経を麻痺させると言う強力なやつが。そしてそれは、例えどんなに魔力量に差があっても意味はなく。
本当に、それは偶然という他ないだろう。たまたま瞑鬼が全身に力を込めて、過剰に脳内物質が分泌されていたから。そして瞑鬼が、この相手に二回殺されていたから。
「うるっせぇぞくそ犬がぁぁっ!!」
瞬間、瞑鬼の中の全てが音も立てずに停止する。五感がといった方が正しいかもしれない。来ると思って身構えていた白銀の攻撃が、ただのちょっとした衝撃波に変わっていたから。
この土壇場で、瞑鬼は無意識に発動させていた。白銀によってもたらされた、第六の魔法とでも言うそれを。神経を圧迫し、情報を閉じる魔法。
すなわち、力を込めた部分の脳に届くダメージをゼロにすると言う魔法。それが第六番目だった。
『……我は語らぬ。望むは民の未来のみ。貴様はそれに必要ないのでな。死なぬと言うなら、死ぬまで殺せば良いだけのこと』
相変わらず手前勝手な論調で、白銀が瞑鬼に歩み寄る気配はない。ずっと思っていたが、やはり当然人と獣じゃ倫理観に大きな違いが存在するのだ。それは例え魔法で会話ができたとしても、払拭できないくらいに大きくて。
全身の汗腺から汗が噴き出す。音自体は無効化したものの、白銀の使うテレパシーの魔法は避けようがない。なるべく頭の隙間を埋めて、届きにくくするくらい。
全く応えてない瞑鬼を見て、白銀に刹那の驚きが生じた。その一瞬を見逃すはずがない。まずは1番目の魔法を。次に匂い爆弾で鼻を潰し、決めるのは第五の魔法。もうルートはできている。あとはそれに倣って、ただ手を動かすだけ。
そうだったのに。
「…………っ!」
それは、いわゆる副作用というやつだった。神経を閉じる魔法。そんなのがノーリスクでできるはずがない。実際瞑鬼の五番目も、自分の腕ごと燃える欠陥魔法だ。
でもだからって、まさかこんな時だとは。魔法回路を開いた白銀が、ぴくりと眉をひそめる。だがそうしたいのは瞑鬼の方だった。
『……やはり、人の子よ』
動けなくなっていた。脚も、腕も。てっきり聴覚を無くしただけだと思っていたのに。
ゆっくりと荘厳に、白銀の神が歩み寄る。だがどれだけ逃げようと思っても、瞑鬼の身体はフリーズしたように強張っている。筋肉が震えているのに気づいた。そして思い出す。これはただ、魔法の副作用なだけじゃないと。
神狼の名に相応しい程の、圧倒的な恐怖感。それが副作用を過剰にさせていた。直感でわかる。あと二十秒はいる、と。そしてまた悟る。ここでも自分は死ぬのだと。
だがいい。なにせ今回は、かなり有力な情報が得られたのだから。自分と同じ、異世界からの転移者。そんなのがいると分かっただけでも心は取り戻せる。信仰の違い。それなら仕方ないじゃないか。そんな言い訳がましい理由の山が、硬直した頭の中を流れていた。
『我と共に、この世界を救おうぞ』
瞑鬼の頭に、白銀の声が流れ込んでくる。間近にいた。それはもう、鼻息がかかるくらい。そして理解する。自分はこれから、頭から食われるのだと。
剥き出しの牙は雄々しく、その中に広がる空間は正に神の名に相違ない。初めて屈服した。また【改上】。そう瞑鬼が思ったのも無理はない。けれど、そんなのを簡単に受け入れるような聡明な頭なんて、こっちに来た時に捨てていて。
「…………っそがぁぁっ!!」
瞬間、体の中を電流が走った。まるで暗示が解かれるかの如く、腕に感覚が戻り出す。治ったのだと分かった頃には、もう右手で白銀の一撃を防いでいた。
魔法回路を全開に。骨を砕かれる前に牙を弾く。
「……救ってやるよ。俺が。俺の周りだけな」
強がってはいるものの、瞑鬼の右手に感覚はない。少し遅かったようだ。尺骨にヒビが入っていた。無理すれば動くが、殴れるほどじゃない。
左手一本じゃ、どう考えても勝てなかった。だからもう何も考えない。今はただ、戦いの高揚に浸っていたいから。
『……愚かな』
距離を取るまでもない。まるでそう言うかのように、白銀はまた口を開く。そして今度は一瞬の躊躇いもなく、瞑鬼の首を狩りにきた。それもちゃんと右側から。
愚かだ。あぁそう。瞑鬼は愚かだ。恐らく世界の誰よりも、愚かで救えない選択肢しか選べない。昔からずっと。だから今更、否定する気にもなれなかった。
だが、ただ一つだけ。言いようもないくらい正論の、白銀に反駁したいことがある。それは瞑鬼自身の事じゃなくて、もっと別の。仲間のことだった。
ここで瞑鬼がまた死んだら、愚かを返上できないじゃないか。それはすなわち、瞑鬼以外の、フレッシュも同じと言う括りにされてしまう。それだけは、瑞晴やソラが瞑鬼と同じと言うのだけは避けたかった。
右手がないなら左手で。それじゃ足りないなら、5本でも6本でも。瞑鬼の手は自分を守るためじゃない。救いようもない、自分と同じくらいのバカを、上に押し上げるためにある。例えそれで、自分はもっと下に落ちたとしても。
顔が浮かぶ。ソラの、夜一の、千紗の、朋花の、関羽の、そして瑞晴の。
「こんなとこで、死ねねぇんだよっ!!」
一瞬だった。瞑鬼が激昂した瞬間、それは瞑鬼の背後から。
自分の心を投影したかのような、漆黒の腕。ちょうど数えて六本のそれが、瞑鬼の背中から生えていた。
驚いたのは瞑鬼だけじゃない。初めて見る新魔法に、白銀の目が宙に浮く。その刹那、黒腕が神狼の顔を捉えた。純粋な魔力で作られた、濃密な一撃。それは推定2トンはあろうかと言う神狼の巨軀を、大樹の下までふっ飛ばした。
「…………驕るなよ、カムイ」
自分の背中から生える魔力の塊に、瞑鬼は一瞬違和感を抱くもすぐに慣れる。発動条件は不明だが、出ていたそれは瞑鬼の意思に応じてよく動く。これが白銀の神狼のおかげで手に入れられたのだも言うのだから、いい皮肉が効いている。
訂正しよう。そんな言葉が聞こえてきた。主は聞くまでもない。殴り飛ばされたと言うのにケロリとした顔をした、白銀の神狼である。
『……我らと同様に、何らかの手違いでこちらに来た動物たち。我はそれを保護するのが目的だ』
あまりにも唐突に語り出した白銀。それが先の自分がした質問への答えだと知った瞑鬼は、魔法を発動させたまま話を聞いた。
頭の中に響いてくる。彼の声が。ゆっくりと語ってはいるが、そのうちに潜む強迫的なまでの執念が。
この世界で魔法が使える動物。それは瞑鬼の予想した通り、異世界からやってきたものだけだ。そしてそれらは例外なく、闇市で売られるのが鉄則だと言う。言葉がわかるようになるのも、魔法回路が備わるおかげらしい。
十二年前に来た当初、白銀はわけもわからないまま神として祭り上げられた。大戦で数が減ったと言えども、白銀の民は残っていたらしい。当時はまだ今ほど大きくなかったが、それでも人々は崇めたそうな。
そして一人、また一人と死に絶え、ついに残るはカントとピリカだけに。だが当然、小学生にして字も書けない二人の居場所はない。
地位も身分も、はたまた家さえも。彼らは世界に戻る術が無かった。それは瞑鬼もよくわかる。なにせ自分も同じ経験をしたのだから。
『別の村に引き取られたが、やはり扱いは良くなかった。それに彼らは敬虔な使徒だ。我の元を訪れては、しばしば魔王軍との戦闘に巻き込まれることもあった』
「……いるのか?ここら辺にも」
『今はおらぬ。我らで片した。ピリカは特別強くてな』
公園で会った時の彼女の魔法。たしか、触れたものの温度を下げるというのだったはずだ。それが本当なら、彼女に腕を掴まれただけで生物なら負けが確定するだろう。
木が風に揺れ森の音を奏でる中、白銀はその偉大な口を閉じる。聞いてしまったから、もう前と同じ目で見れない。彼らの思いを知ってしまったから。
悪じゃない。間違いなく。義鬼よりも、白銀の民は魔女に近いように感じた。それは自分の信念に基づいて行動していたからなのかもしれない。彼らは彼らなりのやり方で、自分と同じものを救おうとしているのだ。
だから同じことをしようとしている瞑鬼にとっても、その話は重しになって。結果として、いつの間にか魔法回路を閉じてしまっていた。白銀ももう閉じている。二人の間を、静かに落ち葉が通り過ぎた。
汗ですっかりぐっしょりとした服。頼りない息遣い。それらが全て取り払われて、瞑鬼と白銀は二人だけの世界に。
リーダーで、異世界から来て。だから互いに理解できてしまう。いつもは誰にでも牙を剥く瞑鬼も、すっかり戦意が削がれてしまっていた。
そんなおり、いつの間にか近くに人の気配が。気づいた時にはもう遅い。背後を取られ、魔法回路もひらけないまま瞑鬼はごつい手を首に回される。動いたら殺す。そんな映画でしか聞いたことがないようなセリフが、背後の野郎から飛び出した。
いつもならそこで臨戦態勢に入っていただろう。いきなり第三の魔法で拘束を解き、顔面に回し蹴りの一発でも決めていたかもしれない。だが、今の瞑鬼はそんな考えが頭に浮かばないくらい、無駄に穏やかだった。
『……解け、カントよ。かの者は我が客人だ』
白銀の命が降ると同時に、瞑鬼に回された腕も剥がされる。少し残念そうに感じたのは、瞑鬼の気のせいだろうか。
腐った目玉を半分だけ開いて、自分に不意打ちを仕掛けて来た太い野郎の顔を見る。真っ白な髪が特徴の、ちょい筋肉質な男。そして顔は驚くほど妹にそっくりだった。
「……誰ですか?これは」
「てめえが誰だよ」
地元のヤンキーのように、メンチを切る瞑鬼。初対面で印象の悪い相手には、どうも反発が態度に出てしまう。それを取りなしたのは、瞑鬼の顔に一瞬驚いていた妹の方。
「……瞑鬼、さん」
「不知火だっけか……。奇遇だな」
お得意の先制アイロニーで憂さ晴らしを。だが彼女はフレッシュの人間と違って、それに気づいてくれないらしく。
少しだけまだ現実を受け入れられてはいないものの、それでも瞑鬼の目を合わせるくらいはした。
元はと言えば、今回の騒動はピリカが原因であるだろう。彼女が関羽のことを報告し、それから争奪戦が始まった。
そんな、本来なら憎むべき相手のはずなのに。そいつにすら、瞑鬼は同情とも取れない感情を抱いていた。手を出してこないと安心したのか、ピリカもカントを盾にしつつ瞑鬼の近くへ。
「……関羽はどこだ?」
辺りを見渡す。姿はない。もしどこかに動物を保護する場所があるのなら、今だけはそこにいるという結論が欲しい。これでまだしらを切って来たら、今度こそ両陣営の溝は埋まらない。
一連の流れを知らないカントでも、そこら辺は察しが付いたのだろう。隠すそぶりもなく、あっさりと答える。
「……今は、俺たちの聖地で保護している」
「…………事情はカムイから聞いた」
「それじゃ、私たちの事も?」
不安そうに兄を見つめるピリカ。その仕草だけが、やはり瑞晴にそっくりで。思わず抱きしめたくなる。二日しか会わない日は続いていないと言うのに、もう頭は瑞晴シックで侵食されつつあった。
「……あぁ」
「勝手な話だとは分かっているが……。すまん。殴って気がすむのなら、いくらでも俺を殴れ」
正直そんなことを言われても、瞑鬼にはそれだけの力がない。今まで自分がやってきたことを省みると、棚上げなんて出来るはずがなくて。
ソラたち魔女っ子を保護したのは、完全に瞑鬼たちの主観での問題だ。本人が助けを求めていたとはいえ、魔女界で異端なのは彼女たちの方。それを知りつつも、瞑鬼は助けた。
だから、今白銀の民がやっていること。それを怒って、無抵抗のカントを一発ぶん殴るだけの大義がなくて。
ただ一つだけ、瞑鬼は気になっていた事を聞いた。
「……お前ら、男女五人のグループ見なかったか?男一の、女はピリカと同じくらいのが二人、下なのが二人なんだが」
こんな時でも気になるのは、やはり瑞晴たちのこと。今は瞑鬼を探しに森まで来ている頃合だろう。彼らならそれくらいやってのける。
「……あぁ。それなら途中で会ったよね。お兄ちゃんが言ってた、ホテルの人たちでしょ?」
「…………会って、どうした?」
答えようによっては、今すぐこの場で第七の魔法を発動させる。そう心に決めていた。無事ならそれでいい、とも。