敵と味方は紙一重
そしてその開戦は、まったくの無音で始まった。先に動いたのはしびれを切らした夜一の方。それは苛立ちだった。同時に、こんな立て続けに事件が起こる事への不満でも。
冴えた視界に影が落とされた瞬間、もう右手は動いていた。たとえ弱い光でもこの一瞬なら防げまい。そう思って。
「ってぇい!」
「なっ!?」
だが、そんな夜一の策など嘲笑うかのように。侵入して来たそれは、夜一の姿を見るなり恒星のごとき光をまき散らした。
ほんの一瞬。時間にすれば瞬き程度。だがその間の隙だけでも、もう体制は戻せない。あまりに強い輝きに、夜一の視界は眩んで落ちる。こんなの、市販のライトじゃ到底できない。それこそ、瞑鬼の魔法でもない限り。
見えない目で拳を振るうも、当たったのはベニヤの扉。勢いよく粉砕したものの、手ごたえはない。まずい。本能的にそう悟った次の瞬間、もう夜一の身体は床の上。
左手を抑えられ、抵抗するも予想外に力が強い。だが、夜一中になんだか違和感が。それはきっと、相手の捕まえ方だったのだろう。
マウントの取り方と、久しく感じたちょうどいい重さ。そして何より、この殺意のこもった手。こんなことできるやつなんて、世界でも一人しか知らなかった。
「……夜一?」
「……出会い頭に魔法とは。偉くなったものだなエセリーダーよ」
悪辣を叩きながらも、夜一の顔はさっきまでのそれとはもう違っている。全員揃って、どこか安心したような。さっきまで瞑鬼の骨を折ろうとしていた男とは思えないほどに、穏やかなものだ。
そして瞑鬼も暗闇ながらにそれが見えていたのだろう。身軽に夜一から体を退けて、みんなを見渡し息をつく。
「……瞑鬼くん?」
事態の緩急について行けてないのか、どこかぽやんとした瑞晴。田舎の村で、夜で、人はほとんどいない。こんなのサスペンス好きからしたら絶好のシチュエーションだろうに。
そんなのが頭に入ってこないくらい、瑞晴は考えていたのだ。いつまで経っても、人の言いつけを守らないリーダーのことを。この年で同級生に、どこか行くなら連絡を、なんて言うとは。去年の瑞晴が見たらさぞ驚くことだろう。
張り詰めていた空気は何処へやら。夜一がふっと笑ったのをきっかけに、フレッシュから安堵の息が漏れる音が。
「…………悪いな。わざわざ」
「来た理由がわかるのなら、お前には説明する義務があるな?」
「……あぁ。時間ねえしな。関羽もいねぇし。……ちょっと聞いてくれ」
よっこらどっこい腰を下ろし、夜一からもらった水を飲む瞑鬼。瞬間、盛大に腹が鳴った。
「瞑鬼さんのために、いろいろ買ってありますよ」
「なっ!ソラぁぁ……」
また抜け駆けを。そう瑞晴が注意しようとしてももう遅い。瞑鬼の登場に戸惑っていたメンバーを差し置いて、ソラはもう飯の準備を進めていたのだ。
缶詰を開け、スナック菓子の袋を破る。一見誰がやっても同じだが、合コンではこれでポイントが分かれるほどに重大な仕事だ。出遅れた瑞晴に言えることはなし。
最後にまともな飯を食べたのは、ピリカお手製のお供え物の時。【改上】で体力自体は戻っているが、だからと言って何も食べないでいいはずがなかった。何日かぶりに口にする、砂糖と油の集合体。普段はぼりぼり齧っても何も思わないのに、この状況じゃイエスのくれたパンくらい美味い。
「……不知火ピリカにあったか?」
飯を食う姿を見ていたら、不意にそいつが訊ねてきた。聞き覚えのある名前に、真っ先に反応したのは瑞晴だ。
「…………知ってるの?あの人たちのこと」
「…………あぁ」
そう答えた瞑鬼の姿は、どこか影って見えた。
「……お前は、今回のことをどこまで知っているんだ?」
射殺すような視線を放ちながら、堂々と聞く夜一。今回の事件に関して、一番起こっているのは間違いなく彼だ。せっかく楽しくなるはずだった旅行がぶっ壊されて、挙げ句の果てにはまた殴り合い。
魔女の一件が終わってから、まだ一月と経ってない。こうも連続で来られては、まだ遊び盛りの高校生。ストレスが溜まってもおかしくない。安定を求める二人が、一番安定から嫌われている。随分と皮肉な話だった。
黙って考えるようにビーフジャーキーを齧っていた瞑鬼も、このまま話すまいとはいかないようで。やっと手に入れた、他人に頼るというスキルを発動させる。
「……あいつらは、白銀の民は、世界中から動物を保護するのが目的らしい」
「…………それは、白銀の神狼というやつの言葉か?」
夜一からの質問に、黙って首を縦に振る。
だが、仮に相手の目的がわかったところで、フレッシュにはどうすることも出来ない。動物の保護?したいなら勝手にすればいい。それが彼らの見解だからだ。けれどそのために関羽を奪うというのならまた話は別。抵抗するだけ。
いつの間にか動物の鳴き声は止んでいた。どうやらもう結構いい時間らしい。携帯で確認すると、11時を過ぎている。
くわぁ、と目をこする朋花を、ソラが一緒に寝かしにかかる。こんな空気に晒されるのはもう限界らしい。
ただ、高校生組は黙って俯いて考え事を。まだ謎はある。動機がわかって、犯人もわかっても、まだ一つだけ。どうしても気がかりなこと。そして三人は確信していた。その答えを、瞑鬼は知っていると。
この会ってない二日間で、果たして何を手に入れたのか。それを知りたかった。そしてそれは、まだ朋花が聞くには早すぎる。だからこうして機を待った。
いつの間にか仕事を終えて、すーすー眠る朋花の髪を撫でながらじっと瞑鬼の方を見るソラ。こうまでされて、それでもだんまりなんてわけに行くはずもなく。
「……教えろ。白銀の神狼とは何者だ?なぜこんな事をする。お前は知っているのだろう?そのわけを」
じっと射抜いてくる夜一の眼に、いよいよ行き場をなくす瞑鬼。持っているものの義務がある。でも二人の立場が逆だったら、間違いなく夜一も言い渋るはず。
そんな情報が、瞑鬼の中にはあった。
「…………聞く準備はできてるよ。受け入れるのも。私だって、ちゃんとフレッシュのリーダー代理勤めてたんだから」
やはり、この状況で瞑鬼を動かせる人。それは瑞晴しかいない。こうも頑固になった天然根暗の闇を晴らすのは、いつだって晴天と決まっている。
デザートのチョコパイに手を伸ばしながら、低い唸り声を。言い澱めば澱むほど、切り出すのは辛くなる。それを理解しているのに、なかなか口腔を音が抜けてくれなかった。
「……ここから先は、俺の話にもなるんだがな……」
それでもふぅと息を一つ吐き、溜飲を下げるかの如く瞑鬼は語り出す。その物語の裏話を。誰も知らない、誕生譚というやつを。
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知らない誰かが、別の知らない誰かを話をしていた。瞑鬼は一人、その後ろでぽつんと座っている。どこにいるのだろう。木の匂いで満たされたその部屋は、まだ子供な自分が走り回るには十分な広さだ。
けれど瞑鬼はそれをしない。大人しくしてなさい。そんな事を誰かに言われたような気がしたから。
知らない人が消えて、髪の長い、落ち着いた雰囲気の人がこっちを向いた。美人とはお世辞にも言えないが、なんだろう。どことなく親しみがある人だ。その人は優しく瞑鬼に話しかける。
お仕事終わったよ。今日の晩御飯、何にしよっか。知らぬ間に自分の口から言葉が漏れていた。
今日は果物がいい。また女が言う。それじゃ、今から行っちゃう?まだ夕方だ。証拠に空は緋色。でも瞑鬼は頷く。
ずっとその台詞を待っていたように、身体は勝手に動いていた。自分よりずいぶん背の高い人は、ぴったり隣にくっついて。それで手を握ってきた。誰もいないから、恥ずかしくもない。瞑鬼も握り返す。
どうして忘れていたんだろう。この人は…………。
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「…………はっ!」
ちょうど停電になったように、瞑鬼の夢は終わりを告げた。そしてお決まりの体を起こした体制というやつで木に寄りかかっている。
大量の汗が吹き出しており、非常に喉が渇いている。太陽が出ているところを見るに、今はまだ日中らしい。前に見たのは月だったから、丸一日か半日程度寝ていたらしい。
うまく状況が整理できてなかった。北海道ということはわかる。なんでこんな事になっているのかも。だが、この胸に残るようなしこり。思念の残留とでも言おうか。それの正体だけが、瞑鬼の中でぼんやりと幽霊のごとくこべりついている。
「……あぁ、あの狼に」
頭をいっぱつぶん殴り、なんとか思考を纏めにかかる瞑鬼。そのお陰が、焼け切れるような脳の混乱が治った。
陰樹の間から射す陽光に目を細めつつ、木に手をかけて立ち上がる。若干の立ちくらみこそあれ、身体は完璧に治っていた。
やっと戻ってきた記憶を頼りに、周囲の確認を。澄んだ水の張った泉は濁りの一つもなく、また魚の一匹もいない。こんな真昼間だというのに、森の中は限りなく静かだった。
泉に顔を突っ込んで水分補給。天然の雪解け水は、空きっ腹によく染みる。
芝生に目をやると、それは泉の際辺りからずっと彼方まで、波打ったような跡がある。それは木の葉にも言えた事で、多少の散らばりこそあるにしろ、殆どは泉を起点に均等に離れている。
「…………声、か?」
白銀の神狼に放たれた最後の一撃。あれのせいで瞑鬼の三半規管が壊されて、まともに戦えなくなったのだ。
調べるに、あれはただ馬鹿でかい声で叫んだだけだった。だから周りに動物がいないんだろう。勝手にそう結論づける。
腹の虫が仕事をよこせと催促するが、そこらにあるキノコなどにはとても手をつけられそうにない。元気はあるが、やる気がない。そんな気分だった。
けれど、こんな所で止まっていても仕方ない。そう思ったのか、瞑鬼は森の中を一人歩き始める。今頃フレッシュのメンバーは何をしているだろうか。夜一あたりは、二日も消えた瞑鬼に対して怒っているだろう。会う時には気をつけなければ。
途中、少し開けた土地が瞑鬼の前に。多分近くの村の人が管理しているのであろうその畑では、大量のサトウキビがその穂を揺らしている。
食べようかとも思ったが、道産子じゃない瞑鬼には調理法なんてわかるはずがなく。そもそも煮詰める鍋もないので諦める事に。
「…………あいつ、マジでなんなんだよ」
あんな体躯をした生物が、自然界に存在していいのか。それもまた疑問。調べた限りでは、この世界に元の世界との異なりはあまりない。専門家でもない学生の見識じゃ間違いがあって当たり前だが、少なくともこの数ヶ月であんな規格外の化け物は初めてだ。
魔獣という線も考えた。だが、それにしてはピリカから魔女の気配はない。西洋では野郎のウィッチもいるそうだが、あの二人から漂っていた匂いは一点も異国のものはない。
腹が減りすぎたのか、足元が覚束なくなる。この間から【改上】後のエネルギー消費が著しい。早く新しい魔法を使わないと体力が減っていく仕組みでもあるのだろうか。
いずれにせよ、当面の目標は関羽の保護と不知火たちへの報復だ。どこにいるのか知らないが、弁当を作れるという事は最低でも街中に出る事はある。しかも金まで持っている。おまけに警察にも見つからない。となると残された選択肢は一つ。
すなわち、白銀の森周辺の村という可能性。
魔法回路を展開し、残る力を振り絞る。大きく深呼吸の後に息を止め、振り上げた足で空気を蹴り上げる。限界手前の五歩くらい駆け上がり、電柱くらいの高さから辺りを見渡すと、意外と近くに村はあった。
人口二百人くらいだろう。世帯の数も多くない。ピリカたちが隠れて農業のアルバイトでもするにはうってつけだ。だから瞑鬼もそこに向かって、ゆるりと足を延ばす。
畑仕事をしていたおじいさんを捕まえて、そんなやつが居ないかと問う。結果は知らんの一言だった。
そうして瞑鬼が去ろうとすると、ふとおじいさんから一言。村のやつに聞けばわかるかも、と。条件は畑の手伝い。なんでもジャガイモ掘りを手伝って欲しいらしい。飯も食わせてやる、だとか。
これは瞑鬼にとって断りようのない案件だ。普段は大人と関わるのは嫌う瞑鬼だが、田舎の、それも還暦をとうに過ぎたじじいばばあなら話は別だった。祖父母には、なぜだが嫌な思い出がないから。
ご自慢の魔力量で無理矢理体を働かせ、根こそぎ芋を掘り起こす。瑞晴に連れられ仕入れ元のおじいちゃん宅に行った事もある瞑鬼にとって、このくらいの仕事は朝飯前もいいところ。とっとと仕事を終わらせて、うまい飯にありつく事に。
「金はやれねぇけど、飯だけは腐るほどあるでさ。お前さんみたいな若いやつに振る舞うんなら、こっちも気が楽じゃ」