一人ぼっちの村八分
ちょいとばかり冷え込んだ気候に、でも心地いい太陽の光。鼻を通る空気は澄んでいて、呼吸するたび全身に充足した魔力が行き渡るのを感じた。
このままずっと目を閉じていたい。永遠に、この楽園のようなところにいたい。微かに香るミズナラの、郷愁的な記憶を呼び覚ます匂いにあてられ、神前瞑鬼は目を覚ます。
緑の木々。間から溢れる緑光が、朝の来訪を告げていた。柔らかい地面から顔をはなし、すっと起き上がる瞑鬼。どこかはわからないが、まだ森の中にはいるようだ。
一つ大きな背伸びをして、血流を整える。目をこすって、あたりの確認を。見えるのは、どこまでも続くような森の色。小鳥が樹上を飛んでいた。地面を虫が這っていた。
「…………なんだったんだ……。昨日の、あれ」
まだ完全に戻りきってない頭。この感覚はもうすっかり慣れたものだった。決して常習化してはいけない、瞑鬼唯一の魔法。すなわち【改上】である。
なにかを考える前に、瞑鬼はひどい喉の渇きに気づく。同時に、抉られるような空腹感も。どうやら、今回の復活には通常よりもかなりエネルギーを使ったらしい。
そこらにあったキノコを摘んでみるが、まぁ、食べれるはずもなく。微かに耳に届く水の音を頼りに、何とか小川を発見。水質の確認もせずに、そのままがぶがぶ飲んでゆく。百パーセント天然の雪解け水は、かなり喉に優しいものだった。
なんとか水分で腹ペコを誤魔化して、気付に一つ顔を洗う。ぷるぷると水滴をはらい、ようやっと覚醒した。頭の中で、吉野流サバイバル術の教科書を。習った原則は一つ。体力があるうちに、やれる事はやっておけ。つまりは、可能性があるなら探しまわれと言う事だ。
地元警察が、わざわざ大規模な捜索をするとは思えない。ただでさえ、世間は魔女だとか魔王軍だとかで騒がしいのに、とてもじゃないが観光客の高校生なんて構ってられないのだ。何となく予想できるからこそ、瞑鬼は変に希望を持たなかった。
洗脳が解けていれば、今ごろ夜一たちは瞑鬼がいないのに気づいているはず。警察に行って事情の説明はするだろうが、取り合ってもらえないと言う可能性も。それ以前に、ホテルにいた人たちは、昨晩の事件についてあれやこれや聞かれる事だろう。だから、最低でも瑞晴たちが探しに来るのは一日後と考えていい。
だがそれは、瞑鬼が寝てたのが夜明けから今までだったらの場合だ。今回は場所が場所なだけに、時間の確認が難しい。携帯は完全に沈黙を決め込んでおり、腕時計なんてつけてない。
「……昼くらいか?」
中学校の知識で、太陽の位置から概算を。なんとなく真上にある気がしたので、とりあえずは正午ということに。
ここで立ち止まっていたら、次またいつ昨日のアレが現れるかわからない。あんなのに二度も遭遇するのはごめんだった。何回死んでも、まともに相手など出来そうにない。
とりあえず川の下流を目指し、てくてく歩いてゆく瞑鬼。どこに出るかは運次第。だが、関羽を助け出すという名目がある以上、彼のやる気が費えることはない。人一倍の怒りを胸に、大自然を闊歩していた。
魔法はできるだけ最小に。熊にもばったりしたくないので、なるべく音を立てて歩いた。隣を見ても木々。上を見ると青空と葉っぱ。全く同じ空間を彷徨っているような感覚だ。土地勘もなく、また地図もなし。異世界の初期地点がここじゃなかったことに感謝しつつ、車の音がしないか神経を張る。
そうして何分歩いてただろうか。あるいはなん十分。果てしないと思われた森の終わりが、瞑鬼の目に見えていた。
やっとひらけた視界に感激を覚え、その光を目指して走ってゆく。がさがさ邪魔なツタを掻き分けて、時には引きちぎって。そうして出た先は、一つの小さな村だった。
近代的なんかじゃ決してない、古風な民家。でもそれは、日本の藁葺き屋根とは少し違う構造だ。教科書で見たことがある。確か名前はチセ。蝦夷はアイヌの、伝統的な家である。
「…………人は、いないな」
遠目で見た限り、その村に人の気配はない。それでもなぜだかちゃんと整備されていた。いつでもまた、誰かが住めるように。
獣や人に細心の注意を払いつつ、瞑鬼は村を見て回る。声を確認したり、畑を見たり。でも、やはり誰もいなかった。儀式用の建物にも行ったが、やはり人はなし。ゴーストタウンならぬ、ゴーストヴィレッジだ。
考えられるのは、明治のアイヌ狩りでみんな逃げて村が見つかってないか、それとも見つかって観光名所にでもなっているのか。だが、後者だとまた不自然もある。村の入り口に看板もないし、なにより来るまでの道が全然整備されてないのだ。
井戸の水を確認。何十年か経っているにしては、かなり綺麗な状態だ。まるで、誰かが定期的に手入れでもしているような。それに、村にはやけに生活感があった。洗濯物とか、干した野菜とか。そう言うのじゃなくて、なんと言うか、人の温もり的なのが。
ひょっとしたら、関羽をさらったあの二人。あいつらの住処がここなのではないか、と、なかなか鋭い考えが。そこで罪悪感はありつつも、一つの家に入る瞑鬼。鍵はついてなかった。
情報収集と、準犯罪行為はお手の物。数々の経験を活かし、証拠を残さぬように調べてゆく。その結果、なかなかに衝撃的な発見があった。
「……うわぁ」
まず目に付いたのは、入って一番最初に目に入る、鹿の頭蓋骨だ。戦士の証としてなのか、一番見やすいところに飾ってある。そして着込んだ様子の衣装が何着かと、あとは普通の家。見たことない楽器や、すでに死んだ保存食など。特に目立ったものはない。
関羽がいるかとも思ったが、どうやらここにはいないようだ。鳴き声があればわかるし、なにより関羽が瞑鬼の匂いに気づかないはずないのだから。
念のために隠し扉や抜け穴がないか確認を。隅々まで家を探して、得られたものは空虚だけだった。
だが、瞑鬼はまだ希望を持っている。この家にはなかったが、あるいは他の家なら。けれど、それは身体が許してくれないようで。体力の限界が近づいていた。鍛えてたはずなのに。
食料がありそうな雰囲気なので期待したが、どうやらそれは無駄だったらしい。貧血と空腹、それに軽い栄養失調で、瞑鬼はその場に倒れこんだ。
ちゃんと【改上】したはずなのに。今回は何かがおかしかった。身体から、無駄に魔力が溢れているような。そんな不思議な感覚。
こんなとこで死んでいたら、最悪誰にも見つけられず、なんてことがあるかもしれない。何度蘇ってもこのままだと困るので、とにかく瞑鬼 は、飯を探そうの言葉で動きだす。その瞬間だった。
「おせーぞばか」
「兄さんが早すぎるんだよ。そんなこと言うなら、帰りはおぶってよねー」
家の外から聞こえてきた、男女の会話。それのせいで、瞑鬼は尋常じゃない焦りを覚える。
帰ってきた?持ち主が?そもそもこんな棄てられたような村に、持ち主なんているのか?言葉は喉に詰まって、なかなか表に出てこない。だが、今はそれが何よりも幸いだった。バレたらまずい。そう本能が叫んでいたから。
魔法回路を開き、無理矢理体を起き上がらせる。注意しながら覗き、それが若い二人だと言うことを確認。それに、脇には関羽まで。
確信した。あれが関羽をさらったやつなのだと。しかし、なぜだろう。瞑鬼の中に奇妙な疑問が生まれていた。それはほんの小さな、普通なら気にならないくらいの、ちょっとした海馬のざわつき。
聞き覚えのある声。間違いない。男の方は、昨日の犯人そのものだ。だが、不思議だった。瞑鬼は女の方にも覚えがあった。つい最近聞いたような、それかもっと前からか。でも、確かに記憶が反応している。
目を凝らして、二人をよく観察。男の方は手にバスケットを抱えていた。何が入っているのかは知らないが、あまり重そうじゃない。次に女の方に。
それは、あまりにも残酷な現実だった。魔女侵攻を耐えて、なんども死んだ瞑鬼でも、ちょいとばかし受け入れ難い。そんなもの。
二人はおそらく兄弟なのだろう。お揃いの真っ白な髪に、色素の薄い肌。アルビノかと見まごうほどに白い瞳。脳が騒いでいた。心が飛び跳ねていた。
思い出してしまう。あの冷たい花の感触を。関羽のために作られた、綺麗な氷の押し花を。世界は残酷で、全然瞑鬼の思い通りにいかなくて。
敵だと思って味方な経験はある。亡きマーシュリーがいい例だ。だが、その逆は初めて。味方だと思っていた。いや、少なくとも悪いやつじゃないと思っていた。その人物は、今瞑鬼の前に敵として立っていた。
「…………不知火、ピリカ……」
つい昨日聞いた名前。忘れるはずがない。だから、口に出してしまった。絶対に物音を立ててはいけないこの状況で、最悪の手を。
瞬間、ピリカの視線が家に向く。獲物を見つけた狼のような、細くて鋭い目。眼光だけで人を殺せるであろうそれは、当たり前だが瞑鬼のいる家に。
「……なんだ?クマでもいたか?」
「……いや。何でもないよ。名前呼ばれた気がしただけ」
木製の床に這いつくばって、瞑鬼は荒い呼吸を何回も繰り返す。心臓が握りつぶされるかと思った。見つかったら、死ぬかと思った。
もう立ち上がる気力もないので、そのままだらんと脱力を。二人の疑いの目も、完全には消えてないが一応振り解けた。あとは去ってくれるのを待つのみ。頭を使うのも億劫だ。
話し声はやがて神殿にゆき、そしてまた道路に戻ってくる。何言か話したと思うと、すぐに声は消えていった。安心感と、解けた緊張。それのせいか、瞑鬼は瞼が落ちそうだった。
第二の魔法を使えば解決なこの状況も、今の瞑鬼には判断できない。おきてるのも無駄な体力を使うと思い、瞑鬼はメラトニンに従うことに。
深い眠りについていた。あっさりと、そしてぐっすりと。夢に出てくるは、遠い日の誰かの顔。ここにいた。自分と誰かは。そうして、ここにはたくさんの人がいた。