収束、そして拡散
「……あ、どうも」
「…………ん?」
だが、そこにいたのは魔女などではない。ましてや明華のような、他を圧倒するような空気をまとった人でも。
ただの高校生で、朝からランニングするような健康的な人。そして今朝少しだけ会話をした人。確か名前はピリカだったか。
悍ましく感じたその気配は、間違いなく彼女のものだった。
「……え、あ、どうも」
だが、ここで警戒してもなにも出ない。そう感じたからなのか、それともただの勘違いと認めたのか。瞑鬼も警戒を解いて、普通に会釈する。
真っ赤に燃える日が照って、じりじりと背中を焼いていた。じんわりと背中に汗が滲み、腕を伝ってペットボトルに。そうして地面に滴り落ちる。
「……えっと、その、関羽ちゃん、でしたっけ?あの子の感触が忘れられなくて。……まぁ、それで、はい」
どうやらこの人も、瞑鬼と同じような人見知りを全開で発動させるタイプの人らしい。それなのに、わざわざ関羽に会いに来た。よほど毛並みが心地よかったのだろう。確かに瞑鬼も、あれに埋もれて眠らされたことは何度もある。
同じ系統の人であれば、なぜだか優しくなってしまうのが人の常。だから瞑鬼も皆まで言わせず、
「……あー、はい」
こっちも口下手を全力で発動させながら応えた。
「……すいません。なんか、不審者みたいってわかってるんですけど……」
「……いやぁ、まぁ、大丈夫ですよ。えぇ」
こんな反応をした女子は、生まれて初めてだった。例えるなら、瑞晴は春、ソラが夏、この人は秋だろうか。そんな感じの、微妙な距離感。
たった一言言葉を交わしただけなのに。いつもなら女性不信レベルの瞑鬼なのに。彼女の態度は、腐った鬼の扉を開かせた。
「……呼んできます?」
「…………いや、人いっぱいいるし、すいません」
「……あ、はい」
どっちも全く円滑に会話を滑らせるという気がなく、滞り方が尋常じゃない。今時小2でももっと語彙力を用いるだろうが、次元の違う人見知りにそんなのは無理だった。
人がいっぱいいるから。それは瞑鬼たちにとって拒否する理由の最大となりうる。他にも、うるさい奴がいる。知らない奴が混じってる。これらも対象だ。瞑鬼は別に誰とでも話せるが、彼女は無理なのだろう。だったら引き止める理由もなく。
だが、ピリカは立ち去らないで立っていた。まるで何か言い残したことがあるように。もじもじする彼女を、自分を見ているような、優しい目で待つ瞑鬼。
「……不知火、ピリカです。ここの公園毎日使ってますから、また会った日があったら、その時は是非」
「…………神前瞑鬼です。んじゃ、また明日ってことで」
毎日使ってるなら、瞑鬼としても都合がいい。下手に行って居なかった、なんて事になるよりは。
ぺこりと一つ頭を下げ、彼女は走って帰っていった。まさかこの為だけに来たとは考えにくいが、そうならば少し申し訳なくも思う。
いずれにせよ、飼い猫を褒められたのは飼い主としても誉れ高い。ちょっとばかしにやけ顔になって正妻のところへ胸を張って戻る。瞑鬼が遅いのを心配してか、顔を見るなり瑞晴が笑顔になった。
遅かったね。悪い。当てようか?……なにを?女の子と喋ったよね。…………怖っ。真実なんてのは、今日の晩飯を当てるより簡単さ、ワトソン君
またどこかから拾ってきた小説のセリフ。おおよそ女子高生が選択するような会話じゃない。が、瞑鬼はこれが愛おしかった。
ようやっと別れを済ませた夜一たちと合流し、みんなで夕食の店を探す事に。昨日肉だったから、今日は魚がいいと全員一致。適当に市場をうろついて、目にとまった店に入って食う。
そうしてホテルに戻ったら、今日の予定も全消化だ。みんなで集まってトランプなんかしたりして、修学旅行のような夜を満喫した。初日にあった女の子2人と同部屋という緊張は相変わらず消えないが、それでも何とか眠りにつくことはできた。
夜も更けて、草木眠るは丑三つ時。ホテルの明かりも全て消え、従業員もうとうとするころ。北海道の街に、一つ風が吹いた。
それが運んできたのは、新たな享楽か。それとも終わりを告げた日常か。
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激しい喉の渇きと不眠感を覚え、瞑鬼はもぞもぞ体制を変える。何時間も続くそれは、どうにも暑くて。頭が静まってくれそうにない。
家にいるときはなんとも思わなかったのに、旅行に来てやけに意識していた。挙動の一つ一つに気を配るようになったし、言動だって、普段よりかなり考えて喋ってる。じんわりと汗がにじむ。瞼の奥に、今日の瑞晴が映っていた。重症である。
「…………暑ちぃ……」
いい加減限界を超えたようで、シーツを蹴飛ばしむくりと起き上がる瞑鬼。そのまま虚ろな目をして洗面所まで行き、顔を洗って目を覚ます。そこまでして、やっと心臓が鼓動を収めてくれた。
何がそんなに暑かったのだろうか。エアコンはちゃんと入っているし、風呂に湯だって張ってある。特に変なものを食べた気もないし、ひょっとしたら風でも引いたのだろうか。
「……熱ねえよな……」
自分じゃわからないのに頭に手を当て、身体に手をあて確認を。しかし特に問題はない。病気なら、明日朝一で医者に行けばすぐ治るだろう。海外じゃあるまいし、変なウイルスがあると言う可能性は低い。
依然として頭は痛いが、シャワーでも浴びようかとの結論に。汗だくなままもう一度ベッドに入るのは、少しばかり抵抗がある。
そう思って、風呂の仕切りカーテンを開けた。そこで気づいた。湯船に張られた10センチ程度のお湯。乾燥を防ぐために残されていたそれが、波紋を広げていたのである。
「…………地震、じゃねぇ。音か……?」
そう。今立って感じている限りでは、地震などではない。この階に居てそんなもの起これば分かるし、何より携帯に速報が入るはずだ。
耳をすます。それはずっと聞こえていた。超低音の、とても人間には聞こえないような声。いつから響いていたのかは分からない。だが、確実にそれは瞑鬼の耳に届いていた。
「……歌?」
魔力を耳に集中させて、ようやく聞こえるほど。それは確かに、リズムに合わせて奏でられていたのだ。
原因不明。目的も不明。だが分かることは一つ。瞑鬼の頭痛の源はアレであること。それだけ分かれば、後はやることは簡単だ。公園で歌ってる親父の魔法ならやめさせる。魔王軍か魔女なら駆逐する。
しかし、それは簡単なことじゃなかった。頭は痛いし、何より平衡感覚がかなり薄らいでいる。立っているのもやっとなほど。確実なのは、相手の魔法は洗脳系であるということ。
回転してない脳で考えて、何とか対抗策をひねり出す。洗脳されそうならば、別の人に相殺してもらえばいい。幸いにも、同室には瑞晴がいる。今すぐ起こして魔法を展開すれば、多少はこれも和らぐだろう。
手探りで電気を探し、スイッチをオン。寝顔を見るのは忍びないが、今はそんな事態じゃない。さっさと終わらせて、もう寝たかった。明日の予定は市内の博物館。説明中に寝るなんて事になったら最悪だから。
そう思って、シーツに手をかける。そこで違和感に気づくべきだった。あったのはひと匙の不幸。瞑鬼の頭が痛かったから。視界も虚ろだったから。
「…………マジか」
シーツをめくったその先。瑞晴がいるはずのそこは、すっかり空になっていた。まさかと思い、後ろを振り向く。予想通りソラもいない。
「……俺らだけ?いや、絶対聞こえてるよな……。ホテルごと……?」
ぶつぶつと独り言をつぶやいて、ぐるぐる部屋の中を回り始める。ここで初めて気づいたが、関羽の姿もそこにはない。それによって、ますます謎が深まってしまった。
相手は何人?分かっているのは、歌で人を洗脳するという事くらい。条件がそれだけなのかは分からない。だが、瞑鬼には解決法がなかった。しかしそんな中でも動けたのは、異常事態に耐性がついていたからだろう。
ここにいては、いつ瞑鬼も持ってかれるか分からない。洗脳に個人差があるのか、それとも音量、性別、耳の良し悪しか。
「……ふざけんなよ……」
せっかく平和が戻ったというのに。神様ってやつは、瞑鬼がとことん嫌いらしい。ツンデレならやめて欲しいくらいに。
他の状況を確認するため、一旦部屋から退出。夜一たちの部屋に行き、インターホンを鳴らしまくる。だが、もうそこに人の気配はなく。しかし部屋の鍵は開いていた。オートロックなはずなのに。
恐る恐る入ってみる。も、瞑鬼の希望虚しくそこには誰もいなかった。瑞晴たちと同様、煙の如く消えていたのである。ひょっとしたら、ホテル全部がこうなのだろうか。
不安を覚え、カーテンを少しだけ開ける。これで街全体が乗っ取られていた日には、それこそ絶望というもの。いくら瞑鬼に【改上】があると言え、一人じゃ勝てる見込みはない。
だが、不安いっぱいに覗いた街は光に包まれていた。ネオンがまぶしく、大通りを車がそこそこ行き交っている。だから安心した。それと同時に、また不安が襲ってくる。
どうやら異常はこのホテルのみで進行しているよう。敵の数も、目的も不明。そして何より、なぜ瞑鬼が洗脳されてないかが最大の謎だった。
「……やっぱ慣れねぇ」
文句を一人で垂らしつつ、他の部屋も偵察に。瞑鬼以外に逃れてる人がいれば、かなり心強いというものだ。
インターホンを押して回り、それを一階まるまるやってみる。だが、誰一人として出てきた人は無し。やはり瞑鬼だけが、この変な歌に耐性がついているらしい。
しかし、状況確認を続ける間も瞑鬼の頭にはかち割れるほどの頭痛がはしっていた。悟空の輪っかが絞まる時のような、脳を圧迫されているような感覚が。最近痛覚が麻痺してもおかしくない経験をした瞑鬼だから、まだ意識を保てているのかもしれない。
兎にも角にも、完全に途方に暮れてしまった。あと残っているのは本当に一つだけ。すなわち、歌の中心へ向かうという事。魔力を傾ければ、どこから来ているかは大体わかる。あとは耳に注意を注ぎ、隠れながら行けば問題ない。はずだ。
全身の魔法回路を開き、少しでも痛みの分散を。ふらふらの足取りでエレベーターに乗り、向かうは音の発生源。蝸牛といい競争ができそうな速度でのっそりのっそり歩いてゆき、ついに瞑鬼は見てしまった。
「……くそ……」
そこにいたのは、一人の男だった。瞑鬼と同じくらいの身長で、綺麗な白髪が特徴の。後ろ姿で年齢までは分からないが、微かにのぞく手から察するに、あまり年寄りではない。
この状況で、ホテルを背に立っているなど犯人以外にはあり得まい。物陰に隠れ、息を殺す。まだ犯人が一人と決まったわけじゃない。複数いた時のことを考えると、頭が痛くなりそうだった。
じんわりと手に汗がにじむ。静寂なホテルの中は、妙にもの悲しかった。
仕掛けるなら、やつが一人でいる今しかない。頭の中で作戦を構築。しばらく様子を見て、隙あらば背後からの奇襲。気づかれても、二人か三人ならフラッシュボムで動きを止められる。接近戦のスキルは不明。だが、瞑鬼は万が一の時用に十得ナイフを携帯済みだ。
呼吸を整え、心臓の動きを抑制する。これは戦いではなく、制圧。なるべくなら人は殺めたくない。そう思っていた矢先、男が魔法回路を閉じた。やるなら今。瞑鬼は魔法回路を開ーー
「……一人足りねぇ……」
こうとするも、直前で全力ブレーキを。なんとか観賞用植物に身体を隠し、あと一歩のところで踏みとどまる。
全身が男を警戒しているだけに、一つの発言でも飛び出そうものなら細胞が硬直してしまうのだ。
「……7人だよな……。やっぱ足りね」
男の独り言。何のことか知らないが、瞑鬼の目は見開いていた。7人で、一人足りない。ホテルの部屋は確認した。他に同数グループがいるのかは知らない。だが、瞑鬼は確信を持っていた。
あいつの狙っているのは、瞑鬼たちのグループだと。
魔女の手先。確か協力者がいると言っていた。だが、それは英雄が始末したはず。だとしたら魔王軍。義鬼の配下ということもありえるが、それなら帰って来てから拉致ればいい。今ここでこんなことをしてメリットがある団体など、瞑鬼の記憶には存在しなかった。
「……鍵は開けさせたし、量間違えて死んだかな?」
犯人の口から語られる、次々の真相。多分あいつが言っているのはオートロックの事だ。ホテルの従業員も洗脳し、出入りしやすくするため電源を切らせたのだろう。
だが、それにしても気になることがまだ。その人達とやらは、今どこにいるのかと言うことだ。どこかに閉じ込められているのだろうか。ホテルのパーティールーム。公園という可能性も。
そっと目を凝らして、男の方を見る瞑鬼。そこでまた、全身に戦慄が走った。声を上げそうにもなった。
瞑鬼の視界のその先。ほんのり玄関の光が当たった、ホテル前の広場には大量の人がいたのだ。それはもう、何百人という単位で。そして一瞬でわかってしまう。ここに集められたのだと。だが、目的が不明すぎた。誘拐なら、とっとと帰ればいい。フレッシュだけなら、トラックの荷台に幾らでも載せれるはず。
「……(俺を探してる?)」
さっきの発言から察するに、男の狙いは瞑鬼。揃ってないとダメなのか、それとも単体が欲しいのか。心当たりなら腐るほどあった。【改上】がそのいい例だ。
もっとよく目を凝らして見ると、男の前には瑞晴たちが並べられていた。パジャマ姿のまま、目を瞑ったまま。どこか魂の抜けたような彼女たちの表情。瞑鬼の燃え上がる心に油を注ぎやがった。