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上書き勇者の異世界制覇  作者: 天地 創造
白銀の神狼編
204/252

白銀の少女


シャワーの音が聞こえる。パシャパシャと仕切りのカーテンに当たった水が滴り落ちて、ぼそほそと話し声まで。慣れているはずなのに。瑞晴もソラも、毎日風呂に入っている音なんて聞き飽きたとさえ思っていた。


だが、特殊な環境というのはそれまでの認識なんて簡単に変えてしまう。聞こえてくる笑い声の一つ一つが新鮮で、だから何かと頭の中を煩悩が余儀ったりして。熱々のコーヒーを流し込み、自分の欲望を抑え込む。こんなものを抱えていては、おちおち一緒な部屋でなど寝れはしない。


足元にすり寄ってくる関羽を撫でながら、向かったのは窓のそば。カーテンをちょっとだけ開けて、ネオンを見ることに。


「……すげ」


そこに広がっていたのは、無限に思える大地と栄える街並みだった。灯りが続いているところは幻想的で、その先の果てない土地は神秘的で。


それをじっと見つめていたら、また瞑鬼の頭に何かが流れ込んできた。何度か味わった、あの不思議な感覚が。


見えてきたのは、これと似たような光景。だけど何かが違う。何かは分からないが、何となく世界が暗いような気がした。誰かが瞑鬼の名前を呼ぶ。聞き覚えのない声。だが自分は振り向いてしまった。そこにいる誰かに話しかけられるのが、まるでとても楽しみなように。


「…………いってぇ……!」


だが、瞑鬼の夢はそこで途切れてしまう。犯人は確定。肩に乗った猫しかいない。


鋭い痛みが頬を伝ったと同時に、瞑鬼は全てをなくしていた。夢から覚めた時、全部を置いてくるように。記憶の中からそれは消えていた。


「……今度は関羽か。優秀だよ、お前は」


よく分からない。アレが何なのか。自分の記憶な気もするし、全く違うもののような気も。だが、はっきりと分かるのは一つだけ。こうして戻ってこれたのが、限りなく嬉しいということだ。


もしあれが過去の話なら、とっとと忘れてしまいたい。黒い歴史なんかいらないから。


それから瑞晴たちが上がるまでは、瞑鬼と関羽のいちゃいちゃタイム。喉を撫でて、腹を撫でてを繰り返す。その度に甘い鳴き声を関羽がもらした。


二十分も経つと、シャワーも止まってドライヤーの音が聞こえてくる。湯船に浸かれないから、まぁこのくらいが丁度いい時間なのだろう。


風呂上がり、ジャージ姿、そして歯磨き中という、高校生男子が興奮する三つのポイントを押さえながら乙女たちが扉を開ける。何度も見たはずのその姿は、今すごく珍しいものに映っていた。


「次、いいよ」


「…………おう」


何度も言われたその台詞も、場所とシチュを変えれば最高のご褒美になる。妹や姉でなく、同級生というのが最高に高ポイントなところ。


二人の歯磨きが終わるのを待ち、瞑鬼もシャワールームへ。眠気を覚ますためあっついお湯をかぶり、ついでに関羽も洗っておく。さっきまで使われていたバスの中は、ほのかにシャンプーの匂いが残っていた。


嗅いでいるだけで、なぜかしら倒れそうになる瞑鬼。瑞晴の魔法でも充満していたのだろうか。


あまり長くいるのは危険だと判断し、ささっと洗ってさくっと拭く。関羽の毛に即行でドライヤーを当て、落ち着いた様子を装って風呂を出る。夜のテンションだけあって、緊張は最高潮だった。


「……早いね」


さっきまで瞑鬼が座っていた椅子で、瑞晴もコーヒーを飲んでいた。開いているのはお気に入りの小説だろうか。


脇に抱えていた関羽を適当におろし、瞑鬼はベッドに腰掛ける。そして流れるは沈黙の数分間。道中の疲れからか、ソラはすでに眠ってしまっていた。


「……寝顔、可愛いよね」


これは何だろうか。瑞晴なりの威圧だろうか。だが察しは良くても人の心がわからない瞑鬼に、気の利いた世辞など言えるはずがない。


「……だな」


素直に思ったことを口にして、また瑞晴がむすっとした。


「……瑞晴の寝顔見たことねぇし」


「……私は、瞑鬼くんが居眠りしてるのいっぱい見たことあるよ?」


「…………あぁ、それなら俺も。こないだ包丁握ったまま寝てるのは見た」


「あ、あれはアレだよ。ちょっと寝不足で、いや、うん。玉ねぎが痛かったからだよ?」


「……まぁ、なんだ。起こしたくなかった」


若干の照れ臭さを隠しながら、瞑鬼はコーヒーをすする。


「……それなら、瞑鬼くんだって陳列しながら棚に顔突っ込んでたじゃん。いってー!って、私の部屋まで聞こえてきたし」


「……アレは、アレだ。両手が塞がってて、それなのに虫がついてたからだな、おう」


くだらなくて、どうでもいい会話。ソラが寝ているからボリュームはおとしめで、でもくすくす笑いあって。幸せだった。あの夜から、辛いことも嬉しいことも、そんなのが全部晴色になった気がする。


自分に幸福はないと思っていた。異世界に来て、変な能力までつけられて。それ以前に、世界が殺伐としすぎなのも問題がある。最初は自分を否定して、世界すらも否定していたのに。


なんだかこの何ヶ月かで、瞑鬼は随分と変わっていた。そしてそれは、こんな日常を味わえば味わうほど強くなっていって。いつか終わると知っていても、それでもこの馴れ合いを手放したくなかった。


やがてすっかり日をまたぎ、二人の会話が途切れ途切れになった頃。眠気と戦いながら二人は天井を見つめていた。


すーすーと寝息が聞こえてくる。瞑鬼もそろそろ限界だ。明日も早い。予定が詰まっている。


もしこれが、元の世界だったなら。最近はそう思うことも減った。他に流れ込んできたやつが一人もいないのだから、それも当たり前なのかもしれない。いずれ記憶は風化して、自分の過去を忘れる日が来るかもしれない。


だが今の瞑鬼は、それさえも幸せの前に投げだそうとしていた。辛い記憶なんていらない。ただ、みんなとずっと。誰かの顔が記憶を過ぎる。気にせずに瞑鬼は眠りに落ちた。深く、深く、どこまでも続く夢の中に。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



その日の目覚めは最悪を具現化したようだった。やけに顔が重いと思って手を当てると、そこには一つの毛玉が。眠たい頭で関羽だと判断し、どかしたまではいいがさあそこからが本番だ。


開眼一番、視界に飛び込んできたのは怒った顔の関羽ちゃん。どうやら無理やり退けられたのが不満なようで、何度か尻尾で頬をぶたれた。油断したまま洗面所へ。次の試験監はソラらしい。


「……は?」


洗面台の前で、多分顔を洗おうと前かがみなソラ。そんな彼女は、その体制のまま寝息を立てていたのだ。


何もソラのえせナルコレプシーは今に始まった事ではない。ついついはしゃいだ次の日なんかは、よく朝方変な寝方をしているのは見たことがある。だが、旅行の二日目にこれを見たのは驚きだった。


も、さすがにここで寝かしておくわけにはいかない。寝ているソラになるべく触れないよう、肩を揺すって何度か呼ぶも、返ってくるのは変な寝言だけ。


「……もうしらね」


寝ているソラはそのままに、もうどうでもいいと放っておく。ささっと顔を洗い、瑞晴が起きる前に歯を磨く。


朝一番の日を浴びて、いよいよ瞑鬼の身体は目覚め出す。まだ時間は六時前。普段から早起きで慣らしただけあって、旅先でも体内時計は正確だった。


朝食は八時過ぎくらい。今日の予定は市内観光と、バスに乗っての森探索。英雄から貰ったしおりを確認して、瞑鬼は一杯の紅茶を淹れた。爽やかな空気に広がる、ちょっと渋い香り。備え付けのパックはなかなかいい味だ。


優雅な朝の一杯を終えたところで、何か手持ち無沙汰を感じた瞑鬼。まだこの時間じゃなんの店もやってないし、かと言って二度寝する気にもなれない。部屋を見渡す。布団に顔を突っ込んで、寝顔を見られまいと必死な瑞晴。洗面台で寝腐るソラ。適当に部屋の中をうろつく関羽。


日課をこなさなければならない。そんな無駄な意識が瞑鬼の中に芽生えてしまった。選ばれたのは関羽。


「トレーニング、行くか?」


その瞑鬼の質問に、関羽はあっさり首を振った。やはりこっちも運動がしたかったらしい。


幸いなことに、瞑鬼の寝巻きは天道高校の体操服。動きやすいし、洗ってもすぐ乾く。履いていた靴の紐をきつく締め、小銭と携帯だけをポケットに。


こうも早朝だと、部屋を出る人はいないだろう。ドレスコードを少し無視して、瞑鬼はそのまま外に出た。


東から上がった太陽が街を照らし、澄んだ空気を風が運ぶ。ほんのり冷えて湿気った空気。運動するには最適だ。


ホテルから少し離れて、軽く準備運動を。程よく血行が促進されたら、足を伸ばして走り出す。この二ヶ月ほど欠かさず続けてきた、瞑鬼の日課である。


少し霞みがかった朝の街。向こう側の山が白銀に包まれて、雄大な虚像を映し出していた。息をするたび肺が新鮮な空気で満たされて、なんだかどこまでも走っていける気がする。適当にコースを決め、向かった先は近くの公園だ。


そこにはもう何人か先客がいた。早朝の覇者、おじいちゃん。元気が取り柄なサラリーマンと思しき人。瞑鬼と同じように、超朝練をする高校生。犬の散歩をするおっさんも。すれ違い、軽く会釈を交わす。なんとも言えないこの高揚感。朝の、瞑鬼だけの楽しみ。


だいぶ息が上がってきたので、一先ず休憩をと公園の中へ。他の人たちも、ベンチに座ってひと段落する時間らしい。


自分のポカリと関羽のぶんの水を買い、空いてるベンチに腰掛ける。瞑鬼は肩で息をしていたが、関羽はまだまだ余裕そうだ。しなる広背筋に、有り余ったスタミナ。分けて欲しいと何度思っただろう。


「……すげぇな、関羽」


喉に液体を流し込みながら、膝にのっかかった猫を撫でる瞑鬼。この体重なのに、あの運動量。瞑鬼の理想とするアスリートは、最も身近にいるのだ。


ペットボトルの水を器用に傾けて飲みながら、やたら誇らしげな顔の関羽。だが今は何も文句を言えない。こと身体を動かすことにおいて、瞑鬼は関羽に勝ち目がないのだから。


しばらくそこで休憩し、時計を見て立ち上がる。もうそろそろ瑞晴が起きる時間。起きている間は、なるべく一緒に過ごしたい。


そう思って、最後の一口を飲もうとした瞬間だった。さっき一緒に走っていたおじいちゃんが、瞑鬼に声をかけてきた。


「若いのに朝から運動か?偉いなにいちゃん」


「……え、えぇ」


持病である人見知りを発動させて、何度か声を絞り出す瞑鬼。そう、これは朝から運動ジジイにはよくある傾向なのだ。


とにかく年寄りというのは、人との対話を求めている。まして朝から走るなんて元気なことをするジイさんじゃ、他人に声をかけるなんて日常茶飯事なのだ。商店街でも、幾度となく捕まったことはある。そして決まって、孫がどうたらの話を聞かされるのだ。


祖父たちと関わりがない瞑鬼には、老人を邪険に扱うなんて概念がなかった。そして中断して去ってゆく勇気もなかった。魔女相手に威勢を張れる男も、普段の生活ではただの一端の高校生にすぎない。


「ここいらじゃ見んし、旅行の人?」


「……あ、はい。修学旅行で」


「高校生くらいだよね?おーい!ピリカちゃーん!」


瞑鬼必死の帰りたいオーラを無視し、一人話を広げるおじいさん。どっかの誰かを呼びつけて、一人なにやら満足げな顔を。きっと、ここら辺じゃみんな知り合いなのだろう。交流を広げようとしているのだろう。逃げ道がいばらに侵食されてゆく感覚を、瞑鬼はゆっくり味わった。


じじいの声につられてやって来たのは、さっき瞑鬼がすれ違った高校生だった。フードを被っていたせいで分からなかったが、どうやら女子らしい。


「なんです?石田さん」


肩くらいまである真っ白な髪を弾ませて、じじいの隣にやって来た、ピリカと言う名の女子高生

。白い肌と色素の薄い瞳が、こいつは地元民だと告げていた。


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