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上書き勇者の異世界制覇  作者: 天地 創造
異世界制覇、始めました
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異世界制覇、やってみます。②


「…………っは!」


背中にバネでも仕込まれたかのように、瞑鬼は勢いよく飛び起きる。まだ頭は冴えていなく、視界もぼやけているが、それでもここがさっきまで自分が溺れていた川原だという事くらいはわかる。


沈みかけていた夕日は完全に闇に消え、土手にある街灯だけが瞑鬼を照らしていた。


「……どういう事だ……?」


さっきまで、確かに川で溺れていた。猫を助けるために飛び込んで、なんかかんやの二次災害だった。


しかし、現実には瞑鬼の身体は川原に打ち上げられている。見た所、めぼしい外傷も服が濡れた痕跡もない。


さっきのアレは夢だったのか。そんな考えが頭をよぎる。が、直後猫が生臭い舌で瞑鬼の手を舐めた。


周囲の状況を確認するため、坂を上り街並みを見渡す。転々としている家屋の灯に、町を這う電柱。いたって普通の光景が、瞑鬼の眼前に広がっていた。


「……隣町か」


瞑鬼はこの光景に見覚えがあった。数ヶ月前に短い家出をした時、夜まで過ごした町である。


という事は、溺れた後に流されて辿り着いた。こう考えるのが自然だろう。その証拠にどこにもカバンが見当たらない。時間はわからないが、夕方から夜になったくらいだから、最低でも二時間は寝ていたのだろう。それなら暑い夏。服が乾くのも納得である。


「……お前も災難だな」


擦り寄ってくる猫に話しかける。当然返事が返ってくるはずもなく、言葉は空気に溶けただけだ。


古今東西の物語を思い返すと、ここから猫の恩返しなんてのが始まるかもしれない。しかし、瞑鬼にとっては生で肉球を触れただけでも十分に恩返しだ。


喉を鳴らして甘い声を出す猫を抱き抱える。まだ少し湿っていたのは、毛が長すぎるせいだろう。野良から脱却したのだから、散髪くらいは主人である瞑鬼がする必要がある。


うっすらと灯の当たる土手を、猫と二人で歩く。足取りは重たい。まだ自分がすべきことを果たしていないのが原因だろう。


やはり、そうそう異世界になんて行けるわけがなかったのだ。望んだところで、その通りの結果が得られないのは、既にわかっていたはずなのに。


表面だけは猫のために笑っている瞑鬼だったが、その心のうちには一つの感情しか芽生えてなかった。腐敗した大地で、汚水によって育てられた、歪な心。それだけが、今の瞑鬼を支配していた。


「安心しろ。明日からは二人暮らしだぞ」


そう言った瞑鬼の顔は、夏の暑さのせいか歪んでいる。


川に飛び込んだ地点まで戻ってくる。見渡すと、しっかりとカバンは残っていた。荒らされた形跡もない。


自由に走り回りたがる猫を解放すると、そっと鞄の中を開ける。包丁も、その後の処理をするためのゴム手袋も無事なようだ。


手に残る重さを確認すると、瞑鬼は掛け声とともに鞄を持ち上げる。7時間分の教科書の重さは、高校生の肩を刺激するには十分である。


魚なんているはずのない川に入ろうとする猫を片手で持ち上げ、瞑鬼は帰路に着く。携帯電話で時間を確認。どうやら今は九時を少し回った時間らしい。普段なら一人で安心して風呂に浸かっている時間。


この時間になっていても、やはり家まで近道で帰ろうという気は起こらない。いつも通り、ゆっくりと時間をかけて大回りの道を辿ってしまう。


「……腹減ったな……」


腹の虫が、早く活力をよこせと言わんばかりに全力で瞑鬼に抗議を仕掛ける。街を歩く人が少なかったのが幸いだったと言えるだろう。


途中でコンビニにでもよって猫と自分の分の晩飯を買おうと財布を確認したが、残念なことに学生の身分で自分ともう一人を養おうというのが間違いだったらしい。


瞑鬼の財布に確認されたのは心許ない小銭が数枚だけ。その数、金額にして五百二十円。これでは、どちらか片方の分しか買えない上に、バイトもしていない瞑鬼では使い切ったが最後。またなんとかして貯めなければならない。


それでも尚催促してくる猫には、貧乏くさくも学校の水道水を贈呈。帰る前にいれておいたのが、変なところで功を奏した。


「……鳴くなよ。俺だって泣きたいさ」


家に帰れば、暖かい牛乳でも、腹一杯の魚でもご馳走できる。だから、今はこれで我慢してもらうしかなかった。


家に帰って、邪魔な二人を殺せば、それだけで瞑鬼と猫の二人だけの空間が出来上がる。後の処理は、マンションの奥から落としておけば、熟年夫婦が子供のことを言い合って事故死とでもなるだろう。


これまで決定的な証拠を掴ませなかったため、警察な動かずにいたが、流石に死ぬとなれば話は別。ありのままを全部話せば、罪が少しは軽くなるはずだ。


「何度も警察に突き出そうと思ったんだけどな」


帰り道にある交番を見るたびに、今日こそは今日こそはと思っていた。しかし、決定的な証拠というものが瞑鬼にはなかったのだ。


暴力の一つでも振るわれれば、それを持って一瞬で訴えていた。けれども、あの両親はそんな事はしなかった。一見すると、暴力までは振るわない分優しさがあるように見える。それこそが、瞑鬼が誰にも言えない理由だった。


近所でも、あの夫婦は子供のために頑張っている。あの人たちはいい人だ。そんな噂が拡まっていたから。


決して証拠は残さない。瞑鬼の物が瞑鬼の物である理由は、本人の主張しかない。子供のいう事と、近所でも評判の子煩悩夫婦。大人がどちらを信じるかなんて、どんなバカでもわかることだ。


あの二人は瞑鬼がいない時に瞑鬼の物を勝手に質に入れ、金にしていた。それも少しづつ。あたかもいらない物が家から出たように思わせるために。


子供の頃から貯めていた、お年玉や小遣いを全て貯金した通帳は、既になくなっている。大方、あの二人の旅行の積み立てにでも使われたのだろう。


もう、そんな事はどうでもいい。どうでもよかった。


父親を殺せば、保険金の受取人になっている瞑鬼に金が入る。そんなに多くないが、高校を卒業するまでなら、少しバイトをすれば十分に足りる金額である。それがあれば、母親と暮らす必要もない。仕送りだけでいい。いや、寧ろそれすらなくていい。


今はただ、一人になりたかったのだ。


ろくに街灯も付いていない街を歩く事一時間。


目に入ってきたのは、あの憎々しい二人が暮らしている家だ。現在明かりは付いていない。どうやら寝ているのは確実らしい。


寝ている間に心臓を一突き。それで全てが終わる。溟く腐っていたこの一年間の全てが。


覚悟を決めて猫を一なで。玄関の扉を開こうと、ドアノブに手をかける。


「あれ……?」


しかし、いつもなら瞑鬼が帰るまで開けっ放しのドアが、今日に限って鈍い音を出さない。鍵が閉められている。


「マジかよ……」


残念な事に、瞑鬼は自宅の鍵を持っていないのだ。新しい女が来た時に取られて以来、スペアキーなんて作られていない。だからいつも開いていたのに。


「……死ねよ」


誰にも聞こえないような声で、そっと呟く。心配そうに顔を見上げてくる猫の顔色なんて気にしている余裕は、今の瞑鬼にはない。


起こしてしまうが、こうなればインターホンを押すしかないだろう。まぁそんなに困る事はない。少し時間がずれるだけだ。


心の底から嫌悪感を醸し出しながら、右手を少し上にあるインターホンへと伸ばす。短いチャイムが二度なった。


起きる気配はない。二階にある寝室の電気は消えたままだ。


更にもう一度押す。念のためにもう一度。


すると、暫くして部屋に明かりが灯される。それから、ドンドンとやかましく階段を下る足音が二つ。どうやら二人揃ってお出迎えのようらしい。


「なんだ?こんな時間にどこのどいつだ!」


扉を開けて一番。おきまりの文句をたれてから、瞑鬼の父親である神前義鬼が顔を出す。


側から見るには整った顔。少し筋肉のついた身体。もう十七年ばかりの付き合いになるはずなのに、今の瞑鬼にはそれが酷く醜悪な汚物に見えた。


「えぇ〜。誰よぉ〜、面倒臭いわねぇ〜」


その背後から顔を出す女が一人。神前明美、旧姓小針明美。今の瞑鬼の母親である。


寝る時までつけたネイルアート。側から見れば美しい肢体から溢れ出る牝の香り。十分だ。十分過ぎる。


いざ顔を見れば、愛着でも湧いているかと思ったが、そんな事はなかった。さっき拾ったばかりの猫の方が、まだ信頼がある。


「なんで鍵閉めてたんだよ?」


目を合わせないように話す。今目を見てしまっては、全てが悟られそうだったから。


「はぁ?何言ってんだお前」


どうやら、義鬼に鍵を閉めた記憶はないらしい。すると、犯人はあの女となる。


「ちょっとぉ〜、誰よこいつ?よしくんの知り合いぃ〜?」


いつも通りに瞑鬼を汚物のような目で見る明美の口から放たれたのは、予想外の一言。


「あぁ?んだとクソババア?」


「はぁ?知らねぇよこんなガキ」


言葉を被せるように言ったのは、今にも拳を振り上げそうな義鬼だ。明らかに面倒くさいということが、言葉の節々から伝わってくる。


「お前まで……、っぜぇな」


もう言葉を交わす必要もないだろう。今日の分の親子のコミュニケーションは終了だ。


吐き捨てる様にそう言うと、玄関先でこちらの様子を眺めていた猫を抱え、家に入ろうとする。


「っなんなんだテメェ!どこのガキだ?あぁ!」


しかし、身体を割って入ろうとしたところで、義鬼の恫喝が瞑鬼の身体を地面に縫い付ける。


はっとして前を向くと、目の前には拳が迫っていた。


鈍い音とともに、瞑鬼の身体が吹っ飛ばされる。そしてそのまま、コンクリートに背中を打ち付けた。


殴られた鼻先が熱い熱を帯びている。何かが唇を伝うように垂れてきた。鼻血であると直感的にわかる。


「……っでぇな。何する……っ!」


言いかけた瞑鬼の腹部に再び衝撃が走る。何か細く鋭利なもので蹴られたような感覚。例えるなら、ハイヒールのような。


その場で声も出せずに悶絶する瞑鬼。幸いなことに、猫は一発目のパンチの時点で地面に上手く着地していた。


「強盗か?テメェ!」


まだ身体のあちこちから痛覚の知らせが飛んできているのにも関わらず、大声で叫ぶ義鬼。普段なら絶対にそんな声は出さない。虐待とでも言われたら面倒だから。それなのに。


なぜ今日に限って手を出したのか。しかも、瞑鬼は特に何もしていない。家のものを壊したわけでも、特段機嫌を損ねるようなことを言ってもいない。ただ普通に帰ってきて、普通に玄関の鍵を開けてもらっただけだ。


「ねぇよしくん。早くこいつぶっ殺しちゃってよぉ〜」


冴え渡る脳内に、又しても痛烈な言葉が一閃。一瞬、耳まで可笑しくなってしまったのかと思ってしまう。


殺す?そんな事をすれば、明日にでも警察行きだ。特に、仕事もしていない二人とは違い、瞑鬼は学生なのだ。いくら風邪をひいたと嘘をつき続けても、いつかはバレる日が来る。


しかも殺すなら今じゃない。今である必要がないのに。

そんな事なら、それこそ瞑鬼が殺しに来た時に逆に殺せばいい。そうすれば正当防衛も証明されるのに。


「な……んだ、テメェら……」


蹴り上げられたせいで、うまく肺が呼吸をしてくれない。もう少しずれていたら、見事に肋骨が折れていただろう。


なぜか分からない。元から分かりたくもなかった二人の行動だが、今の瞑鬼には想像すらつかない事を連続でやっているのだ。

理由を教えろ。なぜだ。タイミングが謎すぎる。


俺が帰る前に話し合いでもして、元から子供なんていなかった事にしたのか。そんな馬鹿な。近所には既に知れ渡っているんだ。今更なかった事になんて。

血流が回らない頭で考え事をしていた瞑鬼だったが、直後に義鬼が起こした行動により、より一層混乱が複雑怪奇になる。


義鬼は傘立てから傘を一本取り出すと、それを天に掲げたのだ。勿論、そんな行動をしているのは未だかつて一度もない。怪しい新興宗教にでもハマったのだろうか。


「……よ、……の…………を……に」


何やら呪文のようなものを唱えている。これはどうやら、本気で頭が可笑しくなってしまったらしい。

しかし、立ち上がって殴り返す力は残っていない。やっとの思いで膝をあげるのが精一杯だ。


「アタマ……可笑しく……なり……やがっ」


ゆっくりと地面の感触を確かめるように起き上がる。

全身が悲鳴をあげている。脳が休めと叫んでいる。


しかし、ここで寝ているわけにはいかない。証拠は手に入れた。今すぐにでも警察に行かなければ。

そう思った矢先、義鬼が呪詞を唱え終える。


「強欲のバルジフレイム!」


そう唱えた瞬間、天に掲げた傘の柄の部分から、野球ボールほどの火の玉が精製される。


轟々と成長するその炎の塊は、空気を取り込み一瞬で成長した。目視したそれの大きさは、大き目のバレーボールほど。


最低温度千度は下らないそれを、義鬼が躊躇いなしに投げつける。

正確には、傘の先をこちらに向けた。その後を追うように火の玉が勝手に動いたのだ。


「……っは?!」


目の前で起こった光景が理解できないまま、瞑鬼の首から肋骨にかけてが炎に包まれる。そのあまりの熱に、立っている事ができなくなった瞑鬼は、思わず地面へと倒れこんだ。


叫び声をあげることも叶わない。喉が焼けているのか、でてくるのは掠れたような音だけだ。

一瞬で通り過ぎるかと思われた炎の玉は、数秒間瞑鬼を侵食したかと思うと、空気へと消えてゆく。


「クソガキが。死ね」


冷たく言い放ち、明美が扉を閉める。もちろん、鍵をかけた音も聞こえた。

灼けている。自分の胸が。人間の肉が焦げる匂いなど嗅いだ事はないが、今漂っている匂いがその匂いなのだろうか。


叫びたいのに声が出ない。呼吸できないから出す空気がない。地獄のような苦しみは、その後五分ほど続いた。

火が消えても尚、瞑鬼の身体は無事なはずがない。胸の部分は大火傷。鼻血はまだ止まっちゃいない。


しかし、なんとか動くことはできた。死ぬほど辛い。これなら死んだほうがマシだと思えるくらい。

けれどこのまま警察へ行けば、殺人未遂で確実に刑務所へ運ぶことができる。おまけに自分は救急車で病院行きだ。こんな所にいるくらいなら、入院生活のほうが幾らかマシだろう。


鞄を持ち、猫を足元に。身体を引きずるように歩く。

目が霞む。足が笑う。とてもじゃないがマトモに歩けている気がしない。未だ血は流れっぱなしで、通った道には血痕が色濃く残っている。

呼吸をする。そのたびに、変なところからひゅうひゅうと鳴った。


「ミャア」


猫が行き先を示すように顔を向ける。見ると、数十メートル先に公園がある。どうやら、本能的に休める場所がわかるらしい。


なんとか公園まで歩き、ベンチに座った所でいよいよ倒れる。周りが木々に囲まれているので、朝のジョギングお爺ちゃんには見つからないだろう。ここなら身体を癒すのに事足りそうだ。


そう思った瞬間、とてつもない微睡みが瞑鬼を襲う。従ったら、おそらく全てを持っていかれる。そのまま起きることはない。


けれども、今の瞑鬼にその悪魔に逆らうだけの力は残っていない。ここに来るまでに、全部絞り尽くしたのだ。


目を閉じると、ゆっくりと意識が遠のいて行く。ほんのりと全身があったかい。天国へ行けるだろうか。


薄れゆく意識の中、瞑鬼の耳に届いたのは、寂しそうな猫の鳴き声だった。

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