鉛色のハッピーエンド
思い切り力を入れれば、瑞晴の細腕ごとき簡単に振り払えるだろう。ひょっとしたら、マーシュリー第二の魔法でも発動したのだろうか。危機的状況になり、洗脳の魔法が発現。シナリオとしては悪くない。
だが、瑞晴の顔はそんな瞑鬼の推察など無に帰すような、はっきりとしたものだった。じんわりあったかい手首から上ってくる。瑞晴は本気なのだと。
「……なに?」
だからと言って、瞑鬼に行動の理由がわかるはずもなく。できるのはただ、黙って次の手を待つことのみ。
しかし、あまり長くも待てなかった。今この瞬間にマーシュリーが土手っ腹をぶち抜いてくる可能性もあるし、「ばん」の一言で瞑鬼の頑張りが無駄になる。それなのに、瑞晴はじっとマーシュリーを見つめていた。まるで何かを待っているように。
どれくらい時間が経っただろうか。じわりと滲み出た汗が滴り落ち、地面に小さな影が落ちる頃。それまでずっと目を抑えて蹲っていたマーシュリーが、ぽつりと言葉を漏らす。
「……なんのつもりですの?」
消え入るような小さな声で、フランス訛りの英語を話す。その場にいる全員がそれを聞いた。そして、答えはのは瑞晴だ。
「……なんで、私を殺さなかったの?」
「…………別に。深い理由なんて……」
「……そう」
なんの確認だか分からないが、どうやらそれは瑞晴とっちゃ意味があったことらしい。ごめんねと瞑鬼に謝って、掴んでいた左手を離す。わけがわからないまま、事の成り行きを見守っていた瞑鬼。その顔は不思議を体現していた。
女の子たちのところに戻る。その間に、マーシュリーは何もしなかった。魔法回路を開くことすら。だから違和感を覚えた。一体何が起こっているのか、と。瞑鬼の知らない何かを、瑞晴が感じているのでは、と。
確かにマーシュリーは、絶好の狩のチャンスがあったにも関わらず瑞晴にとどめを刺さなかった。生爪を剥がしたのは予想外だろうが、その前にもいくらでもやりようはあったはずだ。
深淵の底、埋没した奈落の向こう側から、瑞晴は希望を拾い上げようとしていた。それは本当に可能性の低いもので、とてもじゃないが常人なら捨て置くような。
「……早くしなさい?わたくしなら、この程度あと五分で治りますわよ?」
抵抗する気も失せたのか、もう完全にまな板の上の鯉状態なマーシュリー。瞑鬼とて、これ以上戦えない相手を生かしておく道理はない。なにせ彼女には一度、本気で殺されかけているのだから。
「……ほら。今も」
「…………あなた、何を言ってーー」
「だって、他の人なら言わないでしょ?多分。治るまで会話で時間稼ぐのが普通じゃないの?」
顎に手を当て、どこぞの名探偵よろしく頭を推理に。もう瑞晴の脳内に、痛みを気にしている隙間はない。
彼女の発言に、マーシュリーと瞑鬼がはっとする。真意はわからない。そして瑞晴も、確信を持っているわけではない。だが、確かに感じたのだ。そして考える。これが、最善の策ではないだろうかと。
「……アヴリル、ソラちゃん。三人が魔女に疑問を持ったのって、いつくらいから?」
すぐそこで魔女が刻一刻と回復に努めているというのに、瑞晴は呑気な質問を。それが妙に落ち着いていて、意図が読めない瞑鬼。かと言ってマーシュリーにとどめをさすわけにもいかず。
太陽が照らす。瞑鬼を。マーシュリーを。そして瑞晴を。幸いにも人通りが少ない道なだけあって、これだけ騒いだのに野次馬の一人も来ていない。本当に、静かな時間だった。
よくわからないことを訊ねられたアヴリルとソラ。二人して顔を見合わして、そして一度小さく頷きあう。
「……五年くらい前ですわ。村にカイトって男の子が来て、それで外の話を聞いた時から」
「……でも、彼ももう……」
その事は聞いていた。ソラと二人で、海の時に話したあれ。そんなことを聞いて、一体瑞晴は何を確認したのだろう。
結構長いこと一緒にいて、おまけに家で住み込みまでして。彼女のことを分かったつもりでいた。少しばかり推理オタクで、たまに頑固で。そんな、普通の女子高生だと。
だがやはり世界は瞑鬼に厳しいらしい。彼が思う誰かの一面は、本当に一面でしかなかった。これが桜瑞晴の本質。例え敵であろうと、何かを感じれば一概に敵と見做さない。
血が騒ぐ。もう少しで結論にたどり着けると。だから知恵を振り絞る。昔映画で見たホームズのように。華麗に宝を盗むルパンのように。バラバラなはずのピースを繋げて、紬合わせるはネックレス。手芸は得意。だから、いける。
「……何を考えているのか知りませんけど、本当に愚かですわね。鬱陶しくて、お昼が出ちゃいそう」
考えが読めない瑞晴の態度が神経に触れたのか、それとも単に痺れを切らしたのか。魔法回路を展開し、見えない目でマーシュリーは幕を下ろしにかかる。
ゆらりと立ち上がるマーシュリーの姿を端目に確認し、瞑鬼も回路を開いた。漆黒の粒子が互いを牽制するように、ちりちりと解き放たれる。
けれど、それでも瑞晴はやめなかった。戦闘に役立てない自分ができるのは、おおよそこれくらいだほうから。父と母から貰った、唯一の特技。これに関しては、誰にも譲れない。
「……魔女ってさ、アレだよね。どっかから人連れてくるんだよね?そのカイトって子連れて来たのは?」
「…………わたくしですわ。それが何か?」
瞑鬼とマーシュリーが睨み合う。もうほとんど彼女の目は治っていた。対する瞑鬼の右腕は、ユーリがいないと動きそうにない。状況は一転。地の底へ。
瑞晴を信じた瞑鬼が馬鹿だった?それとも、この状況で推理ごっこをした瑞晴が?戦犯が誰にあるにしろ、とにかく今は目の前の魔女を殺すのが先決だ。
そう考えたからこそ、瞑鬼も魔法を使おうとした。もう一度爆炎魔法で、今度は心臓を焼く。
【改上】で新品の身体が手に入る保証付な瞑鬼だからこそできる、真の捨て身策。
お互いが出方を予想していた。右か左か。ゆらりと体を傾ける。まずは使えぬ右手を大振りに。フラッシュボムをぶちかますーー
「ねぇ、マーシュリー。あなた本当は、人を殺したくないんじゃない?」
「…………は?」
も、瞑鬼の身体は動作の途中で止まっていた。それはマーシュリーも同様なようで、繰り出そうとした右拳の魔力を宙に放っている。
今度は違う。瑞晴の目には、確かな確信が宿っていた。まるでキラの足跡を掴んだLのように。
「……私の予想だけど。一番始め、魔女の儀式に疑問を持ったのは、あなたなんじゃない?だからソラちゃんたち子供たちを、わざとそっちの考えにやったって……」
「…………面白い推理ですわね、お若い名探偵さん。だったら聞かせてもらいましょうか?」
「……理由はわかんないけど、あなたは人を殺したくなくなった。それをカイトくんに吹き込んで、ソラちゃんたちもそうした。多分、逃したのもわざと。小型のボートでも作って置いといたってところ。んで、不思議なのはこっちに来てから。瞑鬼くんも殺せたはずなのに」
「…………瑞晴、すごい」
「この三日間も、別に待つ必要無かったでしょ?でもやらなきゃならないから、できるだけ先延ばしにした。私たちのところに来たのも、他の人だと私たちごと殺すから。……ってのが私の推理なんだけど、違う?」
辻褄もあってる。大体動機も理解できる。刑事になれよと言いたくなるくらい、瑞晴の推理は綺麗だった。それも、かなり人情点込みで。
瑞晴は信じている。どの種族も、多分垣根を超えれるんじゃないかと。そりゃ全部は無理だろう。
人が猿と分かり合えないように、魔女も人と分かり合えない。だが、生物というのは得てして例外が出てくる。その一部だけとなら、なんとか上手くやっていけるのではないか。
幼稚園の頃、帰り道で和晴が言っていた。「私なら、空も海も陸も、全部友達になれるよ」と。だからそれに習う。瑞晴が信じる、瑞晴を信じた人を。
暫く黙っていたマーシュリーだが、やがて何か思うところがあったらしい。ふっと魔法回路を閉じ、瞑鬼を素通りして瑞晴の元へ。止められなかった。彼女の顔があまりにも、優しい母のそれだったから。
「…………若干不安点がありますが、まぁ、及第点ですわね。……というか、本当にそれだけですの?」
眼前に向かい合う瑞晴とマーシュリー。手を伸ばせば届く距離。もしマーシュリーがルドルフと同じなら、いつでもアヴリル含め瑞晴たちを狩れる範囲内だ。けれど瑞晴は動かない。どしっと大地に根を張って、怖気付く様子もなく魔女と対峙している。
「…………まぁ、最大の理由は、うん。私が今、こうして立ってれること」
言葉に弾を込め、見えない武器で射出する。こうも無条件に自分を信じられれば、いくらマーシュリーと言え心に罪悪感を抱くはずだ。いや、抱いてくれ。そう願わずにはいられない。
蝉がなく。通りから聞こえるバイクの音が、妙にうるさかった。ここだけ時間の流れから切り離されたような、何か変な感覚。それが瞑鬼を、フレッシュを支配していた。
自分の言いたいことを全てぶちまけた瑞晴に、後悔の念はない。これでダメなら、もうどうしようもないのだから。生爪の分は許す。だから、どうか。
確かに瑞晴の意見は的を得ている。魔女と正面から向き合って、向こうはいつでも殺せるはずなのに。フィーラの時を思い出す。もう、後悔はしたくない。
身体の中の魔力が、熱を冷ますため一旦外に出る。それでも二人に変化はない。ソラも千紗も、瑞晴たちの動向が気になって汗を拭くどころじゃ無かった。
そうして瞑鬼が手持ち無沙汰な時間を過ごしていると、ふと、本当にふと、マーシュリーが呟いた。目下にいる瑞晴だけに聞こえるように。
「……なかなかの名推理をありがとう、ですわ」
そう言ったマーシュリーの顔は、やはり会った時と変わらず美しくて。それでいて真っ白で。悔しいが、瑞晴ではどう足掻いても勝てそうにない。容姿もスタイルも、全てにおいて向こうが上だ。
そんなマーシュリーが、ふっと瑞晴の頭を抱いた。自分の胸に押しつけるように。愛しい我が子を、あやすように。誰もそれに反応できなかった。というか、反応する必要がなかった。なにせ彼女は、もう魔法回路を閉じていたのだから。
「……あなたの魔法、多分、一番優しいやつだよ」
回された手に警戒などみじんも抱く事なく、瑞晴もマーシュリーの背中に手を。このクソ暑い中ドレスと抱き合うのはなかなか蒸しかえるだろうが、そんなのは御構い無しだ。
それから瑞晴は続けた。あなたの魔法は、人を殺さないために特化していると。瞑鬼も気づいていたが、マーシュリーの魔法は基本何発受けても死ぬことはない。ただそれ以上の尋常ならざる痛みがあるだけで、精神さえ強ければ後遺症すら残らないのだ。
そしてマーシュリーの使い方。幻覚を見せてから殴れば一方的なのに、瑞晴たちには全く使っていなかった。
だからだろうか。瑞晴がそう思ったのは。彼女はこちら側なのだと。それだけじゃない。瑞晴の頭の中では、瞑鬼が思っている以上に大量の情報が回っているらしい。
瞑鬼が来るまでに何があったのか。そのことを知る由は無いが、みんなが生きているならどうでもいい。例え、昔の敵が仲間と抱きしめ合っていたとしても。
「…………感謝の言葉も出ませんわ。小さなホームズ。あなたのおかげで、したく無いことしなくて良さそうですもの」
瑞晴のほっぺにキスをして、柔らかな笑みを。だから照れた。瑞晴も顔を赤くして。
ひょっとしたら、これが瞑鬼の求めていた光景なのだろうか。ついさっきまで殺し合いをしていた奴が、今は笑顔で語り合う。日常とは違う、日常系というジャンル。
この先に何か不安もあるかもしれない。異種族間では受け入れられないことも多いだろう。だけど、瞑鬼は信じていた。信じたかった。可能性というやつを。
「……ここから先は、私じゃなくて、ね?」
マーシュリーの手を離して、ソラたちの方を向く瑞晴。そう。次に何かをするのはソラたちの番。
彼女たちにとって、大人の魔女は間違いなく宿敵で天敵で恨むべき相手。だからどんな選択でも受け入れる。高校生二人も、三十路過ぎのお姉さんも、その覚悟はできていた。
怖いのは瞑鬼だって一緒だ。自分を嫌っているであろう娘に、自分の命運を託す。そんなの普通じゃできない。よほど子供を愛してない限り。
だから、マーシュリーはあっさり受け入れた。その選択を。アヴリルが選んだ、彼女だけの未来を。
「…………ほんとはずっと、こうしたかったんですの」
柔らかい。初めてだった。ずっとこうしたかった。初めてみんなと違うと思った、あの時から。
歪んで、捻れて、不器用で。だけど叶った。たった一人の異端児が望んでいた、夢の結末が。ふと気が緩む。すると、マーシュリーの頬を一行の涙が伝っていた。娘の前だから恥ずかしい。でも隠さない。
手に伝わる、娘の暖かさ。自分譲りのナイスバディが震えている。慈母のように、菩薩のように。彼女はそれを抱きとめた。もう離したくないとさえ。
「……こんな私を、許してくれますの?」
「……Je t’aime de tout mon coeur.Marshully.」
何を言ったのかわからない。ただ、ジュテームとは聞こえた。それだけで十分だ。瞑鬼も瑞晴もソラも、そして千紗も。この愛の戦いの終幕に、それぞれ納得をもっていた。
帰ったら何をしよう。まずは陽一郎を始めとしたハーモニーメンバーをどう説得するか。いや、一番始めに一番手強い夜一が先だろうか。
英雄をどうする?そうだ、ソラたちの事も話さなくては。幸せ回路を開きつつ、瞑鬼は現実も同時進行で考える。だが、今はそんな無粋なことはしたくなかった。ただ、この美しい親子を見守っていたかった。
マーシュリーの胸にアヴリルが。アヴリルの背中にマーシュリーの手が。誰も予想だにし得なかった、奇跡の幕引き。それは瑞晴のおかげでもあり、アヴリルの勇気でもあり、瞑鬼の慈悲でもある。そんな、普通なら絡まないものたち。それが上手く綴られて、一つの本にまとめられた。
「…………どうやって説得しようか?神前くん」
そんな事とっくに思いついてるだろうに、少し今日の瑞晴は意地悪だった。くすくすと笑って、そして瞑鬼の隣に。熱が伝わってくる。あるいは、鼓動さえも。
そうだな。少しだけ悩むふりをして、瞑鬼は空を見上げた。雲ひとつない、晴天の下。木枯らしが過ぎ去って、セミの声が耳につく。
取り敢えずは、帰ってから考えよう。この気分を壊したくない。けど一刻も早く届けたい。あそこで一人待っているフィーラに、これを。怒るだろうか。無口だった彼女の、膨れた頬。それを見るのもありかもしれない。
「……たくさん話したいこと、ありますのよ?」
「…………いくらでも聞きますわよ。でも、夜が来たらちゃんと布団に入ること。そうしたら、寝るまで、いくらでも」
「……はーけんだっつ、食べたいですの」
「…………食べ過ぎはダメですわよ?お腹壊しちゃうから」
親子水入らずの時間を邪魔するのも無粋というもの。瞑鬼含めたフレッシュメンバーは、付かず離れずの位置をキープ。肉が焼けるのではないかと思うほど熱いコンクリに身を預け、暫しの平穏を。
魔女は体のつくりが違うのか、ソラの代謝はやけに悪い。そんな彼女でも暑いのか、服をパタパタさせていた。ちらちらとブラが目に入る。瑞晴セレクトの、ちょい控えめなフロントホック。ついついソラと目があった。海でのことが蘇る。
さっと目をそらし、こほんと一つ咳払い。その様子をどこか訝しげに見つめていた千紗だが、どうやら思春期真っ盛りな女子の推理力は高いようで。二人の態度から、何があったのかを大体察することができた。
だが鈍い瑞晴には教えない。こんな楽しそうなこと、教える方がどうかしているだろうから。
「…………陽一郎さん、許してくれるかな?」
「……分かんないけど、まぁ、ダメならダメで、また別の方法ってことで」
「……今は、この雰囲気壊したくないです」
三人揃って夢を見る。幸せな未来の夢を。
マーシュリーが仲間になったらまず何が起きるだろうか。桜青果店にやたら美人が来た。あいつのとこばかりずるい。金髪美女をバイトに是非。きっと近所の人気者になること間違いなし。
家事の腕前は?おっさんの欲情が刺激される可能性がある。だったらいっそ、魔女たちだけで店を開いてはどうだろう。浮かんでくるのは、幸せなアフターストーリー。もうこれだけでいい。お腹いっぱいだ。
早く帰ろう。そう瑞晴に言った。