お姫様の帰還
瞑鬼のいないフレッシュサイドの話は、ひょっとしたら初めてかもしれませんね。
車のスピードも、法律なんてのも。全てが今の夜一にはもどかしい足枷だった。こんなものが無ければ、メーターをぶっちぎってあのロッジに頭から突っ込んで行けるのに。
だが、夜一がそれをしないのは、うだうだ並べる枷があるからじゃない。ただ単に、自分の実力が足りてないと分かっているからである。
ぎりぎりと歯を鳴らす。何にもならないと分かっているのに、拳を握るのをやめられない。余裕のない夜一の様子を見てか、信号待ちだった陽一郎が、らしくもなく気を遣う。
「…………いらいらしてる暇あんなら、そこらへんの茂みでも見といた方がよっぽど特だ」
不器用ながらに、陽一郎もこの状況を芳しく思ってない。ましてあの三人の秘密を知ってしまった以上、もう他人だからでは済まされないのだ。
信号が変わる。列が動く。陽ももうだいぶ沈んだ。エンジンの音がいやに耳につく。体は辛くないが、何より心が辛かった。
「…………晩飯なんすかね」
「さぁ……。でも冷蔵庫見る限りじゃ、肉はあったぞ」
「そりゃ楽しみっすわ」
部活の合宿のような雰囲気を漂わせ、二人は周囲に目を配る。そこらへんに女の子が落ちている確率など、ないと言えるほどに低い。が、そんな砂つぶ程度の確率にもかけたくなるくらい、状況は緊迫していた。
虚ろに車窓を眺めていた夜一の目が、ふと一瞬ある一点に留められる。そこには一人の金髪がいた。
こんな日本の田舎町で、あの綺麗な金色の髪。筋肉で人を見分けられる夜一だからこそできる、体格での識別。そして極め付けは、昨日千紗があげた服を着ていたことだ。
「……いたっ!」
アヴリルの姿を目に止めるや否や、夜一の身体は既に動いていた。走行中の車のドアを開け、スタントマンもびっくりな飛び降りを。
「はぁっ!おい夜一っ!!」
陽一郎が車内から呼び止めるも、もう夜一は車の外に。そして後続がいる以上、陽一郎も長くは止まれない。少なくともパーキングは、このさき行ったコンビニだけだ。
土埃のついた身体を払いながら、夜一は魔法回路を展開。足に力を込め、絶叫する筋肉たちを酷使する。
すぐその先で、ゆらゆらと揺れる黄金色。なぜ一人なのかとか、他のやつはどこだとか。疑問も浮かんだが、そんなのは夜一の頭からはすぐに消え去る。
「そこのお前っ!!」
珍しく大声をあげて、前を行く女の子の背中を撃ち抜く。一瞬びくんと肩が上がる。だが、日本語では反応なし。どうやら間違い無いようだ。
「……遅かったな、アヴリル」
弾む息を抑えながら、少女の背中に語りかける夜一。振り向いたその顔は、紛れもなくあのフランス魔女っ子だった。せっかくの綺麗な顔に泥をつけ、足なんて擦り傷だらけだ。
夜一を見た瞬間、少女の目に涙がたまる。そして次の瞬間には、胸めがけて飛び込んでいた。
「……夜一さん!瞑鬼さんも……、ソラも……!」
まるで涙を押し殺すかのような、くぐもって聞き取りにくい声。だが、言いたいことは伝わった。
年下の扱いには一層不得手な夜一だが、ここ数日で実はこっそり学んだりしていた。夜一の胸で泣きじゃくるアヴリルの頭に、そっと手を乗せぽんぽんと。本ではこれが一番効果的らしい。前に千紗に試したら、全力で距離された過去もあるが。
「……落ち着け。大体事の顛末は予想してるからな。続きは後からでいい」
普段は大人びた雰囲気なアヴリルが、本気で泣いている。其れ相応の理由があるのだろう。それに突っ込むほど、夜一は野暮では無い。
アヴリルがやっとの事で落ち着きを取り戻したのは、車をコンビニに留めた陽一郎が戻ってきた頃だった。公園に移動していた二人を探したらしく、少しばかり御機嫌斜め。だが、丁寧にジュースを買ってくれていた。
適当にベンチに腰掛け、しばし糖分補給タイム。ごくごくと飲み干すと、目を赤くしたアヴリルが口を開く。
「……その、えっと、まずどこから……」
「……瞑鬼とソラは?わかる範囲で構わん」
あえて一番初めに一番聞きにくいのを訊ねることによって、最後らへんの負担を減らそうという、気が利かないなりの心遣い。大体の予想はついているが、それでも当事者から聞くの聞かないのでは大きな違いがある。
「……二人は、多分無事じゃないです。少なくとも瞑鬼さんは。ソラはカラがでてきて、でも私最後まで見てないし……」
いつものこれでもかという丁寧語は何処へやら。今のアヴリルの英語は辿々しいのも良いところだ。これなら、まだ夜一の方がうまく喋れるほどに。
アヴリルが話すのを待ち、時たま夜一が質問を。そんなのを何回か続けていると、ようやく話の全容が見えてくる。
曰く、まず場所は確定。瞑鬼の言っていた別荘で間違いない。そして第二の、交渉は不可能という点。最初からそんなの期待してなかった夜一だが、はっきり無理とわかると流石にイラつく気持ちがある。
事の概要を話し終えると、アヴリルは些か疲れてしまったようで。帰りの車ではぐーすか寝息を立てていた。荷台に乗せられた夜一。どこにいるかもわからない瞑鬼に向けて、吐くように一言。
「…………ったく、どこでのんびり死んでんだよ」
がたがたと振動に揺られ、腰を痛めつけられる事二十分。桜青果店の前に着いた時には、既にお迎えの準備はできていた。
エプロン姿の瑞晴が玄関から飛び出てきて、まずアヴリルに一ハグ。次に朋花が弾丸のごとく抱きついて、何やら胸に顔を埋めている。瞑鬼が見たら喜びそうな光景に、うやらましいかと心の声を。
結局その日の晩御飯は、瞑鬼とソラを抜いた五人で済まされた。終わってからも幾度となく瑞晴が電話をしてみるも、出る気配はなし。アヴリルの話曰く、少なくとも瞑鬼は死んだらしいから、まぁ出ないのも納得がいく。
「夜一帰んないの?」
おじいちゃんのとこから送られてきた果物。本職の技で綺麗に切り分けられたスイカを齧りながら、千紗が聞く。もう夜も更けてきたので、そろそろ帰らなければ怒られる時間帯だ。
だが、夜一は畳から立とうとしなかった。バイクで来ているのだから、今からなら全然間に合うのに。不思議に思って陽一郎の顔を見るも、なんの不自然もなく風呂の準備をしている。
「……英雄さんとの訓練が終わるまではな。それに、今帰って家が魔女に責められても困る」
夜一の実家は、普通に普通な一般家庭。両親も妹もいる夜一にとって、家を襲われるのは何よりも避けるべき事態なのだ。
だから夜一は帰らない。もう家にも陽一郎にも連絡済みな様で、気づけば道着の他に普段着まで持って来ている。
やっとアヴリルの登場です。前に出てきたのは何話前だろう。