また逢う日まで。
さぁ、いよいよカラ対マーシューリーの決戦です。
荒れ狂う空気の奔流に呑まれそうになったアヴリルが、風の中心となっているカラに手を。だが、それをカラは見なかった。
体重四十と少しのアヴリルの身体が浮く。そのまま爆流に弄ばれていると、気づいた時には宙を舞っていた。渓流の上を、対岸に向かって投げ飛ばされるように。ここから落ちたら死ぬだろう。そんな考えが頭をよぎる。
余計なことを考えていると、すぐそこに地面が迫っていた。反射的に魔法回路展開。全魔力を体から放出し、少しでも速度を落とす。
「いったぁ!」
土煙と悲鳴をあげて、アヴリルが対岸に着地。すぐに起き上がって向こう側を見る。
ぱらぱらと小石が落ちるくらいギリギリまで。まだ風が暴れ狂っている。向こうまで走って行こうかと考えたアヴリルだったが、すぐにこれがカラの作戦だと気づいた。アヴリルだけを吹っ飛ばし、彼女は自分が時間稼ぎする道を選んだのだ。
そして分かってしまったら、例えどんなバカでも戻れない。そんな事も織り込み済みで。一瞬だけ硬直するアヴリル。頭を切り替えて、ハーモニーに助けを求めるのが最善だと判断した。
「……置いてきぼりはイヤですわよ。お婆ちゃんになっても、お茶会の参加は絶対ですから」
たったそれだけを言い残し、アヴリルは森を駆け抜ける。些細な怪我など気にせずに。一秒でも早く帰れるように。
対岸からアヴリルの気配がなくなったことを確認して、カラは魔法を解除した。後に残されたのは、台風レベルの風で薙ぎ倒された大量の木と、焦るマーシュリー。何を考えているかわからないカラの二人。
「……くっ!」
長引かせて遠距離戦に持ってくと不利だと悟ったのか、マーシュリーが大地を蹴る。魔力で底上げされた筋力は、一歩で彼女を中学生の元まで彼女を運んだ。
右手に溜めていた大量の魔力。打ち込んだらカラが死ぬ可能性もあるが、打たないと自分が殺される。躊躇いもなく解放。だが、放出された魔力の塊は風により明後日の方向に。
一旦距離を取ろうと跳んだマーシュリーに押しもどすような追い風が。空中に浮いたまま、カラの掌底が脇腹をかすめ去る。
以前見た時よりも、カラは何段か上のレベルをいっていた。そしてマーシュリーはカラと相性が悪い。接近戦は風圧の壁で。遠距離の魔力爆散も風で。そして魔法は、
「ばんっ!ばんっ!」
「…………ふふん」
効き目がない。元から存在が幻のようなカラには、マーシュリーの痛覚具現化は作用しないのだ。それは七年経った今でも健在で、だからマーシュリーに勝ち目はなくて。
カラが手を挙げる。右手を起点として小さなスーパーセルが収束。一つの細い竜巻が。舞い上がった葉が触れただけで寸断される。マーシュリーが反射できたのは、ほぼ奇跡と言っていいだろう。
死んでも構わないくらいの勢いで振るわれた風の刀は、そこら一帯を綺麗さっぱり更地に変えた。
「これはチートですわね……」
二重人格で、魔法は強力。そして顔も身体も良し。どこのヒロインだよと突っ込みたくなるカラに対し、マーシュリーが抱くのは嫌悪感以外の何者でもない。
ずっと笑顔のカラを見るたびに、口から昼飯が逆流しそうになる。仲間思いな彼女の行動を見るたびに、ソラのうちに殺しとけばと後悔する。
だが、マーシュリーとて本物の魔女。同朋殺しはお手の物。一対一だけが勝負じゃないことを、この狡猾な女は知っている。
「……さて、追い詰めたネズミが実はジェリーだった感想はどう?トムも頑張ったけど、相性が悪かったわね」
カラは同じ魔女に対しても、同い年じゃなければ敵とみなす。村の女十二人。それがカラを収めるのに必要だった魔女の数である。
だからマーシュリーは連れてきた。いや、ついてきたと言った方が正しいだろう。その人無くして、この日本乗り込みは成立し得なかったのだから。
孤高の魔法使い、カラ・ミストリーチェ。風を操るその化け物に対応できるのは、あの村には五人のみ。賢婆とその側近二人。賢婆と同等の実力を持つ、齢七十五の老婆。そして、
「あら、まさかトム一人だけだとでも?イナズマを忘れてるわよ」
声と同時に、何閃かの筋がカラを襲う。とっさに風で防ごうとするも、細すぎるそれらは空気を切り裂き肌を切る。
声の主の正体。いちいち確認するまでもなかった。カラが世界で一番嫌いで、それでカラを世界で一番愛してる。たった二十そこらで親になった女の人。
劉明華。彼女が、対カラ対策として、今回の日本遠征の鍵を握っていた。魔法の相性も、白兵戦の実力も。どれをとっても、カラが敵う要素はない。
「…………なん年ぶりかしらね、カラ」
「七年と少しくらいです。あら?肌が少し荒れてますね。ケア……ではなくてお年のせいかな」
見えない言葉の攻防戦。明華が一歩詰めるたびに、カラは一歩崖壁へと近づいてゆく。ここまでいびつな親子関係を見たのは、魔女であるマーシュリーも初めてだ。
二人の魔力が宙を舞い、青色の空を漆黒に。息苦しいほどの緊張感を孕んだここら一帯から、魔女以外の生き物が消え失せる。
「ほらほら、さっさとしないとあの坊や、ルドルフにやられちゃうわよ」
「別に、人間なんて知ったこっちゃないですから」
あらそう。そう言った明華の身体が土を蹴る。息つく間もないとはこの事か。マーシュリーがそう思うほどに、二人の戦いは鮮烈だ。事前に仕掛けておいた糸が、至る所からカラを襲う。対するカラも風でスピードを底上げ。空気の刃で地をえぐる。
だが、その戦いは長くは続かない。もともとそれほど魔力が多いわけでもないソラの身体に、カラの魔法は負担が大きすぎるのだ。頭弾けて使えるのは精々一分が限度。超えたら超えた分だけ、ソラの魔法回路が悲鳴をあげる。
そして何より、カラは気になっていた。ついさっきまで聞こえていたはずの、どこか向こうからの銃声。それが止まっているということを。
段々と削られてゆく魔力。二対一では、幼いカラに勝ち目はない。
「…………あら、どうやらあっちは終わったっぽいわね」
戦いの途中にも関わらず、平然と手を止める明華。だが、そこに付け入るほどの隙は与えてくれなかった。だからカラも手を止める。
「あなたのあの……、クラキだっけ?死んじゃったようね。どう?今なら一緒に行けるんじゃないかな?」
「……クラキ……」
一度聞いたその名前に、カラの耳が反応する。頭の中の引き出しを開け、一段一段探しまくる。すると、意外な事にそいつは鍵付きの棚にいた。
ソラの方の、他人には見せたくない記憶。そんな所に、クラキという奴は載っているのである。何でだろう。アレはただの人じゃないの?
実際にカラは瞑鬼を殺した。間違いなく、腹を一突で失血死だったハズだ。だったらどうして、今更ルドルフに殺されているのか。
その疑問の答えは、頭の中のソラがくれた。何でも、彼は死から蘇る人種らしいのだ。カラの目に、空虚だったカラの目に、ほんの僅かの光が射した。消え入るように小さくて、本人でも気づかないくらい。
ルドルフがいなくて、瞑鬼がいる。そんなあってはならない状況を、況やカラがゆるすだろうか。
「……那個是我的獵物」
それに気づいたのは、少し出遅れた明華だった。あまりにも静かだったから。あまりにも無防備だったから。てっきり魔法回路を閉じたとばかり思っていた。
だが、カラの身体からは確かに漆黒の魔力が漏れていた。足だけに展開され、地面に潜るように。
嵐の前の一瞬の凪が、二人の魔女の神経を過敏に。耳を澄まし、血走った目で辺りを見渡す。しかし、分かったところでもう遅い。カラの仕込みは完了済み。
「再見」
やっぱ強いですね。えぇ。カラはこのくらいやってくれないと。はい。