お久しぶりね。
瞑鬼が死んだなか、彼女たちはどうやって窮地を切り抜けるのか。
魔法回路を閉じ、純白のドレスについた泥を払いながら訊ねる。その顔は、まさに普通の母親の見まごうくらいに、冷淡なものだった。まるで、子供にクリスマスプレゼントの要求でも聞くかのように、マーシュリーの目は真剣だ。
そしてソラも理解している。魔女の特性を。彼女たちは、あくまで子供のことを思って行動しているのだ。だから希望も聞くし、それに応えてくれるだろう。
最後の母からの愛情として。
「……そうですわね、できれば結婚式は洋装で。好きな人と何十年か暮らして、森の奥の一軒家で静かに息をひきとるのが理想ですの。孫たちに囲まれてたら最高ですわ」
どうせ聞き入れてもらえないだろうから、適当に返すアヴリル。村の子供たちを通して魔女とは違う思考に陥ってしまった彼女たちと、百パーセント魔女育ちの親の意見が合うはずがない。
ふぅん、と小さく返事。だが目は相変わらず笑ってない。
「……物事はいつでも目の前を。獲物の巣なんて探してても、日が暮れるだけですわよ?」
わかっていた。彼女がこう返すことを。こんな要求、まかり通せるはずがないと。
だからアヴリルも覚悟を決める。自分がここで死んだとしても、ソラだけは逃さなければならなかった。最悪アヴリルは記憶を渡せる。意思を伝えることができる。だから、今優先すべきなのはソラの逃走経路の確保。そのはずなのに。
「……だめ、です」
何を思ったのか、マーシュリーの眼前にに立ちはだかるソラ。魔法回路も開いてないし、とっとと逃げる様子でもない。ちゃんと何か作戦の上での行動なのだろうか。それとも感情だろうか。今はどっちでもいい。ただ、アヴリルはソラに逃げて欲しかった。
はぁ、と息をつくマーシュリー。ソラの本気の態度がうざったかったのか、やけに顔が苛ついている。それは一歩間違えれば、譲るべき対象であるソラを殺すのではないかと思うほどに。
殺気が溢れ、森の空気が重く二人にのしかかる。そんな極限状態だったからなのだろうか。アヴリルはソラの考えを理解できてしまっていた。
「……お退きなさいな?あなたに手を出すと、私が怒られるんですのよ?」
今回来た魔女の中で最高齢は、三十路過ぎのマーシューリーだ。だが、村の権力的にいくとそうではない。こちらで言うハーモニーに属している明華の命令が絶対なのだ。
見えない二人の攻防戦。視線だけで言葉を交わす。魔力で威嚇を続けるマーシューリーと、ただじっと前を見て頑として動かないソラ。段々と距離が近づいてゆく。
「……私から先にどうぞ。そしたら後はお好きなように」
「全く、態度といい言葉遣いと言い、つくづく明華には似てないですわね」
殺すわけにはいかない。だが、そうでもしないとソラは考えを変えない。その事をマーシューリーも理解していた。
魔力を右手に充填。グローブが黒く染まる。覚悟を決めるソラに、嘆息気味のマーシューリー。決着は早くについた。
気がつくと、ソラの身体は宙を待っていた。その事を知覚する間も無く、身体に衝撃が。右のほおと背中が痛い。自分が殴り飛ばされたと気づいたのは、少し後のこと。
ふらふらとした足で、大木を背に、ソラはゆっくりと立ち上がる。もうそこまで迫っていた。まるで酔いが限界まで回った親父のように、頭の中ががんがんする。
「……やってくれましたわね」
マーシューリーの眼前、そこに座り込んだアヴリルはなぜだか口元に笑みを浮かべそんなことを口走っていた。恐怖が優って頭がおかしくなったわけでも、母と二人きりになれたからでもない。
窮地に差し迫って不思議な顔をする我が娘を、酷く冷淡な目で見つめるマーシュリー。異変に気づいたのはその直後だ。
「在哪裡……、フィーラ」
森の奥から聞こえてくる、流暢な中国語。この世界でその言葉を使うのは、ごく限られた人間だけ。
木々の間を覆うように充満してゆく魔力。この粘っこい質感に、マーシューリーは思い当たる節があった。いつの事だったかは忘れたが、魔王軍が村に攻めて来た時だっただろう。
明華たち戦闘員と、その他の魔女たちが尽力しても防ぎきれなかったほどの侵略。あの時だった。初めて彼女が現れたのは。
ざりざりと土の上を歩く音が聞こえる。一歩歩けば恐れが募る。二歩歩けば気分が悪く。三歩も近づかれれば、顔を凝視できない。
魔女の中に眠る、悪意という名の本能。まさにそれを体現したかのような存在が、そこにはいた。仲間であるはずのアヴリルでさえ、少し以上に怯え顔だ。
「…………ソラの中、また少し空っぽになってる」
誰が聞いてるとも構わずに、カラはつぶやき続ける。亡き友に向けてか、もう一人の自分へでも語りかけているかのように。
「……好久不見、マーシューリー」
「……えぇ。こちらは会いたくなかったですけどね」
カラが出て来た事で、これまで余裕だったマーシューリーの顔からは焦りが生じていた。あの明華を凝縮したような小さな魔女っ子は、例え成人の魔女でも危険なのである。
ずっと眠っていたはずなのに、カラは状況を知っていた。アヴリルを見るなり、そっと近づいて手を握る。その次に目は対岸を向いていた。
「……カラ?」
迂闊に飛び込めないと知っているので、アヴリルはカラと会話できる。だが、それも長くは続かないだろう。瞑鬼のところに明華が行く可能性はない。間違いなくソラを狙いにくる。
カラが魔法回路を展開。マーシューリーが警戒レベルをあげる。
「……瞑鬼はどっち?」
「……さ、さっき逸れましたの。多分あちらに」
そう言って、アヴリルは瞑鬼が行った方であろう方向を指差した。カラの細っそりとした目がそちらを見る。
田舎育ちで森に通暁している魔女には、音や空気である程度遠くのことを把握できる。ただでさえ五感が過剰に研ぎ澄まされているカラのこと、それを知覚するのは不可能じゃない。
「……そう。じゃ、早く行かないと」
くすりとカラが笑う。かつて自分が殺したことを知ってなのか、その目はやけに興味津々だ。
魔法回路を開いた状態で手を振るう。瞬間、大気が揺らぐほどの衝撃が魔女三人を襲った。
カラが軽く手を薙ぐだけでそこら中の空気が震えだす。そしてそれはカラを中心に集まっていき、やがて一つの巨大なハリケーンが生成された。
「……っ!カラ!!」
ピンチの時、助けてくれるのはヒーローでも善人でもない。
ただ純粋な悪だけが、本当の窮地に現れるのだ。