逃亡少女
谷底ダイヴした瞑鬼。さて、それじゃあ少女たちはどうなったのか。
蝉と日差しが喧しいと言わんばかりの森の中を、二人の少女が欠けていた。よほど焦っているのだろう。青々と茂る葉が薄皮を裂き、脈打ったように狂い咲く木の根っこに躓いても、彼女たちの足は止まらなかった。
今朝のお天気お姉さん曰く、本日の最高気温は三十三度。まさに今がそれである。
「ソラ!大丈夫ですの!」
アヴリルが叫ぶ。ソラは少し足がもたついていた。しかし、それも無理がないこと。何せ、今さっきボスでありボディーガードでもあった瞑鬼と、二人は分断されたのだから。それも、瞑鬼の腕切断というおまけ付きで。
後ろから追ってきているはずのマーシュリーの気配はない。きっと気配を消す訓練で受けているのだろう。すなわち、今ソラたちに求められているのは一刻も早い下山だった。
街まで行けば、なくてもせめては神社まで行けば、誰かがいる。日本語が通じずともアヴリルの魔法で記憶を植え付ければ事は済む。だから二人は急いだ。いつまで続くかわからないその道を。
「……っ!大丈夫!多分……!」
いつもより気を張ったソラの声。繋がれていた瞑鬼の手は、とっさに置いてきてしまっていた。
瞑鬼には【改上】がある。部位欠損は元に戻る。そんなのは分かっている。だが、相手はあのルドルフだ。大蛇を出されたら死なずに骨を砕かれるかもしれない。他の生き物でも、殺さずに苦しませる事は容易だろう。
自分たちの判断の遅れ。それがこの結果を招いたことを、酷く後悔するソラ。まだ森の終わりは見えない。段々と、後ろから足音が迫ってくる。
「ばん」
そんな音が聞こえただろうか。魔法回路を開いていた。間違いなくここで出せる最高走力だったハズだ。それなのに、ソラたちは容易に追いつかれた。
マーシュリーの魔法、痛覚を幻覚で体験させると言うもの。何度か村で見たことがある。捕虜が来た時は、決まって拷問がマーシュリーの仕事だったから。実子であるアヴリルは、それに何度も立ち会っていた。
ソラが出張っていた根っこに躓く。その瞬間、背中に幾千もの衝撃が。焼けた何かで貫かれたような、鋭い衝撃だ。
「あっ!つっ!」
脳が伝えるメーターを振り切るくらいの衝撃に、思わず金切り声のソラ。先をいったアヴリルが振り返る。そこには、背中に幾本もの針を刺されたソラがいた。
何千度もありそうな、真っ赤に熟したそれらは、じゅうじゅうとソラの肉を焼いている。最悪なことに、焦げた匂いまで漂ってきた。マーシュリーの幻覚だとは分かっていても、どうしても身体が強張るのを避けれない。
「ソラっっ!」
魔法回路を全開で、綺麗な顔に強烈なビンタ。一瞬虚ろな目をしていたソラも、ようやくハイライトが戻る。
マーシュリーの魔法にだって弱点はある。それなりのダメージを本人が負えば、自動解除される仕組みなのだ。直接言われた事はないが、幻覚という特性を考えれば当たり前のことだ。
こっちに戻ってきたソラと一緒にスタンドアップ。だが、時は既に遅し。辺りはマーシュリーの気配で満ちている。
「あらあら、転んでしまったの?」
せっかく生えている雑草たちを踏み倒し、おしゃれなドレスで登場したマーシュリー。いつものハットも健在で、漆黒の粒子が彼女を包み込んでいた。
目の前の状況、おそらくは最悪と言えるだろう。戦闘要員でないとは言え、夜一も瞑鬼もいない今、二人に勝ち目はない。
「……変わってないですわね。お母さま」
「そうかしら?でも、歳を重ねるごとに確かに変化は少なくなるかも。刺激が足りないんですのよ。刺激が」
だったら、これはあんたにとっては刺激なのか。アヴリルはそう聞きたい。子供を作って、その子が理想と異なったら処分する。それが魔女の習性だということは理解している。だが、アヴリルたちは異端者だ。他の魔女とは考えの根本が違う。
二人してマーシュリーを睨む。まだ幼い魔法回路が無理やり開かれて、神経を圧迫。少しだけ痛い。
マーシュリーの腕には、金属製のプロテクターがはめられていた。拳の部分が出っ張って、軽い刃のようになっている。ナックルと言うのだろう。
清楚な服装に似合わない凶悪な武器をぶらつかせ、マーシュリーは距離を詰める。直ぐそこには崖が迫っていた。逃げ道は無し。懐柔もなし。生き延びる術は、限りなく零に近い。
魔法回路が拡大し、三人の身体から漆黒の粒子が溢れだす。森の中は異常なくらいに静かだった。もう瞑鬼は逃げ切れただろうか。追っ手はルドルフ、探知能力ならまず勝てない。
ぽきぽきと腕を鳴らしながら、余裕顔のマーシュリー。二人が逃げ切れるとは夢にも思ってない様子。
「……アヴリル、いくよ」
ソラがアヴリルの手を握る。だが、魔法は使えないはずだ。ソラの魔法は両手を塞いで初めて効果が表れるもの。一人減ったら使えない。
だが、それはあくまでマーシュリーが知るソラだった。ここまでの逃亡劇、まさか成長もなしには乗り越えられない。
「わかってますわ!」
アヴリルが魔法回路を開く。その瞬間、ソラたちの姿が空気に溶けた。
あるはずの無い光景を目の前に、瞬間的に困惑のマーシュリー。だが一瞬で疑念を振り払いすぐさま戦闘モードに移行する。
全開で魔法回路をかっ開き、魔力を腕に集中。すると、集められた漆黒の粒子は吸い込まれるようにグローブの中へと消えていった。大きく拳を振るうマーシュリー。込められた魔力が一気に爆散し、周囲の木々をなぎ倒す。当然、ソラたちにも衝撃は追いついた。
「まあまぁ、子供の成長は恐ろしいですわね」
「……大人の隠し事はズルいですわ」
マーシュリーの腕にはめられたもの。それは魔力を吸収し、内部に蓄積する特殊鉱石で作られたナックルだった。高度は金剛以下だが、耐熱性は高い。
「…………参りましたわね……」
普段はなんでもやればできるやん、という考えのアヴリルも、さすがに今度ばかりは根をあげかけていた。ソラのこの魔法、自分で拳を閉じて、少しの間消える魔法は一日一回限定なのだ。
誰も知らないはずの、渾身の策すら通用しない。隔てられた完膚なきまでの力の差という奴に、二人は戦意喪失モードに。黙っていたら殺されるが、黙ってなかったらもっと惨たらしく殺される。それをわかっての行動だった。
「さてと……。ソラちゃんは明華ちゃんにとっておくとして……。そうですわね。アヴリル、あなたどんな感じが理想ですの?」
迫り来るは絶望。その先に未来がないと知っていても、少女たちは立ち向かう。ってね。