二つの地獄
素人が撃った弾なら、案外簡単に避けれそう。魔女なら。
「………………」
「マジなんか怠いっすわ。別に私は目的果たしてるし、後は帰っていいっすかねぇー?あー、でも、ソラ連れてったら明華さんから金もらえるか……」
戦いの途中だというのに、心底だるそうな表情のルドルフ。彼女だけはこの国に来た目的を果たしている。それなのに後の二人に付き合わされているだけなのだから、確かにやる気がないのも頷けた。
だが、だからと言ってむざむざ瞑鬼が放って置かれるかと言えば、そうでもない。ルドルフはきっと、瞑鬼を殺してからアヴリル達の元へ向かうのだろう。一応はフレッシュのリーダーとして、それだけは避けなければならないのだ。
踵を返すルドルフ。戦場で敵に背を見せる、その愚かさが誰よりもわかっているはずなのに、彼女はそうしていた。瞑鬼の腐ったプライドが害われる。
「っ!行かせねぇよ!!」
猛りながら宙を蹴る。距離を詰めた瞬間、待っていたかのようにルドルフが振り返った。その手に握られていたのは、一本の果物ナイフ。刺せば筋肉程度なら貫通するくらいの、安っぽいもの。
警戒していただけあって、瞑鬼はそれを避けることができた。身体を低くし、懐に飛び込む。第三の魔法を展開、ドリアンの匂いが周囲に撒き散らされる。
「うわっ!」
俊敏な猫のような反応をして、遥か後方まで飛び下がるルドルフ。彼女達が受けたのは、あくまで痛みや精神的苦痛に対する訓練だけ。だから、瞑鬼の魔法のような、匂いで攻撃されるのは慣れてなかった。
匂いで人を殺せないとは言え、怯ませるのには充分すぎる。ルドルフが着地した瞬間に、瞑鬼の銃が火を吹いた。それはルドルフの持っていたナイフを突き折って、肩にまでめり込まれる。
「…………くっそ」
だが、ダメージを受けたのは瞑鬼の方だった。足元から気を離した隙に、蛇がアキレス腱を噛んだのである。毒はないが、激しい痛みが瞑鬼を襲う。片腕がないのも相待って、瞑鬼の脳内には警告アラートが鳴りっぱなしだ。
あはっ、と喉を鳴らして破顔うルドルフ。だらだら流れ出る血が、次々と爬虫類へと変わってゆく。傷口に入った弾丸も、ヤモリとなって体外に。二人のどす黒い魔力が、森の木々を曇らせる。
状況が長引くに連れ、瞑鬼の顔からは余裕がなくなっていた。見ていて痛々しいほどに。辞めてくれと言いたくなるほどに。
そして、それはルドルフも同じだった。
「……なんで何すか?何でそこまで構うんすか?」
ナイフを握った手が揺れる。笑っていたはずの口元が吊り上がる。明らかに動揺していた。
「……これが私らの愛なんすよ。人間には理解されないかもしれないっすけど、これが私らの愛なんすよ!」
ルドルフの叫びが、瞑鬼の鼓膜を震わせる。心打たれるとか、魂の叫びとか。そんなのを、瞑鬼は感じていた。
でも疑問はない。彼女達が自分の愛に基づいて行動しているように、瞑鬼も自分の愛でやっている。別にルドルフやマーシュリーの愛を、歪んだ愛という気は無い。そんなものは、こっちが勝手に定めた基準なのだから。
だから瞑鬼は笑う。今ここで、こうしてソラ達のために戦っている自分が誇らしかったから。夜一や英雄に頼らず、一人で魔女と渡り合っている自分に酔っていたから。
「だったら、愛の合戦といこうぜ。黒魔女さん」
全身が痛い。莫大な魔力を持っているが、それだけじゃ勝てない。
ここからは、愛の戦いなのだ。どちらがより、ちびっ子達を求めるか。外交だとか国政だとか、そんな複雑怪奇なものじゃ無い。単純明快にして、原初の戦争。神話の時代から、人は愛のために戦うのだ。
「語るにゃ早すぎるっすよ」
「男子高校生は愛の生き物なんでね」
くだらない会話。二人の距離が詰められた。残った弾数は3発。脳天を撃ち抜かないと、彼女は死にそうに無い。ここからが瞑鬼の本領発揮どころだ。
常に第三の魔法を展開。接近戦だと、少しくらいは効果ありとの判断だ。昨日の英雄との戦いで、瞑鬼の目は速さについてこれていた。次々と切られていくものの、まだ深刻なダメージじゃ無い。
銃の腹で薙ぎ払う。だが、それはいともあっさりと止められた。合気道の要領で、ルドルフが力を加える。瞬間、瞑鬼の身体は宙に浮いていた。
処理が追いつかない脳で、第四の魔法を展開。回転して叩きつけられるはずだった身体は、空気を踏んで留まった。この魔法を知っているのはハーモニーの連中のみ。いきなり止まった瞑鬼を見て、一瞬判断が遅れるルドルフ。
刹那後には、瞑鬼のガバメントが逆の肩を貫いていた。飛び散った血がリザードに。瞑鬼の腹を噛みちぎる。
そのまま落下する瞑鬼。待っていたのは、肋骨への強力なクリーンヒットだった。骨が軋み、嫌な音が脳内を反響する。何回か地面を転がった後、瞑鬼の身体は崖間近に迫っていた。
「……あんた、なんか慣れてないっすねぇ」
「……安心しろ、次は夜一がくる」
「……そうっすか。あんた……ほんとに人っすか?」
感心するように、ルドルフが言った。意味はわからない。ただの時間稼ぎなのか、それとも本心なのか。
それに、激しい動悸とはやる脳内のせいで、今の瞑鬼はまともな判断ができない。もうそろそろ、全力で絞っていた魔力も枯渇しそうだ。
「…………まぁ、どうでもいいっすね。安心してくださいよ。多分、渓流の寝心地はいいと思うっすから」
親指を下に突き出し、ファックなヘルへのゴーサイン。今度は笑っていた。
銃を構える。脚に衝撃が走ったのはその後だ。崖の果て際、そこから覗いたワニの馬鹿でかい顎が、瞑鬼の右足を噛み砕いていたのである。
湧き上がってくる痛みも、もうそんなに感じない。麻痺、という奴なのだろう。
くそっ、と一言だけ漏らし、ガバメントでワニの頭を撃ち抜く。こんなにしてもルドルフにはノーダメージなのを、瞑鬼は心底ずるいと思っていた。
ついに残り装填数が一発に。そして間違いなく、それじゃルドルフは殺せない。瞑鬼は思い出していた。残った一発のその意味を。
「さて、どうするっすか?川へダイブ?こっちで蛇に飲まれるのもありっすねぇ。最後くらい、自分で選ばせてあげるっすよ?」
勝ちを確信したルドルフの顔は、至って平静なものだった。こまでに幾度となくやってきた事なのだろう。そしてこれまで、多分自殺を選んだやつはいやしない。
だから瞑鬼は逆を選ぶ。即ち、一対一の禁忌、崖からダイブという方法を。
壊れた足を引きずって、第四の魔法で足場を形成。中央まで行った所で、息は尽きた。そのまま地上へ真っ逆さまに堕ちる瞑鬼。距離は何十メートルか。
疲れた頭で考える。手が動いて、ガバメントを自分の頭に突きつけていた。
陽一郎も、これを言うのは大分心が痛んだだろう。その気持ちは汲んでやれる。だが、これをしないと貰った意味がない。
リュックを渡した時に、陽一郎が言っていたことは二つ。一つにこれは馬鹿みたいに威力たけえから、あんま人混みで使うな。
そして二つ目。瞑鬼がこれを渡されたのは、万が一の自殺用だった。敵に捕まったり、半身不随で死ねなくなったり。そう言うのを避けるために。【改上】すれば全ては戻る。だからこそできる、瞑鬼だけの戦法。
遠ざかって行く空を見上げて、見下ろしてくるルドルフを見て、瞑鬼は引き金を引く。最後にこんな言葉を残して。
「どっちが地獄だよ」
最後に選ぶのは、まぁこれですよね。いつもの瞑鬼です。