明るい華
ずっとこれが続けばいいのに。そう思っていた。
生意気娘は一人一番風呂に。あがったらしこたま瑞晴と遊び倒すらしい。多分飛び火が来るだろうという事を、あらかじめ瞑鬼は覚悟しておく。
「神前くん、ちょっと手伝ってくれるー?」
瑞晴からの救難信号に、瞑鬼の耳は一瞬で反応した。名残惜しいがソラたちに断って、関羽を託して台所へ。
しかし、なぜだかその前に一人の壁が立ちふさがる。
「……どうしました?」
ついさっきまで畳の上で高校生たちを微笑ましく見守って居たはずの陽一郎が、真面目な顔して立っている。瞑鬼の前に。
見たことがないような顔の陽一郎。店の方を見て、何やら固まっている。
「……瞑鬼、ちょっとここ頼む」
はてな顔した瞑鬼にそう告げると、襖を開けて陽一郎は廊下へと消えていった。トイレにでもいったのだろうと勝手に仮定。確かに、人間便意の限界になるとあんな顔になるかもしれない。
陽一郎からのよく分からない言葉を受け取るも、瞑鬼にはそれを理解する術がない。瑞晴からの用事を優先。一緒に皿を片付ける。
まるで夫婦のようなその姿に、夜一と千紗は興味津々だった。背後から感じる二人の視線に、瞑鬼は気づかないふりをする。
と、そんな下らない妄想をしていると、不意にカランコロンと鈴の音。来店の合図のベルだった。
「……珍しいな」
一応桜青果店の営業時間は午前七時から午後九時まで。だが、開いているとは言っても、この片田舎の商店街じゃ八時過ぎて道を歩いているやつなんて居ないのがいつもなのだ。
とは言え、来てくれたのは有難い。いつ何時でも売るのが商売なのだから。
片付けを瑞晴に一任し、瞑鬼は店の方へ。
「いらっしゃい」
「あらぁ……こちら果物屋さんなのね。すごい種類ですこと。少し、触っても?」
そこにいたのは、少しチャイナな雰囲気を身にまとった、二十代くらいの女性だった。少しばかり日本語がカタコトなのが、その人が外国人であることを匂わせる。
「……どうぞ」
別に果物を触って確認することは不思議じゃない。夏だと西瓜やらメロンやらは、よく主婦の方々が直にべたべた触っていく。どうせ皮を剥く品であるならば、そこにはなんの問題もなかった。
あっちへいって西瓜を触り、こっちへいってリンゴにそっと触れる女性。後ろの夜一たちがなにやら楽しげに談笑している。混ざりたくても混ざれないジレンマに、職務放棄まで考えた瞑鬼。
「……這個多少錢?」
「…………へ?」
聞きなれない単語に、思わず聞き返してしまう瞑鬼。気を抜いていたとは言え、全く言葉の意味がわからなかったのは初めてだ。
どう聞いても日本語じゃなかった文。だがその発音は、どこか聞き覚えがあるものだった。言うならば、そう、カラのような。
「いくらか訊いてるんですよ、瞑鬼さん」
困っていた瞑鬼には助け舟を出したのは、他でもないソラだった。障子の隙間から顔を出して、ニコッとした笑顔で。
瞑鬼はそこで気づくべきだっただろう。なぜならそれはあまりにも自然に満ちた不自然だったから。なぜソラが答えれたのか。そんなのは簡単だ。質問が中国語だったから。
元の世界ならこれほど重宝する場面はなかっただろう。中国語を公用語とするのは中国だけ。話せる人は本国にしかいない。だからこの言葉が出て来た時点で、瞑鬼は気づかなければならなかった。
今中国本土に住んでいるのは、魔女の一族だけなのだから。
「……やっぱり、ここにいたのね。ソラ」
「……明華……、さん」
明華。ソラは確かに、目の前の人のことをそう呼んだ。その瞬間のソラの表情から、瞑鬼は既にことが動き始めていることを悟る。
だが気づいたのは相手も同じだった。瞑鬼が魔法回路を開くよりも早く、明華が魔力を散開。不意に瞑鬼の視界を黒く染める。
「……っそ!」
負けじと瞑鬼も反射的に手を。第一の魔法、フラッシュボムが炸裂した。漆黒の粒子が巻き上げられ、店内が太陽光の如き光で溢れかえる。
一瞬の攻防。瞑鬼のそれは、まず初見では防げない。反射的に目を閉じたとしても、ほぼ間違いなく瞼を突き破る。
だからそれで時間は稼げるはずだった。せめて、後ろの全員が逃げれるくらいは。
だが、目の前の魔女はマーシュリーとはわけが違うらしい。完全に目を潰された筈なのに、匂いか音でか瞑鬼の位置を補足して正確に拳を当ててきた。
脇腹あたりに強烈な掌底をくらい、瞑鬼の身体が宙を浮く。そのまま果物の棚に背中から突っ込む。受け身を取る暇もなく、瞑鬼の口から苦悶の声が。
「ソラ、大人しくしてなさい。あなたはもう大人なんだから。あ、そうそう、アヴリルもいるわね?マーシュリーが心配してるわ。帰りましょ」
どの口がそんなことをほざくのか、今回の魔女はえらく口が回る。しかしそれでも瞑鬼が投げ飛ばされたのは事実で、相手の魔法もわからない以上出方がない。
明華の脚が、床に散らばった果物を踏み抜いてゆく。丹精込めた商品たちも、ああなっては売りどころの騒ぎじゃない。
「……か、帰って……」
「あら、そんな事言って。随分とませたわねぇ〜」
腹の立つ口調、気持ちが悪い歩き方。瞑鬼はこの魔女が心底嫌いだ。だが、立とうにも背中に力が入らない。
明華の脚が縁側にかかる。まだ誰一人として部屋から出て行けてはいなかった。ソラもアヴリルも、瑞晴や千紗ですら身体がこわばっている。
「出せ」
部屋の中から声が聞こえ、その瞬間障子が枠ごとぶち抜かれた。ガラス張りのそれは勢いよく扉から抜けて、前にいた明華の頭から直撃。激しい音と破片が飛び散る。
電球の真下、光を帯びて立っていたのは、魔力全開の夜一だった。いつもは見れないような顔をして、ばらばらになったガラス片を睨みつけている。
一瞬の隙、明華の気がそがれた瞬間、瞑鬼は肺をからにして叫んでいた。
「関羽っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、それまでご機嫌急斜面だった関羽が頭を振る。そしてふさふさな毛の下に魔法回路を展開すると、尻尾を回して女の子に変身した。
今は全裸なのを咎める暇などない。関羽の野生の勘を頼りにソラたちは部屋の外へ。瑞晴たちも、心配そうな顔をしてでていった。
はい。という事でね、ラストの魔女の登場ですよ。これでやっと出揃って、やっと物語が動き出しました。