氷菓
久しぶりの日常回。つかの間の平和こそ至高ですね。
いつの間にか半分ほど身体を海につけていた太陽。その頃には、もう全ての片付けは完了していた。後は車に戻って、エンジンの振動に揺られていたら家に着く。
スコップを持ち、埋めた後の少し盛り上がった地に紫苑の花を置く。これで全ての葬儀は終了だ。
この夏真っ盛りの時期にこんな原生林の切れ目にいたら、いい蚊の餌食になるだろうとの事で、もうちらほらと帰る準備がされている。
陽一郎と里見の運転組が一足先に車に戻ってエンジンを。瞑鬼には荷物の運搬とソラたちの話し相手になることが命令された。リーダーであるとはいえ、店長の言うことには逆らえないのが世の道理。
十分に手を合わせる。こんなので足りるとは到底思えないが、時間の都合上惜しくも六人は腰をあげる。
「……ソラちゃん。帰り、アイス奢ったげる」
「…………は、はーげんだっつって言うのでも?」
「いいよー。アヴリルはー?」
「私はそうですわね……、昨日テレビで見た、金箔アイスが食べたいですの。あのキラキラは素晴らしいですわ」
「…………コンビニにあるかなぁ」
「んじゃ俺はスイカのやつ」
「あたしサワーフロート」
「二人は切腹ね」
いつも通りの、くだらない会話。自腹を切れと言うのを切腹と称すあたり、瑞晴の無理がうかがえた。それは瞑鬼の目にも、千紗の目にもはっきりと。
今はぎくしゃくとしたこの空気。一体いつになったら元に戻る日が来るのだろう。そんな日はもう来ないかもしれない。考えるほどに、瞑鬼の頭は重くなる。そして心も。
ひぐらしが妬ましく喚く森。いよいよ夏も本格的に入ってきた。もう少ししたらお盆がある。こんな魔法の世界のことだ。ひょっとしたら、降霊の魔法使いだっているかもしれない。瞑鬼はまだ希望を捨ててない。
それじゃ行こうか。誰ともなくそう言うと、疎らに足が動き出す。そんな中、最後まで微動だにしなかった奴がいた。
「……アイス、いらねえの?」
ただ一人、フィーラの埋められた土の上を眺める夜一だけが、悲しい顔をしていた。
少しだけ出遅れる。まだ瑞晴たちは気づいていなかった。
「……あぁ」
しばらくの間目を落としていた夜一だが、やがて別れを告げ終わったようで、一度だけ海岸線を見渡すとすぐに森へと足を向けた。それに続いて踵を返す瞑鬼。
車に乗っても海から離れても、夜一の顔は悲しげなままだった。それはあたかも、フィーラに懺悔でもしているかのように。
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夕暮れの海岸沿いを走る軽トラが一台。その前には少しばかり高級そうな無名の車。そのどちらとも、ドライバーの顔だけが健康的と言えた。つまりは、他の乗員は一人として普通の顔などしていなかった。
行きとは逆の、海が見えない方の道路。窓から流れる稲穂の群れを見ながら、瞑鬼の耳はラジオの音を適当に捉えていた。こんなにも自分は辛いのに、世界は滞りなく巡っている。それが今はやけにうざったかった。
「……これからどうすんだ?」
ぼけっとしていた瞑鬼に一言。陽一郎からの現実的な言葉。
「……ソラたちですか?さっき里見先生に聞いたら、夏休みの間は学校で泊まっていいそうですから、そうします。終わったら……、どうしましょう?」
実を言うとその答えは、もう瞑鬼の中では半々くらい出かけていた。とは言っても、もちろん今更どのツラ下げても千紗の親父さんには借りられないだろう。タダで貸してもらった別荘なのに、あの惨事では土下座の三つは必要だ。
千紗は保険がおりるから問題ないと言っていたが、やはり厳しいだろう。となると、残ったのは一つ。即ち、桜青果店への入社と言うことになる。
「お前ほんと人員不足にはもってこいだな。……実家の農園が人手足りて無いらしいから、そんときゃ紹介するぞ」
「……ありがとうございます」
ソラたちの就職先も決まった所で、今度は本格的に魔女討伐のことを考えなければならない瞑鬼。フレッシュで意見を揃えるとは言え、まずは作戦の一つでも考えていかねば始まらないだろう。
ハーモニー側と実質手を組んだとは言え、魔女の討伐権は瞑鬼たちに信託されている。最悪泣きつけば英雄が幾らでも助けてくれるだろうが、それは瞑鬼のプライドが許すはずがない。
「……陽一郎さんは、魔女と戦ったことありますか?」
悩んだ末の結論は、経験者に聞くというもの。どう見ても一介の果物屋には見えない陽一郎に訊ねるのはあながち間違いとも言えないだろう。
桜の苗字は陽一郎のでは無いということは、前に瑞晴から聞いていた。何でも、以前はほとんど親と繋がりがなかったのだとか。
「…………瞑鬼、お前、口硬いよな?」
バックミラーに太陽が当たり、刹那の閃光が通り過ぎる。瞼を閉じた瞑鬼の耳に、陽一郎からの一言。
「……まぁ、はい。いうなと言われれば言いませんよ」
「……そうか……。なら良いんだが。んじゃ、お前には話しとくかな。絶対瑞晴には言うなよ?」
この場面でのこの会話。これがいつもの冗談を言い合うノリでないことは、さしもの瞑鬼でも容易に判断できる。少しだけ車が速度を落とした。前の車に聞こえるはずなどあるわけがないのに、気休めのつもりなのだろうか。
無骨なハンドルを握る手に、ほんの少しだけ余分な力が加えられる。近くに車の影はなし。今しかないと思ったのだろう。
「……今から大体二十ちょっと前だな。俺と里見、んで神峰のジジイはよ、ロシアにいたんだ」
「……ロシアですか?」
大輪が土煙を上げ、砂塵が宙を舞う。ようよう日も暮れゆくころの事だ。陽一郎の口から出てきた、これまで聞いたことなどない話。それは悲劇であり喜劇であり、また戯劇でもあった。
車が家に着く頃には、一大大作である陽一郎の物語も終幕を迎えていた。語り終えると同時に、車のエンジンが切られる。
今日のところは取り敢えず、ソラも夜一もみんな纏めて桜青果店でのお泊りとなった。明日の仕事の都合で、人が多いと楽らしい。
里見はそのまま家に帰るとのことで、中の人たちだけが降りる。去っていった名もなき車体の影が消えるのと同時に、全員の足は玄関扉へと向けられた。
瞑鬼には陽一郎から、本日閉店の張り紙を剥がすのとシャッターを上げろとの伝令が。あと当分は、一店員として雑用が控えていることだろう。
店の表に回り、張り紙を剥がす瞑鬼。さっきの話が強烈に脳内にこべりついているせいか、やけに手が震えていた。
「……マジか」
そろそろ夏休み。夏の予定はありますか?
僕はありません。えぇ。全く。