起床の章
そろそろ暑くなってきましたね。台風一過の味を見るってね。
朝霧の街。スズメが囀りカラスが鳴き喚く。そんなやかましい喧騒の中で、神前瞑鬼は目を覚ます。妙に暑いと思ったら、どうやら窓のそばで力尽きていたらしい。朝一番の日差しが顔を焼いていた。
カーテンが閉められているとはいえ、そとは快晴。このクソ暑い夏だ。紫外線は容赦なくガードを突破してくる。
まだ眠気の抜けきらない頭を振り絞り、瞑鬼は今の自分の状況を整理してみることにした。まず始め。ここはどこだろうと言う疑問が浮かぶ。桜青果店でないのは確実だろう。瞑鬼の部屋はこんな出ないし、なんだか空気も匂いも違っている。
まだ目は開いてない。脳だけは覚醒しているが、体を動かすのはだるかった。全身が脱力感に覆われている。あれだけハードモードな機能を生き抜いたのだから、至極当然といえよう。
出て来た力を振り絞り、なんとか一回寝返りを。下の感触はベッドじゃなかった。もっと固い。多分、フローリングに直で寝てしまったのだろうと推測。
「…………だよ」
「…………かなぁ?」
聞こえて来た二つの声。随分と遠くからのように感じたが、どうやらそれが瑞晴と千紗であるらしいと言うことが判明。そこまできて、ようやく瞑鬼の頭は本格的にエンジンがかかった。
「……ん、あぁぁ……」
声にならない声を上げ、上体を起こしながら目を開ける。霞む視界。映ったのは、今まで見たことのないような景色だった。
広さだいたい二十帖ほどのリビングに、ソファとテレビ、なんか高価そうな机が一つ。瞑鬼の家とも、瑞晴の家とも違う。昨日来たばっかりの千紗とのマンションであったと言うことを、ようやく瞑鬼は思い出した。
まだ寝ぼける目で部屋を見渡す。ソファの上で眠りこける夜一。昨晩の千紗への当てつけなのか、今度はアヴリルが腰をがっちりつかんでいた。
朝っぱらから妙に腹の立つ光景目の当たりにした瞑鬼。雀の涙程度のいらつきを覚え、携帯を探る。気泡最後に確認した時間は1時半だったはずだ。外の明るさ的に、恐らく八時は回っている。
台所から聞こえてくる瑞晴たちの声に耳を傾けながら、瞑鬼の右手がフローリングの床の上を這う。その瞬間だった。
「…………ん?」
瞑鬼の右腕から、何やら柔らかい感触が伝わった。少しばかり暖かくて、ほんのりと鼓動も感じるなにか。
瞑鬼の右手側から甘い吐息が漏れる。本能が悟った。今自分の右手が、鷲掴みにしているものの正体を。
首を動かさず、音速を超えて手を引っ込める。音はたてず、視線すら動かさない。ここで起きられてしまっては、瞑鬼の全てが終わってしまう。
瞑鬼の右側にいた存在。ソラになるべく顔を向けないように、自然と首が左を向いていた。
「……あ、おはようございます、瞑鬼さん」
瞑鬼が一人心臓をばくばくさせていると、ソラの起床タイムがきなさった。こちらは変態鷲掴み人間と違って寝起きがいいようで、何回か目をこすったら直ぐに頭が回転し始めたようだ。
大きくて黒い瞳をぱちくりすること三回。どうやら眠っていた間の記憶は都合よく曖昧らしい。
右手に残る柔らかな感触にしばし心を踊らせながら、瞑鬼はカーテンを開ける。向かいの空には憎いくらいの青空が。雲ひとつないのは、一体誰の意思なのだろう。
フィーラがいなくなってから一日。どんなに誰かに願っても、そう簡単に世界は変わってくれはしないようだ。
何の気なしに窓の外。ぼんやりと眺めていると、ふとどこかから味噌汁の匂いが漂っていたことに気づく。なぜか田舎のお袋を連想させるような香り。匂いだけで、不思議と下に味がのる。
「あ、おはよー神前くん」
9時過ぎまで眠りこける瞑鬼とは違って、瑞晴と千紗はもう起きていたらしい。さすがは自営業なだけあって、早起きが体に染み付いている。
朝一番に見た瑞晴の姿。それが目に飛び込んできた瞬間に、瞑鬼とソラはまだ自分たちが夢の中にいるのかと思ってしまった。それと言うのも、瑞晴と千紗が揃ってエプロンなんて前時代の遺物を身につけていたからである。
大方この部屋に置いてあったのだろう。泊まりに来た時に、ネタとして使っていたと考えるのが適切だ。
「……なに?」
「……いや。ばっどもーにんぐ」
「うわぁ……。最低な寝覚め」
寝起きに自分はなにをしているのだろう。そんな疑問を感じながら、瞑鬼は足に力を込める。ちゃっかりと瞑鬼の膝で眠っているソラのほっぺを一突き。無理やり眠りの世界から連れ戻す。
ソファの上に置いてあったタオルを拝借。ソラと一緒に洗面所へ行き、頭に気合を注入。ご丁寧に置いてあった使い捨て歯ブラシで、昨日のぶんの汚れを排水管へ。
そうして二人さっぱりとした気分でリビングに戻ると、机の上には既に茶碗が並べられていた。やはりというか、瑞晴と千紗は朝食を作ってくれていたらしい。
「片付けはお願いね」
米を盛る瑞晴からの要望に、うぃっすとだけ答えた瞑鬼。彼女たちは専業主婦でもなければ飯係でもない。一応とはいえフレッシュは全員が高校生以下。家事の分担は当たり前と言えるだろう。
未だばかすか寝続ける夜一を千紗に任せ、瞑鬼たちは早速飯にありつくことに。瑞晴に瞑鬼、その正面にソラという並び方で机に座る。合唱をしていざ実食。いつもの事だが、やはり瑞晴の手料理は美味かった。
朝はパン派だったはずの瞑鬼も、この1ヶ月と少しですっかり米派になってしまっていた。
いかにも家庭料理といった感じの卵焼きに端を伸ばす瞑鬼。おかずの数は少ないが、それなりに味の違いは楽しめる。
味噌汁をすすっていると、ふと瞑鬼の頭に一つの懸念が浮かんだ。
「……店、大丈夫かな……」
勢いでハーモニーと対立してしまったとはいえ、瞑鬼は陽一郎と仲を違う気は更々無い。寧ろ今からでも店へ駆けて行き、遅刻を詫びて即刻仕事に入りたいくらいだ。
それに、関羽が心配ということもある。瞑鬼が飼い主なのに、放ったらかしではあまりにも責任が欠けている。それを言うなら朋花だってそうだ。瞑鬼が頼み込んで、陽一郎の厚意によって養ってもらっているのに、それすらも置いてけぼりで。
帰った時の陽一郎を想像すると、思わず身震いしそうになる。多分一発は鉄拳が飛んでくるだろう。下手したら、無給全日で働かされるかもしれない。
クラスの女子と朝を迎えるなんて、例え複数人であっても羨ましいが天を衝くくらいの事ですよ。