一夜限りのDearest
千紗の家はお金持ち。それは紛れもない事実です。
だが、これで瞑鬼第四の魔法は手を繋いで透明化になってしまった。これからの事を考えると、瞑鬼は頭を悩ませずにはいられないだろう。
「……まだ繋いでたいの?」
ぼんやりと窓の外を眺めていると、突如瑞晴から謎の言葉が。一瞬なんのことかわからなかった瞑鬼だが、すぐに自分がまだ手を繋いだままだということに気づく。
「…………そうだな。んじゃ着くまで」
「……正直だなぁ」
みんなが見ている中だと言うのに、二人の間には他人が入り難い空気ができていた。横から口を出したそうな千紗ですら、口を半開きであんぐりと。夜一に至っては後ろを向いて笑いを堪えていた。
耳が軋む。高度が上がった事で、少しばかり耳鳴りが音を増す。
長かったような、けれど短かったような時間が終わる。いつの間にかエレベーターは15階で止まっていた。ちーんと言う音とともに、無音で開かれた扉をさっさと通る六人。
やべぇ。17年間生きて培った語彙力で、瞑鬼が表せたのはその一言だけだった。圧巻という状況を、初めて肌で感じていた。
エレベーターを降りた先。高級マンションのまるまるワンフロア。見える範囲には大量の扉があって、どれも一つ一つのデザインが異なっている。やけに足に違和感があると思ったら、床には絨毯が敷いてあった。赤とか黒とか緑とか、ホテルにしかないような作りのものだ。
廊下の右手には部屋がたくさん。左手はガラス張りで、田舎の街を一望することができる。夜だけあって、しょぼったいネオンしかないが、日が出ていると公園が見える位置だろう。所々においてある観葉植物が、いやに場違い感を瞑鬼達に味わわせる。
瞑鬼が貧乏性を発症しているも、千紗はそんな事御構い無しに絨毯の上をドカドカと歩いて行く。やはり慣れというのは重要なようで、瑞晴と夜一も遠慮なしに感触を楽しんでいるよう。怖気付いているのは瞑鬼とソラだけだった。
「……これは、いいやつですわ」
お嬢様言葉を話すだけあって、なぜだかアヴリルはもうこの高級空間に慣れていた。生まれた時からソラと同じ場所でしか過ごしてないはずなのに、無駄に得意げな顔で眺望を見渡すアヴリル。
「……ほんと?いいやつ?」
「ええ。ヤバイですわよ。たぶん羊の毛ですわ」
さらさらと手で感触を確かめ、アヴリルは確信した顔でそういった。誰もわからないため、真相は千紗のみぞ知る。しかし、千紗の性格を鑑みるに、あまり素材などには拘らないだろう。
今くらいは鼻を伸ばさせてやろう。そう思い、瞑鬼は黙ってアヴリルのうんちくを聞いていた。これっぽっちの事で今日のことが薄れてくれるなら、瞑鬼としても大歓迎だった。
「も一回だけ、さっきのやつやって」
一つの扉の前に立った千紗から、瞑鬼に請願が飛んでくる。恐らくはあそこがみんなの暮らすリビング的な役の部屋なのだろう。扉の感覚から推測して、一部屋の規模はかなりのものだ。
ここまで来て追い返されるわけにはいかない。全員の思惑が一致したところで、足は自然と集まっていた。瞑鬼の隣には瑞晴。その逆サイドにソラ。なるべく目立たなくするために、ソラは一番端っこに。
「……んじゃ、目瞑ってくれ」
瞑鬼が告げる。ソラが魔法回路を開くところを見られるわけにはいかないからとの事で、瞑鬼が適当に条件を付け足したのだ。
全員の目が閉じられたことを確認すると、瞑鬼はソラに合図。ソラが魔法回路を展開して、掌で繋がれた五人の姿が空気と同化。光の屈折率がゼロになると、もうそこはただの空間となる。
瞑鬼のおっけーの一言で、一気に目を開く。お互いの姿は見えないが、手から伝わってくる感覚でなんとなく位置はわかる。
ワンテンポずらして目を開けた千紗。誰もいないことを知るや否や、早速インターホンをツープッシュ。本格的なベルの音が響く。
ほんと一瞬たったかどうかという所で、呼び鈴の向こうから千紗の親父さんの声が。普通一時過ぎに娘が帰って来たらブチ切れそうなものだが、対応は冷静だ。
どうやら鍵が開けられたらしく、扉を半分開けて上半身だけ家に入る千紗。たぶん玄関にあるんであろう他の部屋の鍵を奪取すると、中に一声だけかけて戻ってくる。
得意げな顔で鍵をくるくると回す。いつもの瞑鬼ならイラついたであろう場面だが、今回は別だ。千紗の財力に、余すことない感謝を示しておく。
「それじゃ、寝よう」
ミッションをクリアしたことで気が抜けたのか、千紗はふらふらとした足取りで別の扉の前に立つ。そして何回かがちゃがちゃやってたかと思うと、ノブを引いて自分一人入っていった。
今日一の功労者であり、被害者でもある千紗。誰一人として文句を言えるはずがなかった。魔法を解いて、笑顔で部屋の中へ。ソファの上で突っ伏していた千紗に、全員から適当な感謝の言葉が送られる。
にへへ、こそばゆく笑ったかと思うと、近寄った夜一に蛇のような動きでしがみつき、そのまま眠りこける千紗。寝息を立てられては、さしもの無神経も振りほどけない。大人しく胸筋を差し出して、道着のまま夜一は目を閉じた。
「……いやぁ、仲良しだねぇ」
「……カップルっつうか、なんか、兄妹的なやつだな」
瞑鬼と瑞晴でにやにやとその姿を眺める。目一杯動いて汗をかいたはずなのに、よくもまぁ千紗の寝顔の穏やかなこと。子供の時から慣れているからなのか、夜一の匂いは気にならないようだ。
「わたくしたちは……そうですわね、ここにしましょう」
アヴリルとソラが選んだのは、夜一たちが寝ている対面にある、もう一つの長椅子だった。そこに二人仲良く寝転がって、顔を向けあって目を瞑る。
先の事件でよほど疲れているのだろう。ソラもアヴリルも、ほとんど何も言わないまま眠ってしまった。
さっきまで賑やかだったはずの部屋。気がついたら、すっかり静かになってしまっていた。もう起きているのは瞑鬼と瑞晴だけ。
俺らも寝るか。流れで言ってしまいそうになる。だがこの流れでその言葉は、あまりにも誘いが強すぎる。まるで瞑鬼が、瑞晴と一緒に寝ようと促しているようにも思えるだろう。
すんでの所で踏みとどまって、瞑鬼は窓の外へと視線を向ける。夜の公園。明かりのない街。外套の一つもない、うっそうと生い茂る森が広がっていた。
体が重たい。全身の筋肉が悲鳴をあげている。魔力もかつかつで、明日までに全快するかは五分五分といった所だろう。だから早く寝なければならなかった。けれど、思い立って即行動というわけにはいかなかった。
「……外、いい?」
ぼーっと立っていた瞑鬼に、突然の提案。見ると、瑞晴の親指がベランダを指していた。
「……おう」
一言だけ返す。何だろうか。相談だろうか。恐らくそうだろう。瑞晴がこれから何を話してくるか、それを瞑鬼は予測できていた。
ピクリとも動かない四人が蒸されないように、エアコンの電源を入れる。むんむんとしていた部屋に、涼しげな風が。そのことを確認して、二人は外に出る。
流石高層階マンションだけあって、上層は風が吹いている。夏の夜風が肌を撫で、瞑鬼と瑞晴を過ぎ去ってゆく。あり得ないことに、瞑鬼の心は落ち着いていた。
プラスチック製の手すりに身体を預け、窓の向こうから部屋を覗き込む瞑鬼。その瞑鬼を見る瑞晴。どちらから言葉を発せば良いか。そんな下らないことを迷っているようだった。
「……驚いたよね、突然こんな事になって」
同じく手すりに背中を被く瑞晴。迷っていても意味はないと察したのか、自然と口が動いていた。
「……まぁな。この前の魔王軍の時もそうだったけど、この世界ってこんな感じだったんだな……」
「なんかさ、実感湧いてきたよ。お母さんがいなくなった時とかはあんまそういうの意識してなかったけど、今回はさすがにね。……神前くんは?」
「……俺も。ニュースとかで事件とかみても、関係ねぇって。けどなんか、紛争地帯に来た気分だ」
「…………ホントにさ。……マジ……さ」
瑞晴の声はどんどんと細っていって、しまいには聞こえなくなって。でも、言わんとすることは理解できた。
人が死ぬとか生きるとか、そんな事をこれまで瞑鬼は人よりもわかっているつもりだった。何度もなんども死んで殺されて、苦しさも悲しさも、全部。
けれど、自分が死ぬのと誰かがいなくなるのは違ったのだ。瞑鬼の場合は、死んでもまた蘇る。けれど、それはあくまで瞑鬼一人限定だ。どれだけ頑張ろうとも、もうフィーラは戻ってこない。
人より多くの魔法を持って、それを世間からも認められて。学校だってそれで入れたような節もある。だが、瞑鬼は無力だった。自分以外の誰かに対しては、ことごとく力が足りていなかった。
「……ごめん。瑞晴」
あぁ、なんで謝ってしまったのだろう。瑞晴が泣いていたからだろうか。それとも、とにかく自分の訴えを聞いて欲しかったからだろうか。
今となっては、自分がなぜそんな選択肢を取ったのか、等の瞑鬼本人ですらわかっていなかった。
瑞晴と目があった。少し近くなった。いつの間にか、瞑鬼の薄っぺらい胸板に、女の子の頭があった。
「……悪くないよ、うん」
ばくばくと脈打つ心臓。自分のだか瑞晴のだか。その境界線が曖昧になった気がした。背中に回された瑞晴の手。瞑鬼の腰あたりで、がっちりと握られている。少し苦しいくらい。
瑞晴は強いだろう。同年代の女の子と比べて、強くなってしまったのだ。だからこうして、弱さを見せる人間を絞る。
ひっくひっくとすすり泣くような声。聞きたくなかった、女の子の泣く声。胸のあたりが熱い。
何か言いたかったが、それは邪推というものだろう。ここはないも言わないのが吉だ。
瞑鬼の手が、瑞晴の背中に回される。抱きしめられたから、抱きしめ返す。当たり前だ。それが作法なのだから。
だが、瞑鬼は瑞晴を素直に抱きしめられなかった。まだ隠していることが多すぎる。瑞晴はここまで自分を見せてくれているのに、瞑鬼はほとんど何も見せていない。枷が足に絡みつく。
胸が焦がれた。月が綺麗だった。瑞晴が綺麗だった。
自分は汚かった。
久々に瞑鬼くんと瑞晴の会話シーンです。こんな青春を送りたいだけの人生だった。