異世界湯浴、極楽です
悩む陽一郎を見つめる瑞晴。その端から様子を見守る瞑鬼。事の当人が一番外側にいると言う、実に不思議な光景である。
「油絵ってな、一回失敗したらその上からもう一度絵の具を上乗せするんだ」
「……ん?」
「お前の魔法は、そんな感じなんだよ、瞑鬼」
油断していた瞑鬼の耳に、思いもよらない言葉が舞い込んでくる。一瞬なんの話かわからなかったのは、恐らく瞑鬼も瑞晴も同じだろう。
そんな感じ、という曖昧な答えを提示されて、その真意を汲み取れるほど瞑鬼は大人ではない。何とか脳内で考えを巡らせるも、でてくるのはピカソの絵画ばかり。至極一般的な人間に、他人の考えを理解しろと言うのはいささか無茶なことらしい。
「どんな感じよ……」
苦笑いで瑞晴が返す。言葉を無くさなかっただけありがたいと言えるだろう。
これ以上話しても事態が好転すると思わなかったのか、陽一郎は話を切り上げるべくテレビのチャンネルを変える。それを機に、瑞晴も家事を再開すべく、台所へと消えていった。食器の片付けも終わったというのに、一体何をするつもりなのか。家事に疎い瞑鬼には見当もつかないことである。
残されたのは瞑鬼一人だけ。家のかってもわからない以上、大人しくしているのが得策だろう。
そうしてじっとリビングに座ること実に十五分。寄ってくる関羽を膝の上に乗せ、サラサラの毛を撫でていると、もう一匹の猫が瞑鬼の背中に攻撃を仕掛けてきた。
この家の飼い猫で、名前はチェルと言うらしい。性別はメス。つまり、瞑鬼は現状二人の女に囲まれたハーレムを建設していることになる。
「にゃあ!」
「うにゃあ!」
「……なんでそんな仲悪いんだよ……」
睨み合う猫が二匹。猫達からしたら、間にそびえ立つ瞑鬼は争いの最高防衛ラインなのだろう。ギリギリのところで互いに目から火花を散らしあっている。
今にも両側から爪が飛んできそう、瞑鬼がそう思っていると、テレビに視線を合わせたままの陽一郎から言葉が飛んでくる。
「あ、そうだ。瞑鬼、お前猫たちと風呂入ってこい」
そこまで言われて、瞑鬼はようやく自分の今の姿を思い出す。自然にしていたから忘れかけていたものの、瞑鬼の今の服装は学校指定の体操服なのである。これでは、ご近所さんに見られたら色々と厄介なのだろう。
しかし、風呂に入れと言われても、残念なことに瞑鬼に着替えはない。持参のカバンの中に入っているのは、すでに一週間履いた後の制服のズボンと、ボロボロのカッターシャツだけである。
一週間の締めである金曜日に異世界送りになったことが、これほどまでに不都合だとは。瞑鬼を召喚した誰かも予想だにしていなかっただろう。
「着替えなら心配すんな。俺の昔のをやる」
「はい……。でも、俺は最後でいいですか?住み込みなのに、一番最初ってのは……」
「……いいから。汗臭いって瑞晴に言われてもいいのか?」
「…………」
そこまで言われたら、瞑鬼も返す言葉がない。大人しく店長様の意見に耳を傾けるのが、正しい高校生バイトのあり方であろう。
猫を抱えて立ち上がり、風呂場へと向かう。一応家の間取りは確認済みらしい。と、
「あ、神前くん。今からお風呂?」
部屋を一歩出た所で、瑞晴と遭遇する。同じ家なのだから、それも不自然ではないだろう。
瑞晴は部屋でお茶でも飲もうとしていたらしく、握られたお盆には3人分の湯のみが用意されている。
「……うん。お先に」
「ごゆっくり」
そう言って、瑞晴は部屋の中へと消えていった。
恐らく、瞑鬼が風呂から上がったら、お茶の一つでも淹れてもらえるのだろう。