月下の騎士
絶望的な状況。確信的な敗北。
そんな中、彼女たちは何にすがるのか。
「……え、あ……」
ソラの口から乾いた音がもれる。喋ろうとするも、喉がうまく機能しない。
へたり込んでいた瑞晴の髪を乱暴に掴むルドルフ。強制的に持ち上げて、血と脂で濡れた刃をちらつかせる。
「……ダメ……ダメだから」
ソラの必死の呼びかけも、ルドルフの耳には届かない。
抵抗しようにも、もう瑞晴の魔力は底を尽きた。ただでさえ筋力に差があるのに、これでは到底抵抗など不可能と言える。
出来るのはただ祈ることのみ。しかしそれも、一時的な気休めにすぎない。
刃渡り15センチほどのアーミーナイフが光る。後ろの三人が見たのは、瑞晴の顔をはしる一閃。軌道が読めないほどに早く正確な、完全なオーバーキルだった。
しかし、結末は意外にも意外。瑞晴は崩れたものの、血は一滴も出なかった。かわりに、ルドルフの手に何かが握られている。
一握りだけの、ごく僅かな髪。瑞晴の髪型が、少しだけショートになってしまっていた。ポニーテールはできそうにない。
肩にかかった自分の髪を見て、それにそっと触れる瑞晴。
「なんてね。あんたは生かしとくっすよ。ついでにそっちの人間も」
「…………え?」
髪を切られたショックからか、瑞晴はほとんど話を聞けないでいた。今年に入ってから目指せゆるふわポニーのスタンスだったのに、全ての努力が文字通り打ち切られた。控えめに言っても、泣いてもいいくらいのショックである。
左手に握っていた黒髪を空中に投げ捨てる。罪悪感のカケラもない目には、怒る気力も湧かなかった。
「協力者に売れるっすからね。現役女子高生なら、まあ悪くはされないから。寿命が延びたっすよ。良かったっすねぇ〜?」
そう言ってルドルフは、放心した瑞晴の頭を撫でる。
あまりに舐めた態度。だが誰も怒れない。自分の娘を躊躇いもなく刺し殺した相手に、正気で立ち向かえるはずがなかった。
どんなに大袈裟に言っても、この場にルドルフより強い人間はいない。そう、人間は。
ソラの目が絶望に染まる。慌ててそれを抑えるアヴリル。この場でカラが出たら最悪だ。少なくとも、千紗と瑞晴は確実に死ぬ。ルドルフとも良くて相打ちだろう。
「……ダメだって。本当にダメだって!」
頭を抱えて蹲るソラ。心配そうな目を送る千紗も、状況の緩急に取り残されている。昨日まで普通の女子高生だった千紗が、この異常事態についてこれるわけがない。
女の子座りで地に伏す瑞晴。乙女の髪を切られたこともショック。目の前で人間が殺されたのも倍ショック。
瞑鬼が殺された時は、【改上】という希望があった。もちろん驚いたし悲しんだが、今はその比ではない。自分は持てる力全てを出し切ったのに、簡単に負けた。事実がただ悔しい。
瑞晴の目に映るソラは、限界まで来て吐きそうな女の子。カラの存在を知らない人からすれば、あれはそう見えても仕方ない。
「…………このっ!」
再燃した血液が、魔力となって力を加える。絞りかす程度の粒子を手に纏い、特攻を仕掛けた瑞晴。
だが結果は当たり前のようで、ルドルフはいともあっさり瑞晴を殴り飛ばした。直角に軌道を曲げられ、若々しい女の子の体が巨木に叩きつけられる。
「無駄っすから。ってか出来れば商品は丁重に扱いたいんすよね〜」
「…………最低ですわ」
「あー、あんたはマーシュリーさんに任せとくっすわ。でもソラちゃんは私の獲物っすよ?勝手に殺ったら明華に怒られちゃうけど、まぁ、それも一興っすよねー」
聞いてもないことを、ルドルフはベラベラと喋っている。
誰もそんなことは聞きたくないし、第一聞いても意味がない。このままだと、ほぼ確実にカラが出てくるだろう。そうなった場合、真っ先に千紗が殺される。
ソラもそれだけは避けようと、必死にカラを抑え込んでいる。だが時間の問題だ。次に誰かが傷つけば、間違いなく現出する。
「んじゃ、カラが出てくる前に」
ごくごく正当な判断。一番強いのが出てくる前に召喚士を潰すのは、基本中の基本である。
ルドルフが足に魔力を込める。爆発的な加速で一気に距離を縮めようと。足を一歩つく。
「喋りすぎだ」
ぼこぼこに殴られて、失われそうな視界の中。恐怖と涙で、今にも気を失いそうな頭の中。
そのバイクは現れた。路にいたルドルフを全速力で跳ね飛ばして、格好つけるライダー。
ほとんど音もなく直進して来たその電動バイクには、何度も見覚えがある。
「……こういう事か」
ヘルメットを脱いで、ライダーは辺りを見渡す。血だらけで倒れる少女。雑に髪をかられた高校生。一目でわかる。異常な状況だと。
跳ね飛ばされたルドルフが、木を杖にしてゆっくりと起き上がる。さしもの魔女とは言え、時速50キロの物体に衝突されてはガードしきれない。
「…………誰っすか?新手っすか?」
頭から血を流し、冷淡な目でルドルフが訊ねる。
真っ白な道着を着た、高校生くらいの男子。少し茶髪がかった地毛は短く、七頭身はある身体は細マッチョと呼ぶに相応しい筋肉が付いている。
千紗の目が光る。夢のような王子の襲来に、驚きを隠せないでいた。ソラもアヴリルも、カラの事など忘れて男の顔を凝視していた。
「……柏木夜一だが?貴様こそ誰だ」
月下に輝く長身痩躯。恐らくは瑞晴の知る中で変人度は瞑鬼と双璧をなす人物。そして今この場では、何より頼りになる男。
夜一の登場に、女の子たちは思わずときめいてしまった。
名前を聞いても、当然ルドルフは夜一を知らない。魔女側にも要注意人物のリストはあるだろうが、それに夜一は載ってない。
ここまで余裕綽々だったルドルフも、夜一を見たら警戒心を抱いていた。瞑鬼から嫉まれることのない数少ない内の一人。そんな夜一が、真面目な顔で怒っている。
久しぶりの夜一登場。
さぁ、ゲームをハジメヨウ。