最強の魔法
二日ぶり。たったそれだけなのに、もう禁断症状が。
「……あのクソババアも来てますのね……」
いつになく辛辣な口調のアヴリル。珍しい光景に、瑞晴が口をつぐむ。
夜の暗さも、ものの五分も経てば慣れてくる。 徐々にだが、闇に紛れたルドルフの姿が五人の目に映り始めた。
そこそこ高い身長。腰まで伸びた長い髪。何を着ているかは分からないが、布のようなものを羽織っているのだけが確認できる。焦げた色の肌に、額に着いた赤いルビー。お手本のようなインド人がそこにいた。
両腕から全身にかけての魔法回路。瑞晴や千紗とは決定的に違うくらいに、太く歪な紋様をしている。さながら、それは瞑鬼の魔法回路のようだ。
警戒心を剥き出しに、ソラが煽りを入れる。だが、瑞晴と千紗が見ている以上魔法回路はひらけない。
走る緊張感。最初に異変に気付いたのは、一人黙っていたフィーラだった。
「……逃げてっ!」
その言葉を聞いた瞬間。瑞晴の目には到底信じがたい様が焼き付けられた。
ポケットに突っ込まれたルドルフの両手。その手首から肘にかけてを、液体のようなものが流れていたのだ。
そして地面についはそれは、一度流動したかと思うと形を変える。この世の女子高生大半が嫌いであろう、爬虫類と言う名の悍ましい傀儡が誕生した。
「……っ!」
急いで駆ける五人。食料庫に飛び込んで鍵を閉め、急いで窓から飛び出る瑞晴。フィーラたちも玄関を全力で駆け抜け、瑞晴たちを追って森に入る。
「……追って。逃したら怒られるだろうなぁ〜〜」
だるそうな声をあげ、ルドルフが少女たちの足跡を追う。地の利は向こうにあるが、爬虫類たちには敵うまい。
次々に生み出される爬虫類。ヘビ、トカゲ、カメレオンと種類は様々だ。そのどれもが瑞晴たちの後を追い、短い脚で走って行く。
「……あ〜〜。貧血だけはマジ勘弁」
渋谷のギャルのような気だるさを抱えながら、ルドルフは歩く。少しばかり血気を失ったような表情で、十六夜の月を睨む。
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「なんなのあの人……っ!」
「見たらお分かりでしょう!魔女ですわ!本物の魔女!」
「怒ってたね。ルドルフさん」
「……なんで名前知ってんの?」
「いやその……、魔女特区にいたから……」
ミンミンと蝉の声がうるさい森の中を駆ける五人。少しとは言え荷物を背負っている分、いつもより体力の消費は激しかった。汗が滲んで、息が弾む。
持久力には自信がない瑞晴でも、ここから家までは走って十五分。つまり、全力で走り続けばもっと早く帰れるはずだ。
一応は道らしき道があるところを走り、たまに誰かが振り返る。疲れも恐怖も、今は生きるために少しだけ機能を停止していた。
「あの人の魔法は、血を爬虫類に変えるってやつです。自由に動かせるって言ってたから、多分ここらにも」
「……瑞晴っ!」
走る瑞晴の腕を引き、千紗が半ば強引に足を止める。
瑞晴の行こうとした先には、大量の蛇がいた。それも日本原産ではない。カラフルで複雑な模様の、一目で危険だとわかるやつら。
ひっ、と瑞晴が足を引く。驚くのも当然の反応だ。
気付いた頃には、周りを蛇やらトカゲやらに囲まれていた。残る退路は一本のみ。来た道にだけ、何の動物もいなかった。
「あれあれぇ〜〜?難儀な嬢育ちっすねー。もしかして、蜘蛛とかさわれないっすか?」
まだルドルフの姿は見えないのに、大分先の方から声だけが聞こえてくる。疑ったのは、爬虫類の目を通して見ているのではないか、という可能性。
蛇のピット器官だけなら、そう脳の負担にもならない。しかし、仕組みを理解したところで千紗たちは手を出せない。魔法を使っても戦闘は出来そうにない瑞晴と千紗。仮にソラたちが使っても結果は一緒だ。
「……これは……」
瑞晴の額を汗が伝う。暑いからじゃなくて、ヤバイから。汗が出るほど気を張ったのは、恐らく入試が最後だ。
「…………みんな、ちょっとだけ鼻塞いで。できれば口も」
「……おーけー瑞晴」
先頭に立った瑞晴。普段なら夜一の陰に隠れて怯える役目を果たすところだが、今日はもう面構えが違っている。
今時分は守られる立場ではない。守る側なのだ、という事をようやっと理解した。
瑞晴が魔法回路を開く。心臓から神経系が浮かび上がり、黒い空を染め上げる漆黒の粒子が漏れ出した。
瑞晴の魔法は生物に好かれるというもの。普段は絶対に使うまいとセーブしているその魔法を、瑞晴は生まれて初めて全力で使おうとしていた。
試したことはないし、ダメだと陽一郎にも言われている。好かれすぎたら、相手が廃人になってしまうからだとか。
「…………全部知らんし。責任はあの人ってことで」
限界まで魔法回路をかっ開き、最大限の魔法を発動。可視化するはずのないフェロモンが、ピンクの空気となって森を覆った。範囲は約10メートル。十分全ての爬虫類が引っかかる。
「……やばっ!瑞晴それヤバイよっ!」
「気孔を塞いでいても、中々の威力ですわね……」
「マズイ。瑞晴さん襲っちゃいそう」
「……だから使いたくなかったのに」
魔法の解放が終わると、目をハートにした千紗たちが瑞晴に擦り寄っていた。
代わる代わる瑞晴に触れ胸を触る。揉みくちゃにされた瑞晴からしたら、あまり気持ちのいいものではない。
「……マジっすか」
遅れてやって来たルドルフ。その目に映ったのは、自分の爬虫類コレクションがオシャカにされた絵だった。
ただの一匹も起き上がるものはいない。瑞晴から発せられたフェロモンが強すぎて、小さな脳では処理しきれなかったのだ。
結果として爬虫類たちは頭がパンク。理性を失って発狂死。少女たちが瑞晴に惚れるという、最悪な結末となってしまった。
死んだ爬虫類が、個体の維持を放棄。そのまま血に戻って地面へと流れ落ちる。
息を荒げる瑞晴。初めて全開魔力解放をしたため、全身の血流が狂っていた。身体に力が入らなく、頭もぼーっとしてしまっている。
最強の魔法には、それなりの代償が付きまとう。瑞晴の場合は、使ったら問答無用で惚れられるという点。それも、分量を間違ったら死んでしまうくらいに。
「……残念……だったね」
結論から言うと、最強の魔法はみずはですね。はい。